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かまいたちマミヤの冒険  作者: saksan
1/22

出会い

遥か遠い未来。廃退した集落で狩りを生業にして生きるテツオは、女剣士マミヤと出会う。彼女との出会いをきっかけに、テツオの冒険が始まる。

・序

 僕の目の前には女神と見まがうほど美しい裸の女が身体を濡らせ立っていた。

 小顔で、黒く大きな瞳は愛くるしい瞬きをする。普段はきつく結っている長い黒髪は腰までたれている。身体はとても高く細く、手足が驚くほど長かった。

 そして小麦色の肌には、無数の刀傷があった。

 女との出会いを境に、僕の日常は燃え尽き、冒険の旅が始まった。



 夜明けと共に目を覚まし、猟の支度を始める。

 僕は〝狩人〟を生業としている。文字通り動物を仕留めて食糧を調達するのが日課だ。

 僕の住む小さな集落には、三十世帯ほどの人々が住んでいる。

「やあ、おはようテツオ。今日も狩りかい」

 小屋から顔を出したタキジ爺さんと挨拶を交わす。

「テツオくん、帰ったら寄っておいき」

 くわを肩にしたミネさんだ。野菜を分けてくれるのだろう。

 何処もそうなのだろうが、僕の住む集落も高齢化が進んでいる。ミネさんのように野菜を育てたり、森の野草や果物、キノコ類や木の実を採取する年寄りは多いが、獣を追う体力がある者は少ない。僕はまだ十六歳だがその数少ない〝狩人〟の一人だ。もちろん狩りの途中で植物を採取することもあるが、僕は目利きが出来ない。老人達が採ってくる食に適したものを、僕が捕ってきた獲物と物々交換する方が安全だ。食用肉は貴重なので老人達にも喜ばれる。

 僕の集落は荒野――乾いた大地――に囲まれ、荒野の果てには森林が、集落を中心に十字の星座のように東西南北に生い茂っている。皆は北の森、東の森などと呼んでいる。動植物はその森林から獲れるので、僕達の集落はその森林に生かされているといえる。

 今日は北の森へと猟に出た。出で立ちは日射避けと迷彩服を兼ねる緑色のマントと、かなり大きめな円盤状のつばを持つ麦わら帽子だ。北の森に限らず森林には危険な肉食獣がいる。奴らは油断していると突然襲ってくるので細心の注意が必要だ。肉食獣は仕留めても食用には向かない、焼いても臭くて食べられたものではないからだ。

 狩人の狙いは草食動物だが、奴らも一筋縄にはいかない。とにかく呆れるほど警戒心が強く、奴らを仕留められるようになるには長い年月と経験が必要だ。

 森にも危険はあるが、その森を越えた先にある草原はもっと危険だ。迂闊に歩いていると野盗に出くわす。

 この頃は野盗の出没が増えたらしい。僕らの天敵だ。身ぐるみ剥がされ帰ってくる者が圧倒的に多いが、出掛けたきり帰ってこない者もいる。二三日前からキミカが帰っていないという話を聞いた。キミカは弓矢を使う狩りの名手だったが戦闘に関しては素人だ。きっと野盗に襲われたのだろうと老人達は言う。野盗の狙いは野草や動物など獲物だけで滅多に人は殺さないはずだが、と首を傾げる者もいる。

 明らかに殺傷目的で襲う集団もいるそうだ。その場で殺される場合もあれば、拉致される場合もあると聞く。女だから、子供だからというはっきりした区別もないようだ。だとすると何のために。考えても仕方がない。とにかく奴らに見つからない事、それだけを考えていればいい。

 僕の狩猟にはこぶし大の石を使う。茂みの向こうにウサギがいた。やっと見つけた恰好の獲物だ。風向きを意識してゆっくり、ゆっくりと遠回りをしながら近づく。距離が射程内に入った。握っていた石を投げる。石はウサギの脳天に的中、ばったりと倒れた。急いでウサギに近づき、大きめの岩を拾い上げ、脳先の頭蓋骨をたたき割る。最初の投てきが脳しんとう程度で、気を緩めた隙に逃げられたことが幾度となくあったからだ。

