16
見張りの男達はやってきた俺たちを見た。捜索隊全員の顔を知っている訳ではないけど、少なくとも見覚えのない顔だった。その事に小さな安心感を得る。あの馬鹿どもが居ると余計に話がこじれる。
「ん? あ、エルマ姉ちゃん」
「横の子たち可愛い! 誰?」
「お姉ちゃんもこれ見に来たの?」
「ねえねえ聞いてよ。これ動かないからつまらないよ」
こちらに気が付いた子供たちが一斉に騒ぎ出し、こちらに駆けてくる。
「ちょっと皆走らないの! お客さんがびっくりしてるでしょ!」
エルマは苦笑いを浮かべつつ声を張り上げる。でも効果は無く、突撃してきた子供らに揉みくちゃにされる。
「わあああああ!?」
名前から始まり戦車に乗せろ動かせよ。四方八方から浴びせられる質問やら要求の数々。
いたっ、おい。髪は引っ張るな髪は。つつくな。顔をつつくな!
小学校中学年程度の身長しかないアリシアの体。つまりこの子供らより少し高い程度。そして悲しい事ではあるが、この連中にすら身体能力で劣る。これには愕然とした。この地域、世界に居る連中はどれだけ怪力なのか。
「ほらほら、困ってるから止めてあげようね。ね?」
「皆失礼でしょ! ちょっとダニル! 女の子の髪の毛引っ張るのは駄目! ああニールまで!? 貴方そんな性格じゃないでしょ!」
ヴェルエナとエルマが子供らを俺から離そうと奮闘しているが、焼け石に水だった。この村にまともな奴はエルマと治療院のおばあさんだけなのか。少し目が回って来る。
「チビども! エルマ姉ちゃんの言う事を聞かないとお仕置きだぞ! 木に吊るされたいのか!」
「ひっ!?」
突然響いた雷鳴の様な声に思わず悲鳴を上げてしまった。白髪交じりの、見張りで一番年上に見える男が、鬼の形相で怒鳴っていた。向こうに居る歩戦のカメラユニットがこっちを向くのが見える。兵器ですら反応する気迫だ。
「散れ! 散れ! 母さんたちの手伝いでもやっていろ!」
「は、はい! 散ります!」
子供らは怯えて逃げ去り、直立不動になったエルマも追って村に走ろうと背を向ける。
「いや、お前は散らなくていいから」
エルマを呼び止める。鬼の形相から一転、優しそうな声で言う。少し笑ってすらいる。
「はひっ。あ、ローランさん。村長から村に近寄らせて大丈夫って伝言が」
エルマも慣れっこなのか、すぐに落ち着きを取り戻す。
エルマにローラン。ドイツの名前に今度はフランス系。多国籍と言うべきか節操がないと言うべきか。
今更だけど、言語は聞いたことが無いのに名前だけは馴染みがある響きだ。
「寄らせてって。エルマちゃん。主語が無いよ主語が。まさかこの大きいのじゃないだろう? あの爺さん、とうとう呆けたか……?」
見張りの青年がぎょっとしながら言う。ローランも顔が強張っていた。見張りとは言ってはいるが、多分内心、歩戦が暴れたら止められる自信が無かったんだろう。それを村に近づけるのは、暴れた時止められる存在が居ない事を意味する。よくて壊滅、悪くて全滅という、最悪の未来が頭をよぎっているって表情だった。
「本当か? おい、ロニ、村長の所まで走って聞いてこい」
「分かりました」
そういうや否や、青年は駆けていく。陸上の大会にでも出れそうな早さだった。ふと気になって、ヴェルエナの袖をくいくいっと引いてみる。
「どしたの?」
「ヴェル姉とあの人、どっちが早いの?」
「うーん、多分……私」
凄いなうちの姉。
「立派な紋章が浮かんでますからねえ。見た時、ちょっと驚きましたよ。課程には行かないんですか?」
