気付き
お前は、誰にでも優しいと、そう思う。
クラスメイトだとか、友達だとか、見知らぬ人だとか、誰彼構わず親切にする。それは決して見返りを求めているのではなく、本当にただの親切心ってことを俺はよく知っているからその分余計苦しくなる。
お前は、誰にでも平等に接するから、お前の特別って一体誰なんだ、と。
うぬぼれている訳では無いがお前に一番近い距離にいるのは俺だと思っている。クラスも一緒だし、家だって近いし、休みの日に遊ぶことだって多い。未来が俺を嫌っている訳では無いってことはあからさまだった。けれど、それほどに怖くなる。いつかこの境界線がわからなくなって踏み出してしまうのじゃないかと。
踏み出した手前、きっともう戻れなくなる。けれどそれは決して見える境界線ではなく、とても曖昧なものだった。
きっかけなど本当にふとしたことだ。人の心って本当に脆いものと思う。今まで大事に積み上げてきたものが音もなく無様に崩れ去っていく。それはどんなに注意を払おうとジェンガのように一度崩れ去ったら戻ることは出来ないのだ。そして修復することも、また。
高校二年生になって、二回目の体育祭が開催された。去年は学年二位で終わってしまったので今年こそは優勝するぞとみんなが張り切っている。俺は態度には出さなかったものの、優勝に向けてひとり心の中で燃えていた。
みんなでストレッチをしたあとさっそく競技が開催される。最初の競技は100m競走だ。クラス対抗で行われ、1位になったクラスにはたくさん点数が入るから、と一人ひとりに気合を感じられる。俺もまた、例外ではない。
それに走ることには自信があったし、中学校のマラソン大会では毎年一位だった。中学校では陸上部に入っていたが、人間関係がめんどくさかったので高校で部活に入るのはやめて学業に専念することにした。
周囲からは反対されたけど、特に陸上の道に歩みたいと思っていたわけではなかったので未練などは特になかった。集団の中で切磋琢磨しながら走るのが好きなのではなく、ただ単に走る事が好きなだけだ。
それぞれがレーンに並び、準備する。誰かと競って走るなんて、久しくなかったから中学校の頃を思い出してすこしワクワクする。
「よーい、どん」
みんなが一斉にスタートした。頬に風が当たって冷やされていく。やっぱり走っている時のこの感じが一番好きだ。自分が生きているということを感じられるから。どんどん足を早め加速していく。あっというまに2位との差が開く。
「佐々木ー!いいぞー!」
「優!いけー!」
という声が聞こえてくる。これもまた、運動会の醍醐味ではないだろうか。一人で走るのも好きだけど、たまにはこういうのも悪くないと思った。
ゴールテープ直前、誰もが勝ちを確信した瞬間だった。
俺は盛大にこけてしまった。何が起きたのかわからなくて世界が反転していく様を見ながら自分がコケたということを理解したのは足に鈍い痛みを感じてからだ。
俺は100m走でゴールの手前で盛大にこけてしまった。
不幸中の幸いなのか、ゴールテープの直前でコケたので正確に言えばゴールテープを巻き込んでの転倒になった。つまり順位は一位。
ドッと笑い声が校庭中に響いた。こんな恥ずかしい経験など中学校の部活でもない。俺は恥ずかしさから耳まで真っ赤になってしまった。そして、はやく保健室に行かなければと気付いた。
傷は放っておくと、菌が入り込み大変なことになってしまう。本当は終わった順に並ばないといけないのだが、先生に言って保健室へと向かった。
「佐々木くん、見てたわよ」
手当をする時に先生は保健室の中から見ていたらしく、堪えられなかったみたいで手当をしている途中で笑い出した。消毒液を奪い取って目にかけたい衝動に駆られたが、俺の怪我よりもひどいことになりそうなので我慢した。
「でも一位じゃない、しかも圧勝で」
先生は慰めなのか本当にそう思ってるのか知らないけど、そう言った。
俺は一位だったけど結果的に恥をかいてしまったので喜ぶべきなのかそうではないのか、皮がめくれて血が出て肉が露出している膝を見て複雑な気持ちになった。思ったよりも結構深い傷だった。
手当してると保健室のドアが開いた。俺の他にも怪我した奴がいたのかと思って振り向いてみるとよく知っている顔が目に入った。未来だった。
「優。大丈夫なの?」
心配そうな未来の顔が目に入る。
「お前、100m走はどうしたんだよ」
「もう終わったよ。俺、保健委員だから見てこいって先生に言われて来たんだ」
ああ、そうだ。未来は保健委員だった。
先生に言われたから、見に来た、か。他のやつに言われてもなんとも思わない言葉が嫌に胸に突き刺さる。
「まあ、保健委員じゃなかったとしても、来るつもりだったけどね」
照れくさそうに頬をかきながらそう言う未来を見て、眩暈を覚えた。頭がくらくらする、傷の痛みなどもう忘れてしまった。
なあ、お前はきっと、他の奴が怪我をしたって、そうやって優しい言葉をかけるんだろう。
そんな卑屈なことを考えてる自分に、酷く狼狽した。本当はこんなこと考えたくないのに、なんで素直に来てくれたことに対して、未来の言葉に対して喜べないんだ。
そして、俺はこの時やっと初めて自分の気持ちが決して曖昧なものじゃないことを、友人として未来のことが好きなのではないことに気付いてしまった。
いや、本当はもっとずっと前から気付いていたのかもしれない。でも、自分自身に気持ちを塞いでやり過ごしてきた。けれどそれももう限界だった。
「先生、俺、もう大丈夫なんでそろそろ戻ります」
「あら、ほんと?でも無理しちゃダメよ」
これ以上この場にいれる自信がなかった。一人で考える時間が欲しかったが体育祭の今日じゃ無理だろう。それならせめて、騒がしくて何も考えられない場所に行きたかった。
「優、大丈夫?」
「大丈夫だよ。俺、水飲んでからそっちに行くから先に行ってて。来てくれてありがとな」
「でも…」
「ほんとすぐ戻るから」
「分かった、じゃあ先に行ってるね」
未来は少し腑に落ちない顔をしていたが、今未来とふたりきりになる訳にはいかなかった。
「…っふう」
冷たい水で顔を洗うとさっきよりは幾分冷静になってきた。
「俺は…未来のことが…」
好き、なんだ。
俺は、これからどうすればいいのだろう。どんな顔をして未来と話せばいいのだろう。今まで通りに出来るだろうか。そんなことばかりが頭の中を駆け巡る。考えたってどうしようもないのだけれど、考えずにはいられなかった。本当はもう少しひとりでいたがったがあまり長居してもあれだからとりあえず戻ることにした。今日を、まともに過ごせる自信が無い。
会場に戻ると、丁度100m走が終わったところだった。本当はみんなの走りも見たかったのだけど、怪我をしてしまったからには仕方ない。それに、俺はもっと大変なことに気付いてしまった。これからどんなにアクシデントが起きようと、きっと、何も敵わないほどの大変なことに。
はじめまして、なかと申します。
読んでいただけるだけでもヘドバンするくらい嬉しいですが、感想を頂けると昇天します。
拙い文章ですが頑張って書いていきたいと思います!
よろしくお願いします( _ _)