 絶命したら血抜きをする。あまり楽しい作業ではないが、これをしないと固くなり食べられなくなってしまう。血抜きをしたら腰紐に巻いて歩く。これで今晩の食料は安泰だ。日はまだ高い。もう一匹仕留められるかもしれない。

 西の森には〝聖なる泉〟と呼ばれる水源がある。集落では泉に棲む生き物の漁を禁じている。泉は聖なるもので、そこの棲む生き物は聖なるものの化身だ。なので間違っても食用などには獲ってはいけない。だから僕は川魚を獲って食べたいとは思ったことがない。

 日射しが西に傾いてきた。残念だがそろそろ撤収の時間だ。野盗のことを考えると、薄暗くなってからでは遅すぎる。家に帰って夕刻を迎えるのが無難だ。狩りを諦め家路に着いた。

 集落へ帰るとカジヤンが声をかける。

「おお、さすがだな。今日も獲れたか。俺なんかネズミ一匹捕まえられなかった」

 僕は笑って答える。

 僕の家は木造で階段にして三段ほどの高さの高床式住居になっている。高床は雨の浸水を防ぎ、害虫害獣避けも兼ねている。昔は大工と呼ばれる建築を得意とした者がいたそうだが今はいなくなってしまった。僕らは自分達で家の修復もしなければならない。かつて両親も住んでいたこの家は、かなり広い造りになっている。

 獲物を家に持ち帰ると、早速家の裏地でたき火をおこしてウサギの始末をする。皮を剥ぎ内臓を取り出すのだが、情けない話だが僕はこれが苦手だ。未だに胃からすえたものがこみ上げてくる。石の投てきは得意だが、ナイフの使い方はてんで様にならない。慎重に剥いだ皮は固くならないうちに壁に釣るしてくさびを打ち付け、型を固定させる。僕の下手な剥ぎ方では大抵肉片が残っているので、小まめに取ってやらないと毛皮そのものが腐ってダメになる。ずいぶん前から家の壁は捕らえた動物の毛皮だらけだ。時には物々交換の品になるが、寒い季節はたき火や囲炉裏を節約して暖を取れる。可愛らしいウサギだった肉の塊を火で炙り、僕はようやく一息つく。

 僕の父親も狩人だったそうだ。母親の役目はわからないが狩りには必ず付いていったと、両親を失ってから何かと面倒を見てくれたタキジ爺さんが教えてくれた。だからというわけではないが、僕は自然狩人を選んだ。

 両親は野盗に襲われたと聞いている。遺体が見つかっていないので拉致されたのでは、とタキジ爺さんは言っていた。子供の頃はよくわからなかったが、今は虚しい憤りを感じる。

 僕は狩人のノウハウのほとんどを自身で会得した。まともに獲物が捕まえられるようになるまで、食料の面倒を見てくれたタキジ爺さんやミネさん達の恩は忘れない。だから恩ある人々には、無償で肉や毛皮をわけてやっている。結局、お返しという名目で食料をもらってしまうのだが。

 残ったウサギ肉を日持ちするよう炙り終わると家に戻り、肉の一部を裂いて食事にする。肉ばかりだと胸焼けがするので物々交換をした野草やキノコも食べる。食事を終えると、油で満たしたランプを消して藁で出来た床についた。明日も獲物にありつけますように、と願いながら。

 これが僕の日課であり、全てだった。


 今日は飲料水を得るため西の森の〝聖なる泉〟へと向かう。一樽で一週間は過ごせるが、万一のことを考えて大概は四五日に一度汲みに来ている。今日も日射しが暑い。日射避けマントと帽子を被っているが、水を背負う帰路はだいぶ辛いだろう。

 桶で水をすくっていると水の跳ねる音が聞こえた。最初は野鹿がいるのかと思ったが、様子を窺うと明らかに違う。人間だ。腰まで使って水浴びをしているように見える。相手が何者かと思う前に怒りを抱いた。ここは飲み水として利用できる貴重な水源だ。水浴びなど桶に蓄えた雨水で十分間に合う。文句を言ってやろうか。僕は石を握りしめて水浴びしている人間に近づいた。が、水草が足に絡まり思い切り水の中へ転んでしまった。その音で相手もこちらに気づいたらしい。近寄ってくる気配を感じ僕は慌てて顔を上げる。