エルマがのんびりと言う。俺はヴェルエナとエルマ、そしてローランの手を見た。俺が見たい物に気が付いたのか、ローランはすっと手の平を向けてくれる。ごつごつと節くれだった固そうだ。真ん中あたりに青っぽい線が入っている。線は血管の様で、規則性が無い。エルマの物はローランより小さく、線が集まって円の様にも見える。ヴェルエナは広範囲に広がっていて、一部手の平からはみ出して、甲に走っている物もある。不思議と、不気味だとか気持ちが悪いとは思わなかった。
最後に俺の手を見る。異常は何もない、真っ白な手だ。力仕事とは無縁そうな、マメ一つない柔らかい手。
魔法を使うためには紋章が必要だというのがアリシアの記憶。これが無い奴は魔法が使えない。魔法という技術が一般的なこの地域。使えない奴はかなりのハンデを抱える。ある意味劣等と扱われる。表立って言う連中も言えば、言わない連中もいる。
視線を感じて見上げる。エルマが気の毒そうに俺を見ていた。腕にトンっと何かが当たる感覚。ヴェルエナが手を差し出していた。魔法を使うために必要な紋章とやらが目に入る。その紋章が浮かんだ手を隠す様にそっと握る。
ヴェルエナは何とも言えない微笑みを浮かべた。
「うーん。私達市民権無いから。流浪の旅商人って感じ?」
「あー。結構大変じゃないですか? 街に入るときの通行税とか」
「結構飛ぶね。ロメル伯爵のガールナー市は特に酷かった。あれは無い」
「あそこ結構悪評聞きますよねえ。しかも巡礼で教国行くときの最短経路の上にあるっていうのが余計に性質が悪いですし」
ガールナー市について思い出してみる。“俺”が体験した記憶ではないがアリシアが自分で見聞きし、感じた記憶だ。何とも言えない不快感がが蘇って来る。
流浪の身分と知るや、やたらと高圧的になる兵士にあちこちで要求される賄賂。
『旦那、今日という良き日にも関わらず私は素寒貧でして、これじゃあ祝うに祝えない。助けて貰えませんかねえ』
等とにたにた笑いながら金を要求してきた関所の役人の顔。ヴェルエナと俺、いや違う。アリシアだ。これは俺の記憶じゃない。ヴェルエナとアリシアが少し離れた場所で立っていたら飛んで来る値踏みする様な視線。わざとらしい荷物検査。父親がやってきたら途端に笑顔になった。
あいつ、父親が来なかったら絶対吹っ掛けてきていただろう。
アリシアが竜紋教とやらを嫌いになった瞬間だった。
女二人が世知辛い話題で盛り上がっているのを、ぼんやりと聞いていた。自分がこんなに落ち込んでいるのが不思議だった。理由は分かっている。アリシアのコンプレックスを刺激したんだ。それも強烈に。
「おい、小さいの」
「小さいのって言うなし」
呼びかけられた声に反射的に答える。誰が言ったと、見ればローランだった。こっちに来いと言わんばかりに手招きをしていた。柔和な壮年の表情だ。
なんだろうか。日本なら事案になりかねない行為だぞ。だけどまあ、悪意は無さそうだ。さっきの怒鳴り声を思い出す。行きたくないが、行かなくて機嫌を損ねたらまたあれが炸裂するかもしれない。
仕方がない。行くか。
「ちょっと向こう行ってくる」
「え? あ、うん。失礼無いようにね」
ヴェルエナから手を離し、すっとローランに寄る。彼はしゃがんで俺に目線を合わせる。両手に握りこぶしを作り、それを突きだしてきた。
「右と左、どっちか選んでみろ」
突き出された手をじっと見つめる。何かを握っているのだろうか。こういう時は右を選ぶと見せかけて左が多い気がする。ジンクスだ。だが人は疑心暗鬼になると通常とは反対の方を選ぶ傾向が有るらしい。
少し悩み、右手をぺちんと叩いた。
あ、やっちまった。キレる要因になりかないぞ、これ。
