17
「アリシア、どうしたの。何かあった? 顔色が」
ハッチを開けた俺を見てヴェルエナは心配そうな声で言う。今は顔色が真っ青なんだろうと思う。あの肉虫が外に出てくる。あの化け物集団が三日後に。三日でどうする。いくら人数が居ても勝ち目なんて無いだろう。
剣や魔法とやらで抵抗したとして、数で押し切られるのが関の山だ。
だが他の連中に何て言う。AIは言った。劣化していた隔壁が、俺たちの脱出した衝撃で破損。大幅に耐久度が落ちたと。
俺が生還したから村が壊滅します。先祖代々の住み慣れた土地、温かい家を捨て、さあ皆さん逃げましょう。期日は三日です。
そんな事言えるはずがない。
ヴェルエナを見る。愛らしい顔だ。アリシアを心から心配しているという表情だ。今でさえ道行く男達が振り返る美貌で、成長すれば傾国の美女と言っても差し支えない程になるだろう。
妹愛が異常な点を除けば性格も満点で欠点は無い。両親自慢の娘だと思われた。
「アリシア?」
「大丈夫。大丈夫。ああ、移動しても良いらしいよ。どこに行けばいい?」
青年が大きく手を振った。
「ああ、僕について着てくれ。……本当に大丈夫かい? きついようなら治療院の婆さんにお茶でも」
「いえ、ちょっと座る所が汚くて。もう慣れましたので」
「降りて誘導はできないんですか? 縄にでも繋いで馬や牛みたいに引っ張ったりとかは?」
「子供が無理する事ないだろう」
エルマとローランが言う。だが俺はそれを断った。確かにこいつは単純な命令なら従ってくれる。ついてこい、援護射撃しろ、程度なら自律して動けるらしい。でも俺は降りて歩く気にならなかった。この汚く、広いとは口が裂けても言えない操縦室に一人で居たかった。
「アリシア……」
「ヴェル姉、動かしたいからちょっと蓋閉めるね。上、居たら危ないかもだけど降りる?」
「ううん。ここに居る」
俺のついた嘘が見破られているのか、それとも単純に心配なだけか。ヴェルエナに降りる気は無いようだった。
「そう。ならゆっくり行かせる。しっかり捕まってて」
ハッチに手を掛け、閉めようと力を込める。ヴェルエナがそれを押さえた。
「ん?」
「悩みが有ったら相談に乗るよ? 母さんも父さんも。……気を付けて」
「うん」
よく人を見ているなと感心しつつ今度こそハッチを閉じる。手元の操縦桿付近のタッチパネルに映る青年をタップ。目標として捕捉する。
「彼の誘導に従って。徐行で。くれぐれも上に乗っている少女を落とさない様に、慎重に」
『了解』
青年を追ってゆっくりと歩戦は動き出す。スピーカーからはヴェルエナの驚いた様な声が聞こえた。
『変な歩き方、いや這っているのか? 妙な動きをするなこいつは』
『何ていう生き物なんでしょうね。そもそも生き物なんですか、これ?』
『帝国が似た様なのを作っていると聞いたことが有る。どんなのかは知らんが』
エルマとローランが会話している姿を見た。この二人とはまだ出会って小一時間程度だ。でも、少なくとも悪い奴らではないと思う。ローランの方は怖い一面もあるが、善良で多分子供好き。エルマも優しい少女だ。
はあっと大きくため息をついた。
「逃げるか。彼らを見捨てて? 俺が? そしたらどうなる? 警察、いや。衛兵や自警団か。それらに対応を任せたら、一体どうなると思う」
久しぶりに俺という単語を言葉に出した。違和感を感じるかと思ったが、すんなりと馴染む感覚。
『当該地域の装備の基準は当機が確認した物でよろしいですか?』
「多少上等程度に見積もって。剣や鎧、骨董品の様な銃火器が少々。身体能力はかなり高い。全員オリンピック出れるんじゃないか? 一部は魔法……火炎放射器よりかなり劣る技術が使える」
『魔法という単語の意味が不明です』
「……俺だって信じられないさ。一般人は極々少数に火炎放射器、いや。広範囲を焼けるバーナーだ。数メートルまで届く弱いバーナー程度の火力を持った装備が配備されているが、それを使用する技能が有る者は限定されている。軍や警察は火炎放射器を装備していると仮定」
かなり強く見積もった戦力だ。さて、どうなるか。
『軍の規模にもよりますが最終的に根絶は可能と判断できます。驚異的な繁殖能力を有している為、初動対応が迅速に行えた場合に限りますが。