「あーら、あらあらあら」

相手は大仰に声を上げる。

 声を上げた相手は全裸の女だった。小さな顔、黒く大きな瞳、同じく黒く腰まで届きそうな長い髪、灼けた肌。小ぶりな乳房、細い胴のくびれ、それを支えるに丁度いい腰つき。なにより背が高く細く、驚くほど手足が長い。

 何か言わなくてはと僕は焦った。

「こ、ここの水は貴重な飲み水なんだ。み、水浴びなんかしちゃいけないんだ」

 女は僕の顔をのぞき込み大きな瞳をぱちくりさせている。まさか言葉が通じないのだろうか。

「ごめーん、知らなかった。久々の泉だったんで、ついね。ごめんごめん」

 最後の言葉を言い終わらないうちに女は背中を向けて歩き出した。やや奥まった場所に荷物があるようだ。女は泉から上がり、手ぬぐいで身体を拭いている。濡れた身体をぬぐった女は、

「ちょっと待っててね」

 と草むらの奥に隠れ服を着始めたらしい。さっきは全裸で平気だったのに服着る姿を見られるのは恥ずかしいのだろうか。よくわからない女だ。僕は水から上がり、濡れた衣服を申し訳程度に絞った。

 水を汲みながら先ほど見た女の身体を思い浮かべた。美しかった。そしてそれ以上に目をひいたのが傷だらけの皮膚だった。手足胴肩、いたるところ切り傷だらけだった。多くは刀傷の様だが、深手と思われる傷は皆無だった。もちろん拷問を受けたような傷ではない。

「百戦錬磨の闘士」

 僕が連想した言葉だった。だがその言葉と女の表情、肉体的イメージはかけ離れ過ぎている。闘士といえばもっと筋骨隆々で重々しく荒々しく傷跡ももっと生々しく眼帯などして……

「おまたせ」

 ぼんやり思案しているうちに女はいつの間にか目の前に立っていた。真っ白なシャツを着て裾を腰の辺りで絞り、革製の短パンを履いている。へそも見えてなんだか露出度が高い。長かった髪の毛はややこしい巻き方で後頭部に固く結ってある。右足はくるぶしまでの丈夫そうな靴、左脚は膝まで伸びた固そうなブーツを履いていてアンバランスだ。手首にバンドで締め、何故か首輪もはめており、腰には小さな麻袋がぶら下がっている。闘士どころか村一番の美女と入った趣だ。僕は女が腰のベルトにぶら下げている〝棒〟に自然目がいった。なんだあれは。  刀には見えない。細い鉄棒だ。この女は棒を腰にぶら下げているのか。いや、腰に当たっている部分にはグリップがある。ラバーの材質で、ただ巻き付けてあるのではなくサバイバルナイフのように〝握り〟がしっかりかたどられている。棒とグリップの境目にはしっかりと四角い(つば)がある。そして〝棒〟先端部分は……。はっきりとは見えないが何か細工がしてあるようだ。

「ああ、これね。みんな驚くわ。子供のチャンバラごっこかよ! なんてね。あはは」

 女は屈託もなく笑った。

「何に使うんですか?」

「もちろん、チャンバラよ」

 女は浮かんでいる水草の花を指差し、〝棒〟を握った。刹那水辺に向かって風切り音を立てて〝棒〟を振り剣閃のような残像を残し、何事もなかったように元の腰に治めた。

「な、何も見えなかったんですけど」

 惚けた声を出すと、

「そっ?」

 と女は片足を水につけ水面に波紋を作った。同時に水辺に咲いていた花びらがハラリと一枚ずつ落ち、茎だけが残った。

 僕は言葉を発することが出来なかった。あの〝棒〟で花びらを切ったのか? あの一瞬で、あんな丁寧に。何故〝棒〟で切れるのか?

「これ一応刀剣の一種なの。あんま人に見せるもんじゃないけど、今回は迷惑かけたから特別に。内緒よ」

 女は可愛らしい瞳でウインクした。

「あなたは?」

「この森の東にある集落に住んでいる狩人です」

「あら、丁度良かったわ。一人旅も飽きてきたし、そろそろちゃんとした食事もしたいし」

 何を言っているんだ?