「おめでとう、当たりだ。右ははちみつの飴だな」
そう言って手を開くと、包み紙に入った丸い物が有った。ローランの言う通り飴に見える。俺がそれを眺めていると、ほら受け取れと言わんばかりに軽く手を突き出した。
「どうした? はちみつ、嫌いだったか?」
俺はどうした物かと悩む。受け取れば丸く収まるが、それは駄目だという抵抗感が有る。さっさと答えないと怒り始める気がする。早く答えねば。
「知らない人から何かを貰ったらダメって躾けられているので」
「利口だが可愛げが無いチビだな」
答えて、やってしまったと思った。これはやばい。汗がぶわっと噴き出す感覚。視線は更に下へと下がり地面へ。可愛らしいカナヘビが草を掻き分けてとことこと歩いている。滴り落ちる大粒の水滴。俺の汗だ。目の前に着弾したそれに仰天したのか、驚いた様に大きく口を開けると走って逃げた。
無言に耐えられず、上目遣いで盗み見る。ローランは苦笑いを浮かべていた。助かったのだろうか。
可愛げが無いチビ。同感だ。だが利口じゃないだろう。
「チビ――」
「アリシア」
「ん?」
突然自分の名前を言った俺に、ローランは困惑した様だった。
「ローランさんは筋肉白髪って名前じゃないでしょう?」
「き、それに白髪ってお前……」
「わたしの名前はアリシアであって、チビじゃあない」
我ながら喧嘩腰だと思った。チビと言われたのが相当腹に据えかねたみたいだった。図星を突かれるのは人が一番嫌がる事だ。アリシアのコンプレックスの一つに身長がある。ローランは見事にその地雷を踏み抜いた形だ。
でなければ、兵器が思わず反応する程の声量で怒鳴る男に対して、こんな態度はとらない。
かなり失礼な事をしたと自覚する。初対面の人間にこの対応は無い。俺だったらこんな態度はとらない。アリシアだ。アリシアという見栄っ張りかつ精神虚弱で甘ったれの癖にプライドが無駄に高い女のせいだろう。その影響さえなければ、俺は平然と流していたに違いない。
冷汗が滝の様に流れ落ちる感覚。体が左右に揺れる。多分おちょくっている様に見えるんだろう。実際は違う。体が震えてまともに立てない。ああ、やってしまった。そんな後悔が浮かぶ。暑いやら寒いやらで、今の季節が分からなくなる。
この後来るであろう雷鳴の様な怒声を想像し、俺は身構える。鼓膜の一枚や二枚破れるのを覚悟しなければ。
「はあ、悪かった悪かった。アリシア、後ろを見てみろ」
「後ろ?」
おや、これは意外だ。思わず目をぱちくりさせた。
あの子供らに対する態度を見ると、ここで来るのは怒鳴り声の筈。しかし実際はバツが悪そうな表情で、怒りは欠片も見られない。
この男は本来温厚なのだろうか。しかも子供が好みそうな飴を持っているから、子供好きなタイプの。
「ヴェル姉、なにその手……」
「貰って大丈夫よアリシア。ローランさん、ありがとうございます」
ヴェルエナが握りこぶしに親指を立てている。俗にいうグッジョブのジェスチャーだ。今の状況では多分、“行け行けGOGO!”という意味だろうか。肯定的な仕草なのは万国共通らしい。地域、世界を越えるグッジョブのジェスチャー。人間はどこもそう変わらないと実感する。
――未だにここを異世界と認識する事に抵抗を感じる。
「だ、そうだ」
ヴェルエナには俺とローランの会話が聞こえていなかったらしい。
「その、ローランしゃ、さん」
噛んでしまった。アリシアは活舌が悪いのか。締まらん女だ。
「ん?」
ローランは不思議そうに俺を見る。俺は深呼吸をする。よし、ちゃんと喋れる。
「喧嘩腰で、しかも失礼なことを言ってごめんなさい」