万が一広範囲に拡散した場合、作戦は長期化かつ大規模。そして甚大な被害を出すと予想されます』
「それじゃあ三日で態勢を整えれば勝てるの?」
『汚染個体の数は数千に及び、基地内部の廃棄された区画内部に広範囲に渡って分布、繁殖しています。今までの事例から、この近隣の敵勢力改め村人の戦力では迎撃は困難と判断されます。隔壁が突破される前に処理できなかった場合、この集落は壊滅するでしょう』
無機質な女の声でAIは言う。機械に感情なんて無いと分かっている。分かっているが、どこか他人行儀に聞こえて苛立つ。
「今までの事例って、村人が穴に落ちて食われたってやつ?」
『はい』
希望が見えたと思ったらこれだ。悔しさや怒り、その他色々な感情が入り混じって自分でも何が何だか分からない。ぐっと唇を噛む。
「どれくらいで増える? その……外に出た場合は」
『この環境下ですと、二日程度で十倍程度に増殖します』
「じゅっ……」
絶句した。異常な速度だ。いや、俺が知らないだけで良くある早さなのかもしれない。
「なら、なぜ増えなかった? あの基地が放棄されて結構な時間がたっているみたいだったじゃないか。もっと多くても不思議じゃない」
『餌が有りませんでした。あの汚染個体-042は確かに食料が少ない場所で生存が可能です。僅かな食料で長期間生育し、繁殖する。しかし餌が一切取れない状況下。あれらは共食いを選んだようです』
「互いを喰いあって生き延びて、たまに入ってきた奴を喰うって事か……」
えぐい生態だと思った。地獄の生き物だと言われても納得できる。
「どうすれば良い……」
『友軍あるいはそれら治安機構に処理を申請しては?』
「軍が居るけど、どうやっても三日以内には無理だよ。一週間必要だ」
この前まで居た漁港には最低限の、警察に相当する戦力しかない。出せて数名だろうし、そもそも信じるかどうか分からない。村人を喰う穴が居るという話はあるが、どちらかと言えば怪談話といったトーンだった。被害が出ない限りは対応しないだろう。
『経年劣化で突破は時間の問題でした。貴官が気に病む必要はありません。数ある選択肢から最善を選び取って今ここに居るのです。行動履歴を見させていただきました。通常なら、貴方は廃棄された通路に入った段階で捕食されています』
「それは慰め?」
AIが人間を気遣うことが出来るとは意外だった。かなり高度なプログラムと言える。自我すら感じさせる。
「どう受け取るかはあなた次第です。しかし方法はあります。基地を統括するAIが最後に受けた指令は汚染個体を隔離し殲滅する事。必要な物資、支援、計画は提供する用意があるとの事です」
歩戦を村はずれに移動し、木陰で待つ事二時間が経った。
太陽が中天に差し掛かる頃だった。歩戦のエンジンがうなりを上げる。エンジンが出力を上げれば上げる程、周囲で見ていた村人や子供たちはどよめいた。機体全体に巻きつけられた縄にテンションが掛かり、引きちぎれないか心配だった。
『当機はこのような土木作業をする為に製造された訳ではないと思いますが』
「……現地支援だよ。信頼を勝ち取らないとある程度自由に動けないでしょ」
感情なんて無い筈なのにどことなくげんなりした口調に聞こえる。それもそうだろう。元々戦闘兵器として開発された機体だ。開発経緯は知らないけど、少なくとも戦車を土木工事する為に開発生産するなんて聞いた事が無い。専門の機材を作った方が良い。
モニターに映った後方の映像を見る。村人が地面から顔を出す大岩に棒を差し込んでいる。てこの原理で持ち上げて、歩戦で一気に引っ張る。そういう手はずだ。
穴を掘っていると聞いて心配になり聞いてみた。
ここは掘っても虫が出てこないよね、と。
『ここの地下に基地施設はありません』
掘っても大丈夫だとお墨付きが得られた。
『頑張れー! お父さん頑張れー!』
『それいっちに! いっちに!』
そんな声援と掛け声が聞こえる。何でもここを整備したいとの事だった。確か畑にしたいんだったか、ろくに聞いて無かったから憶えていない。でも作業内容が分かればそれで良かった。
モニターを見ていると微笑ましく感じて、つい微笑んでしまう。平和な光景だった。捜索隊の中で見た顔が幾つもあった。