「あなたのうちまで案内してよ」

「はあ!」

 僕は思いきり抗議の声を上げた。

「私の裸を見て、滅多に見せない剣技まで見せて、はいさようならは寂しいじゃん」

 やはり剣技だったのか。ということはこの女はやはり闘士、いや剣士か。あまりお近づきになりたくない。

「見たくて見たわけじゃありませんし、集落に連れて行く気もありません」

 僕の文句に女はにこりと笑った。

「そんなこと言わないで。一人旅が長くて人恋しかったの」

 細長い手を伸ばしてきた。

「私の名前はマミヤ。よろしくね」

 一瞬何のことかわからず面食らったが、どうやら握手のつもりらしい。僕の拒絶は完全に無視されている。自分勝手な女だ。

「テツオです」

 しぶしぶ左手を伸ばし握手した。女の掌は小さく、指は長くて細くて頼りなかった。

 水を汲み帰路につくとマミヤは当たり前のように付いてきた。もう勝手にしろと思う。

「テツは何歳?」

 あだ名までつけられた。

「十六と聞いてます。マミヤさんは?」

「二十代」

 それくらいは見てくれで分かるが、興味なかったのでそれ以上は聞かなかった。

 並んで歩くと僕の身長はマミヤの胸元までしかない。なんだか情けなくなる。水樽を担いでふらふらしている僕に、マミヤは手を貸そうともしてくれない。そもそも一人歩き離れているので全く気にならない。

 森の奥に鹿がいた。運試しと思い石を投てきすると子鹿の脳天にヒットした。だが鹿の頭蓋はウサギとは違うのですぐに起き上がり逃げられてしまった。

「おー、すごーい!」

 マミヤが驚嘆する。

「あの距離からこの暗がりで獲物の急所をジャストミートとは、恐れ入ったわ。テツは石を投げて狩りをするんだ」

「はい。ところで家に帰っても、食事はウサギの干し肉くらいですよ」

「十分ご馳走でございます」

 マミヤはきれいな歯をむき出しにしてニッと笑った。

 集落に帰るとタキジ爺さんやカジヤンが目を丸くしていた。


「用心棒?」

 囲炉裏に座って固くて味のしないウサギ肉を食べながら聞き返した。仕方がないのでマミヤにも分け与える。

「そっ。これでもちょっとは名の知れた剣士なのよ。でも剣の腕だけでは旅の間おいしい食事にありつけない。旅先の食事は木の実やキノコの類いばっかり。たまにはお肉も食べないと身体が持たないでしょ。だから命を守る約束の見返りとして、狩りが出来る人のご厄介になるの」

 マミヤは僕の左に座り、肉を食いちぎりながら説明する。

「え? ってことは、マミヤさんは僕と」

「うん。私はテツを守る。テツは私に食事を与えてくれる。シンプルでしょ」

「ちょっと待ってよ。僕は何も頼んでないし、いきなりそんなこと言われたって」

「んー、テツは本当に私を必要としていない? だったら他を当たるけど」

 腕組みして考え込んだ。狩りで得た食料が半分になってしまうのは大打撃だが、命あっての物種だ。この集落では一人、また一人と住民がいなくなっている。そのほとんどは野盗に狙われた結果だと言われている。

「言っとくけど、私、相当強いよ」

 問題はそこだ。口では何とでも言えるが実力を伴わなければただの居候だ。

「取り敢えず仮雇用という形で、危ないところで活躍してくれたら本採用というのは」

「全然かまわないわ」

 マミヤは頭に腕を回して横になって言った。

「絶対、後悔させないから」

 不敵に微笑む。どっからその自信が出てくるのかわからないが、なんだか頼もしい。隠すように置いてある花びらを切った〝棒〟に興味を持ったが、剣士の得物に触れるのは失礼だと思い、手を伸ばすのはやめた。

「じゃ、契約成立ってことで」

 マミヤは起き上がり再び握手を求めた。マミヤの細い左手を握り返す。用心棒と呼ぶには少し頼りない柔らかな感触だが、握力は力強い。命を預けるとまではいかないが、少しは頼りになるかも知れない。