やらかしてしまったなら先手を打って謝ろう。声が震えてしまうのはご愛嬌だ。相手は悪意無しだったが、俺は悪意満々で突っかかった。なら俺が悪い。
「別に気にしちゃいないさ。こっちこそ悪かったな。ほら、食え」
「それじゃあ遠慮なく」
ローランから飴玉を受け取り、口に放り込む。
「ほほう。これはこれは……」
顔がほころぶ。俺の知識にある飴は、こんな大雑把に甘い代物ではなかった。だがこれもどうして、中々に美味しい。素朴な甘さだ。はちみつを舐めた記憶は無いが、そうか。こんな味なのか。
「おいひい」
「そりゃ良かった」
暫く雑談をしていると、村長の所に確認をしに行っていた青年が帰ってきた。どうやら土木工事を手伝ってもらうのが、村に近寄らせる見返りの様だった。これだけ大きいなら、力もあるだろう、との事だ。
「え? わたしそんなの聞いてない」
「あ……」
俺がそう言うと、ヴェルエナがやっちゃった、と言わんばかりに声を上げた。ヴェルエナをじろっと見る。多分、今俺はジト目になっているんだろう。俺が見るといつもは視線を合わせるヴェルエナは、珍しくも目を逸らす。
「ヴェル姉?」
「あははは。許可も下りたことだしちゃちゃっと動かしちゃおう!」
ヴェルエナが歩戦へ走った。
「逃げた」
「逃げましたね」
「逃げたな」
俺、エルマ、ローラン。三人の心が一つになった瞬間だった。
「どう見ても鉄の塊じゃないですか。これ本当に動くんですか? 乗り物にしたって、絶対重くて動かないですよ」
「それが動くんだなー」
へっぴり腰で歩戦を見上げるエルマが言う。俺はちょっとどや顔で返す。
「気をつけろよチ、じゃない。アリシア。危ないと思ったらこっちに逃げるんだぞ」
「抱えて逃げるから無理しないでね。安全第一だよ!」
「はーい」
ヴェルエナが最初によじ登り、俺を引っ張り上げる。軽く閉じたハッチを開ける。中を見たヴェルエナの動きが止まった。
「アリシア、本当にここに入るの?」
「嘘だと思うでしょ? 本当なの」
前の操縦者の血痕と思れるどす黒い染みがぶちまけられた操縦室内。そこに新しく俺の血が追加されて、中々にえぐい見た目だった。
「掃除しなきゃね」
「最優先でね」
血は乾燥していた様で、汗をかいたりしない限りは入っても服が汚れる事は無さそうだった。スリープモードなのだろうか。各部のライトは弱々しく点滅しているだけだ。体をそこに滑り込ませる。
「ヴェル姉、ごめん。ちょっと蓋閉じて」
「え?」
「閉じてないと意思疎通できないみたいで……」
これは嘘だ。だが、妹が知らない言語を機械と語り合っている姿を見る姉の気持ちを想像すれば、ハッチを閉じないという選択肢はない。得体のしれない何かに思われるのはごめんだった。事実、俺は得体のしれない何かであるので、反論も出来ない。
「うーん。気を付けてね……」
「分かった」
ヴェルエナは渋々といった様子でハッチを閉じた。すかさずロックする。
昨日ハッチを開けた状態でAIと会話している所を見られていたが、嘘はバレなかった様だ。
一瞬真っ暗に近い状態になるが、すぐに各機材が起動。明るくなる。
俺は一つ深呼吸をする。かび臭い空気が肺に満ちる。
『ご報告があります』
「え?」
出鼻をくじかれた。俺の方から会話を始めようと思っていたが、先手を取られた。だけど、報告とは何だろうか。
『汚染個体-042が隔壁を突破しつつあるようです』
「汚染個体?」
『外殻を肉に覆われた虫です。基地を統括するAIの報告では、最も早ければ三日で突破され、外部に。現在位置に流出するとの事です。直ちに行動を起こす事を提案します』