バカで変態なのを除けば、ちゃんと父親しているって顔だ。一生懸命汗水流して子供の為に働く。
良いなあ、と思った。こういう光景を見るのは好きだ。対して俺は空調が効いた快適な空間だ。役割分担があるのは分かるが、少し申し訳なく感じる。
奥には村長が立っていた。説明不要。見た瞬間村長だと直感できる仙人みたいな老人だ。腰が曲がり、簡素な杖をついている。ただ、光沢や使い込まれた様子から、大事にしていると分かる。エレナは彼のすぐ横に立っている。時々おじいちゃんと言う単語が聞こえてくるから、村長の孫娘だと分かる。
「ん? ああ、あのエロガキ。派手に腫れさせちゃってまあ」
子供集団にひときわ目立つ奴が居た。頬を見事に腫れさせた子供で、きっと叩かれた直後は真っ赤なもみじが出来ていたんだろう。たんこぶまでこさえた少年だ。時々痛そうにしつつも、
『俺手伝った方が良いかな? 手伝うべきかな?』
『いや、大人がやるって言ってるし。迷惑でしょ』
なんて会話を友達としていた。名前は忘れたが、朝俺に絡んできたエロガキだった。
俺は周囲を見た。モニターに映った機体外部じゃない。母親と一緒に外で心配そうに歩戦を見ているヴェルエナでもない。操縦室内部だ。ヴェルエナが温水を持って来て俺が拭きとった。軍用品で防水加工も完備。濡れ拭き可。
本当ならヴェルエナと二人掛かりでやりたかったが、操縦室は結構狭い。席にでも座れば話は別だが、動き回るのは難しかった。それにAIが俺以外を入れるのを嫌がっていた。
まだ薄汚れてはいるが、それはおいおい綺麗にしていけば良いだろう。無骨だが合理的で機能性に溢れた配置の計器類。主砲残弾二と表示されている。
戦える力がまだ残っているんだ。名前も知らないこいつには。
AIは言った。あの光が連中にとっての毒素だと。あれが障壁になっていたと。なら、あれを基地全体に拡散してやれば勝手に壊滅する。
毒をばらまくだけというシンプルな計画だ。実行するのは誰か。
考えるまでもない。代われるものなら代わってほしいが他に候補も居ない。自分でやるしかない。唯一の作戦要員だ。我ながら随分と頼りないと思う。
またあの基地に入る。虫との遭遇は避けられないと言われた。あの奇怪でスプラッタでグロテスクで、生理的嫌悪が形になった様なナマモノと隠れ鬼をするわけだ。
冗談じゃない。
声を大にして叫びたかった。ふざけるなと。俺がどんな気持ちだったか。もう二度とあの基地には入りたくなかった。もう二度とあの化け物と出会いたくなかった。
歯がガチガチと鳴る音。音の主は分かっている。俺だ。思い出すだけで恐怖に震える。
俺は自分を男だと思っている。だがどうだ。これでは見た目も相まってただの小娘だ。ただの小娘にあの化け物と戦えと言う。
兵士でも勝てるか分からない奴に、ひ弱なガキに歩戦というピーキーな兵器で挑めと!
『お父さーん! もうすっこし! もうすっこし!』
『いっちに! いっちに!』
外からは声援が聞こえ、やがてそれ歓声に変わる。加速した感覚。座席に背が押し付けられる。振動。岩が引きずられる。モニターを見る。大岩だった。
平和な光景だ。見ていると微笑ましい。皆が笑っている。アリシアの家族もどこかほっとしている表情だ。エルマなんてぴょんぴょん跳ねている。
良い村だった。不快で眉を顰める事もあるが、人間なんて汚い面もある。むしろ綺麗な面の方が少ないだろう。それを見てしまったと思えば許せなくもない。それに彼らは変態と言えども、子供一人の為に大勢が協力して探してくれていた。
見も知らぬ子供だ。村人ですらない流れ者のガキの為に。
善良な村なのだろう。田舎は陰険だと聞いたことが有るが、中々どうして気持ちの良い連中だ。そう信じたい。
エルマは良い奴で、ローランは怖いけど、まあ意外と良い奴だ。エロガキはエロガキで救いようがない馬鹿だ。捜索隊は性癖を拗らせたヤバい集団だ。
でも立派に親をやっている連中が多いし、独り身の奴もそれなりに人生楽しんでそうだ。だって大岩一つ動かしただけで満面の笑みで笑っている。
この微笑ましい光景があの虫の餌に成り下がるわけだ。そう、何かも消える。
――俺が逃げれば。