「用心棒は副業。それ以外にもう一つ本業があるのよね」

「本業って?」

「テツはこの集落からほとんど出たことがないでしょう」

「うん」

「そのうちわかるわ」

「はあ」

 なんだかさっぱりわからないが、集落を出るつもりのないのでマミヤの話を受け流した。

「それはともかく」

 マミヤは軽く身を乗り出した。

「用心棒がつくと、狩り場が広がるわよ。興味はあるけど近づけなかった狩り場、たくさんあるでしょ」

 僕はうなずいた。四方の森のその先には動植物がより多く棲む森林がたくさんあると聞く。しかしそこまで遠征するには野盗に出くわす危険が高すぎて容易に行けない。実際苦労して得た食料を野党に身ぐるみ剥がされた者もいる。集落の人口が減っているのは無理に遠出して襲われたのだという噂もある。無事獲物を持って帰れた者も、二度とあんな危険で辛い目に遭いたくないとぼやいていた。

「そこで私の出番です。人間でも動物でも、危険な奴らが来たら全部退治してあげるから。心置きなく狩りに集中して」

 なるほど。遠出が出来て獲物が増えれば、食料を分配もさほど影響はない。なんだかわくわくしてきた。

「退治って。動物はともかく、人間に襲われたら」

「威嚇はするわ。まぁ大抵は襲ってくるでしょうね。そしたら」

「そしたら」

「殺すだけ」

 恐る恐る聞きたかったことをさらっと言ってのけた。

「それはちょっと」

「テツ。この集落に住んで、何人の人がいなくなった?」

「……」

「私だって好きで殺生しているわけじゃない。治安も法律もないこの世の中、殺らなければ殺られるのよ」

 マミヤはまた腕をまくらにしてごろんと横になった。

「今まで、どれくらいの人を殺めたんですか」

「五十から先は数えていない」

 マミヤはつまらない質問につまらなそうに答えた。僕はため息をつき、久しぶりにこの世に生まれた不幸を呪った。

 昔は――どれだけ遡るのかは知れないが――国というもの、法律というもの、治安というものがあったらしい。いや、今もあるところにはあるらしい。いずれにしても僕のいる集落には無縁な話だ。

 囲炉裏の灯が赤々と熱を発している。そろそろ寝支度をする時間だ。マミヤに普段使っている藁で出来た寝床をすすめたが、マミヤは頑なに遠慮した。

「テツはいつも通り寝て。私は隣の部屋の床で十分だから。旅路での寝泊まりは野宿が当たり前だしね」

 普段使っていない、過去には両親が使っていただろう隣室を指して言う。

 僕は毛皮をつなぎ合わせた手製毛布を、これだけでもと渡した。

「ありがとう。とても助かるわ」

 マミヤは優しく微笑んだ。寝る時マミヤは髪留めを外すらしい。長い黒髪か彼女の小顔をいっそう際立たせる。髪を解き僕の視線に気づくと笑い返してくれた。

 これが五十人以上を殺した女の笑みなのだろうか。人殺しどころか若く美しい女神の微笑に見える。そういえば素性を聞いていなかった。けれどたぶん答えないだろう。僕自身も話したくないし、話すほどの過去はない。

 食事の最中、明日早速新しい狩り場へ行ってみようという話になった。どんな場所でどんな動物がいるのだろう。今からもうわくわくしている。野盗と鉢合わせしたらマミヤはどんな活躍をするのだろう。それすらわくわくの対象になっていることに気づき自省する。何も起きないことに越したことはない。

 部屋のランプを消して隣の部屋に「おやすみ」と声をかけたが、マミヤはとっくに寝息を立てているようだった。


 いつも通り日が昇る頃に目を覚ました。マミヤの姿が見えない。外へ出てみるとマミヤは体操をして身体を暖めていた。柔軟や軽い腕立て腹筋など、さすが剣士と名乗るだけのことはある。自身の体調は常に万全にしているのだろう。しなやかで美しい身体に見とれていた。

