18
お待たせいたしました
ベッドに寝ころびながら、サイドテーブルに置かれたランプを眺めていた。
薄ぼんやりと灯り、明滅を繰り返す。そんなランプは奇石で光る。アリシアが見慣れた物だ。火と白熱灯の中間といった色合い、見ていて暖かそうだった。それに手をかざしてみるも熱は特に感じられない。透明とは言い難いガラスに触れてみる。凹凸が感じられた。うーむ。暖かいような、平温の様な。
機械的な光ではないからだろうか。蛍光灯の様な人工的な明るさではなく、自然の色合いといった具合だ。だから柔らかく感じるのだろう。
「――い―――ね」
リビングの方を見る。扉で仕切られていてよく聞き取れないが、ヴェルエナと治療院の婆さんが楽しそうに話している。
「ふーむ」
肩をぐりぐりと回してみる。痛みやひきつけ等の違和感は特にない。包帯が少し邪魔な程度。足の裏も同上。
両親は宿に泊まり、ヴェルエナは俺の様子を見るために治療院に泊まる。順調なら明日の朝には傷跡も残さず治癒するらしい。日本では外科的医療が必要なレベルの傷だったが、一部の医療ではこの地域の方が上らしい。
「ふむう」
天井を眺める。暗くてよく見えなかったが、恐怖感はなかった。そんな事を感じる余裕もなかった。
音を立てないように、そっと毛布から抜け出す。ヴェルエナは傷を早く治すためにと寝ろと言った。婆さんも同じことを言った。それに逆らう形だで、見つかると少し面倒だ。
そっと窓のカーテンを開ける。俺の入る姿があった。月光に照らされ、浮かび上がる鉄の山。灰色の歩戦だ。
昼にAIは言った。成功率は九十五パーセントだと。成功率は中々に高く、挑戦してもいい気もする。でも正直腰が引けるし足もすくむ。亀のように歩戦に潜り込んでいれば死ぬ心配は無い様だが、途中で動けなくされる可能性がある上に、最悪、車外活動をしてもらう場面もあるかもしれない。
いくら成功率が高いといわれても、実際に対峙するのは俺だ。この貧弱な体で、斬った張ったの大立ち回りなんてできやしない。
だがその会話は重要じゃない。いや、重要だけどそうじゃない。俺が気になっていたのは、その後の通信だ。
腰が引けつつも、村が壊滅したら寝覚めが悪すぎるから虫と対決でもしようかな、と。俺がそう思い始めた矢先に入った通信。男の声だった。
『アリシア・ガソッド女史とその中身の君へ。聞こえているか? こちら基地管制。話の通りバックアップは行う。あの汚染個体を全て処理したいなら指令室に来てほしい。君が望む武器がここにある。以上、通信終わり』
流暢な共通語で喋り、こっちが唖然としている間に切断した。しばらくの間言葉が出なかった。あまりに一方的過ぎて反応に困ったからだ。僅かな違和感も感じる。理由はわからない。何か小骨が喉に引っかかったような感覚だ。
言いたいことや疑問は数多くあるが、少なくともこの通信で腹は決まった。腹をくくって気合を出そう。昨日今日の事ではあるが、もう一度あの遺跡に入るんだ。今度は逃げない。徹底的につぶして、指令室とやらを目指そう。
「はあ……」
息を大きく吸い、吐きだす。漏れ出た声は震えていた。窓枠に乗せた手が小刻みに震える。怯えだ。
「ははは……自分は騙せないか」
乾いた笑いが浮かぶ。自嘲の笑みだ。徹底的に潰すだのと勇ましい言葉を使って自分を騙そうとしてみたが、無駄みたいだった。
うん、怖い。それは正直に認めよう。認めたうえで頑張ろう。
ベッドに腰掛ける。これなら、眠れなくて体勢を変えていただけと言い訳が立つ。ヴェルエナが来るのを待っていたと言っても良いかもしれない。そしたらあの愛すべき娘は大いに喜ぶだろう。
アリシアと関わるときの大げさな仕草を思い出すと、つい顔がほころぶ。一瞬だけ恐怖感が和らぐ気がした。向けられる好意が俺自身ではなく、アリシアであるという事実は居心地の悪さや罪悪感を感じるが、それでも悪い気はしない。
なんせ何をするにも褒めてくれる。もし俺が褒められて伸びるタイプなら、きっとオリンピックの選手だろうが世界記録だろうが、簡単に量産できただろう。
クスクスと笑いながら目を閉じる。するとベッドの下に隠した背嚢の存在感が気になってくる。
もしもの時のために持たされているサバイバルキット、と言えば聞こえは良いかもしれない。頑丈だが飾り気のない大きめの背嚢、というよりは子供用のリュックサック。