「おはよう」

 僕に気づいたマミヤはにっこりと微笑んだ。この笑みが苦手であり同時に眩しくもある。僕は自身に芽生えつつある感情をよこしまなものと断じて首を振る。

「おはよう」

 挨拶を返し、柄にもなくマミヤと並んで柔軟体操をした。

「昨日は寝られましたか?」

「お陰様で。旅して回ってると野宿が当たり前だからね。屋根の下で、毛布まで頂いて寝るなんて久しぶり。たっぷり休ませてもらったわ」

 マミヤは体操を続けながら答える。

「じゃあ今日は」

「うん。昨日の話通り、西の森のその先に行きましょ」

 僕が住んでいる集落の果てには森が点在し、西の森にはマミヤと出会った〝聖なる泉〟がある。そして西の森からさらに西にはもっと大きな森〝以西の森〟があると言われている。その森はまだ手つかずと言われているほど人の侵入がないらしい。理由は西の森から以西の森に至る道のりに広大な草原があり、野盗を生業としている連中が多いと言われているからだ。それがどこまで本当なのか、噂が一人歩きしているのではないかという人達もいたが、以西の森に足を運んで帰ってきたものはいないと言われている。昨日この話をマミヤにすると

「じゃあさっそくその以西の森とやらに行こう」

 と目を輝かせて言った。僕としてはもう少し危険度の少ない地域に足を運びたかったが、

「それじゃあ私が同行する意味ないでしょう」

 と一蹴されてしまった。


「私はいつでも行けるから。テツも準備が出来たら声をかけて」

 マミヤは体操しながら言った。僕はいつも通りマントを羽織り麦わら帽を被る。もちろん石も忘れていない。ただ大猟を期待して麻縄を多く用意しておいた。

「じゃ、行こう」

「うん」

 マミヤは遠足に行くような軽いのりで返事をした。

 西の森――二人が出会った〝聖なる泉〟――までは順調だった。泉はそのまま通過するつもりだったがマミヤが

「ちょっと待ってて」

 と足を止めた。いきなり休憩かと思ったら、マミヤは泉の水で顔を洗っていた。失敗した、と僕は思う。顔を洗う水くらい家にあったが、普段僕にそういう習慣がなかったので気づかなかった。言ってくれればと思いつつ、マミヤの性格は大胆なのか慎ましいのかよくわからなくなってきた。

 その後歩き続け、西の森の端、僕のテリトリーの先端まで来た。ここから先は広大な草原が広がっている。地平線の先にはなにも見えない。〝以西の森〟は噂を基に勝手な目算すると少なくとも二時間以上はかかるだろうが、まだ日は明けたばかり。天頂に至るまでまだだいぶあるので時間的余裕は十分だ。それに早起きの野盗はいない、とタキジ爺さんは言っていた。そもそも手ぶらの狩人を襲っても仕方ないだろう。案ずるのは帰路だ。

 マミヤも同じ考えなのだろう。

「さ、行きは気楽に進みましょ」

 と、さっさと歩み始めた。

「日が天頂に至るまで、を目安に行こう」

「ええ、それでいいわ」

 マミヤは素直に同意した。

 森の空気は密度か濃く湿っているが、草原の乾いた風は清々しい。昨日までこの草原は僕にとって恐怖の対象でしかなかったが、「自称用心棒」のお陰で景色が変わって見える。コンパスで確認しながら進む風景は緑色の大地、これから明るさを増す青い空、白い雲、全てが新鮮でいて何故か懐かしい気分になる。マミヤはこんな光景を眺めながら一人で旅をしているのだろうか。それを思うとなんとなく寂しげに感じる。そういえば旅の目的も聞いていなかった。聞いたら答えてくれるだろうか。きっと曖昧にはぐらかされるだろう。そんな気がした。

 マントの内側は軽装だがそれでもかなり汗ばむまで歩いた。道中の見晴らしは草原以外何も見えない。あまりの何も無さに本当に森はあるのか疑わしくなる。森林を歩き慣れているはずの身体が疲労を訴え始めた頃、

「おっ」

 マミヤが何か捉えた。

 地平線の中央から、近づくほどに幅広く森林が生い茂り、遂には視界全てが緑の森となった。

「ひ、広い!」

 僕は声を上げた。西の森も、南の森も、これほど広大ではない。気分は最高潮に高ぶっていた。

「よっし、それじゃあ」

 マミヤは僕を見てニッと笑った。マミヤの笑顔で以心伝心、お互い心の中で(いっせいのっ)と合図し、

「競争だ!」

 二人出掛けだした。

 マミヤは速い! 左右非対称の靴で草原の砂を蹴散らしながら韋駄天のように疾走する。体格的特徴からして敵わない上に日々の鍛錬が違うのだろう、見た事もない走法であっという間に森へと吸い込まれていく。今更待ってくれとも言えないし声も届きそうもないのでひたすら全力で走った。

「テツ、おそーい」

 マミヤは森の入り口で靴の手入れをしていた。

「マミヤ……さんが……速すぎるん……です……」

 息も絶え絶えだ。

 僕は息を整えてから、森へと侵入した。コンパスで方角を確認し、なるべく進入路の景色を目に焼き付ける。狩人が森で迷子になっては洒落にもならない。マミヤは特に気を配っている様子がなかった。慣れているのか僕に任せているのか。

 獣道さえはっきりしない森を歩くのは初めてだ。慎重に一歩ずつ気配を探りながら歩いて行く。マミヤは僕に任せっきり、辺りをキョロキョロつまらなそうによそ見している。ある意味道中頼りなく、ある意味ボディーガードとしては優秀なのかも知れない。

「あっ」

 気が付くと目の前に野鹿がぽつんとこちらを窺っている。思わず立ち止まってしまった僕の背中に、マミヤの身体がドスンとぶつかった。

「ん?」

 マミヤも気づいたようだ。

 野鹿の余りの無警戒ぶりについ、

「あの~」

 と声をかけてしまい、その瞬間に鹿はフッと逃げていった。

「あなた本当に狩人?」

 マミヤに失笑された。

 この森は僕の知っている森と明らかに違う。動物の警戒心が緩い。緩いと言ってしまうと迂闊と聞こえるがそうではなく、警戒領域が狭いように感じる。ある程度逃げられる範囲に寄って来るまで相手の様子を窺う。これは石や弓矢で襲われた事がない、つまり人間に襲われた事がないのだろう。

(ラッキーだ、最高の猟場だ)

 行き帰りの危険な道中を加味するとラッキーではなくリスキーなのだが、気分はますます高ぶった。

 次に出会った鹿は大きすぎるので見合わせた。出来れば子鹿を仕留めたい。それには群れを探す必要がある。僕とマミヤの嗅覚や、糞の跡を確認しながら森を分け入る。奥まったほとんど光の届かない草むらに鹿の群れを見つけた。子鹿もいるようだ。昨日の再現になる。こんどこそ、と心臓は高鳴る。やはりこの森の動物は警戒心が緩い。僕の慣れた森の時よりかなり近距離まで群れに近づけた。

 子鹿がはしゃぐように跳ね、偶然こちらに近づいてきた。僕はここぞとばかりに渾身の力で石を投げた。狙い通り脳天に直撃しばったりと倒れる。全力疾走し急いで子鹿の頭蓋を割った。成功だ。興奮冷めやらず深い吐息をついた。

「お見事。こんな石投げの名手には会った事ないわ」

 マミヤの言葉に笑顔で頷く。

「集落のみんなにも振る舞ってあげたいから、もう少し狩りを続ける」

「この鹿だけで相当の荷物よ」

「鹿は引きずって歩くよ。滅多にない獲物だから。後は小動物を狙う」

 鹿の血抜きをして前足二本、後ろ足二本を縛り、なおかつ長い麻縄で前後の足をつなげて縄を肩にかけ、引きずって歩いた。地面に接している部分は擦れて毛皮の価値はなくなるが、担いでは歩けないので仕方が無い。

「鹿は最後に仕留めれば良かったね」

 全く手を貸してくれないマミヤが言う。それもそうだ、と苦笑いする。

 この後ウサギ一匹、珍しいのでタヌキを一匹、キツネを一匹仕留めた。雑食動物なので味の程は期待できないが、いい土産話になる。僕は三匹の小動物を腰に括った。獲物の重量で歩みは遅いが、心は有頂天だった。