体格に合っていなくて、背負うと、背負っているよりは背負わせて貰っているといった感じだ。荷物を満載するとアリシアの身体能力の無さも相まって荷物に潰され、くたっと前に倒れるか、亀のように無様にひっくり返り、自力では元に戻れなくなる代物。
と言っても、それは満載している時だけで、実際は動けなければ意味がない。であるのでいつもはスムーズに動ける分しか入ってない。
実は、恥ずかしくも、笑い話の鉄板ネタに出来そうな思い出がある。ワンピース姿だったもので、うきうきで背負わせて貰ったら見事にぶっ倒れ、大股開きになった足の間。めくれたスカート部分からパンツが見えてしまった、という思い出だ。
いや、これを笑い話にするのはやめよう。自分の思い出ではないけど恥ずかしいものは恥ずかしい。顔が熱い。
ともかく俺は、ガソッド一家の家である馬車から、それをこっそりと持ち出した。食料や水のほかに、ナイフや火打石などが入っている。火をつけるのが上手いのは、アリシアの意外な特技だ。魔法とやらが使えないと、この地域の人間からしてもローテクな方向に器用にならないとやっていけない。
今回はサバイバルが目的ではなく遠征、基地攻略。だから薬や武器等を増量した。
ぎいっと扉がきしむ音。はっとした。気が付けばリビングは静まり返っていた。手持ちランプの弱々しい灯りに照らされたヴェルエナは、目を細めて訝し気な表情を作っていた。目が慣れたのだろう。すぐに俺の顔に焦点が合うと、大きな目を少し見開いた。
「アリシア、寝てなかったの? 珍しい」
「なんだか寝れなくて。折角だからヴェル姉を待ってた」
少しお喋りでもしようよと誘ってみる。なんだか口説こうとしているみたいで、どこか自分の行動を面白く感じる。下手を打てば喋るのもこれが最後と思えば、なんとも感慨深い。
「どうしても寝れないの? 子守歌でも歌う?」
ヴェルエナは隣のベッドではなく俺の横に座った。身内かつ同性というのもあるが、こういうドキリとする事を自然とやってくるのは、かなりグッとくる。魔性の女だ。きっとこの先幾人もの男が、この娘を取り合って争うのだろう。
そしていつか婚約者だと名乗る馬の骨がやってきて、お姉さんをくださいと宣うのだ。そんな下劣な馬の骨に対して俺は、ダメだダメだ。お前のような軟弱な奴に姉はやれんと鉄拳制裁を……。
なんだこのアホな妄想は。そもそも俺じゃなくてアリシアの姉だ。そこは間違えないようにしなくちゃならない。
「いやあ、まさか。そこまで子供じゃないよ。私だってたまには夜更かししたい時もあるのさ」
「なにそれ。変な口調で言っちゃって」
ヴェルエナは静かに笑った。やがてふっと笑いが消え、やがて真剣そうな、心配そうな。味のある表情に移っていった。思わず居住まいを正す。正座でもした方が良いのかしらん、なんて考える。いやしかし、正座の文化がここにはあるのだろうか。アリシアは実は足が長いタイプだ。確実に正座には向いていない。
「実は少し心配してたんだ。魚に呑まれてから様子が変だし、突然森の中に走り出したりするし……。頭打って変になっちゃったのかなって」
「……変になってたかなあ?」
そりゃ変にでもなるだろう。俺という異物が居るんだから。俺の不安が伝わったのだろう。ヴェルエナは何でもないと両手を振るジェスチャーをした。
「ううん。大丈夫。安心して?
それにしても眠れないかあ。仕方ない。ちょっと外出る? 本当はイケないことだけど。夜風に当たったらきっと気持ち良いよ。村には獣も入れないみたいだし。少し歩いたら……魔法の練習でも良いね。この前、約束したのにほっぽり出したまんまだったし」
「魔法! うんうん! 出る出る!」
「シッ! お婆さんに気づかれるでしょ? まあ、やる気になったようで大変よろしい。世間様は皆アリシアみたいな子は魔法が使えないっていうけど、訓練すれば多少は使えるようになるって私、信じてるんだ」
ヴェルエナはベッドから勢いよく飛び降りた。反動で俺も少し揺れる。そして彼女はしゃがんだ。気づかれるかとひやっとするが、靴紐を結びなおしているだけみたいだった。ほっと息を吐く。
「全部終わったら程よく疲れて、気持ちよく朝まで眠れるよ? そうなったら、勝手にどこかに……洞窟かな。何を見たのか知らないけど、一人で行こうとなんて思えないほどにぐっすりと」
ヴェルエナはベッドの中から軽々と背嚢を引っ張り出し、俺の横に置いた。マットレスが沈み、ことん、と背嚢に寄り掛かる。俺は目をぱちくりさせた。