 太陽が天頂から西に方向き始めた。そろそろ撤収だ。さすがに一歩歩くのも重労働だが、大猟だった浮かれ気分の方が勝っている。

 以西の森を出て、まだだだっ広い草原を歩く。

 マミヤは決して手を貸してくれない。獲物を持ち帰るのも狩人の仕事だと言わんばかりだ。ともあれ期待はしていなかったし、独りで獲物を運ぶのは慣れている。気合いと体力の問題だけだ。

 延々と思える西の森までの草原の道のり、荷を持つ身体が疲弊してきた頃。マミヤの顔がぴくんと左を向いた。

「おいでなすったわよ」

 僕もほぼ同時に異音に気づいていた。獣の走る音とがらがらと車輪が回る音が聞こえてくる。本当に来た。野盗が迫ってきている。走って逃げ出したいがこの大荷物では歩くのがやっとだ。せっかくの獲物を置いて逃げるのもくやしい。マミヤに期待するしかない。

 不安いっぱいでマミヤを見つめる。

「やっと私の出番ね」

 マミヤは首を鳴らし肩を回す。屈伸している顔つきが嬉しそうに見えるのは気のせいだと思いたい。

 まもなく、けたたましい音を立ててロバと思われる四つ足動物二頭が僕達の前に立ち塞がり、安っぽい防具と石斧を持った野盗が馬車――というより荷車――から降りてきた。この地域でロバは希少な動物だ。荷車は作りが粗いが頑丈そうに見える。目の前の野盗は強奪タイプか殺戮タイプか。不安はどんどん膨れあがる。

 野盗は四人いた。おさと思わしき輩は鉄製の仮面をかぶり上半身までの鎧、子分は安っぽい木製の防具を身につけている。

「荷物を全部置いていけ」

 野盗の長は簡潔に要求した。子分は十人並みの身体だが長はかなりの巨体だ。腕力も相当だろう。四対二、僕は戦力外だから実質四対一だ。マミヤの実力が試されるにしても、多勢に無勢ではないか。

 そんな心配をよそに、マミヤは、

「嫌なこった。おととい来やがれ」

 と舌を出して挑発する。

 野盗の子分が身体をビクリとし、石斧を構えた。長は……笑っているのだろうか。仮面を被っているのでよくわからない。

「あなたが大将のようね、名前は」

 しばし沈黙。

「ウラヌスという」

 野盗の長は静かに名乗った。

「あー、聞いたことはあるわ。賞金首としては下の中ね」

 しょうきんくび? 聞き慣れない単語に戸惑う。

 子分がなにを! なめるな! と騒いでいるが、マミヤは聞く耳持たずだ。

「貴様の名は」

 僕に聞いているのではないことはわかった。マミヤを見る。腰にかけた棒に手を握り、

「マミヤ」

 と、端的に答える。暴力を振るう輩に冗長な言葉はいらないらしい。

「ほう」

 ウラヌスはニタリと笑った、様な気がする。知っているのか?

「面白い。俺が行く」

 野盗の長が自ら戦おう名乗り出た。ウラヌスは巨大な鉄斧を軽々と持っている。初めて見る武器に僕は恐れおののく。

「順番なんて関係ないわよ」

 僕のやや前に立っていたマミヤは少し腰を落とし、そして、消えた。

 わけもわからず反射的に正面を見る。取り囲んでいる子分達の合間をマミヤは棒を握って縫うように舞っている。が、何をしているか捉えられない。ただマミヤが駆ける足音と風切り音しか聞こえない。

 マミヤは元の位置に戻り止まった。と同時に三人の子分はドサリと音を立てて崩れ落ち、首から出る噴水のような激しい流血が大地を赤く染める。ウラヌスの表情は見えないが、心境は僕と幾分変わりはないだろう。おそらく相手の防具の隙間を縫って首筋、頸動脈をぱっくりと裂いたようだ。〝聖なる泉〟での花びらといい、何故あの棒で〝切る〟ことが出来るのだ。

 マミヤはふうと息を置いて言った。

「で、どう? 大将も挑戦する」

 マミヤは左手でカモンと合図をして、なおも挑発する。威嚇をしてから攻撃するって言ってなかったか?

「止めておく」

 ウラヌスは逃げ支度を始めた。先程までの威圧感は何処へやらだ。

「ロバはやらんぞ」

 凄むウラヌスにマミヤは肩をすくめた。

「その代わり荷車を一台ちょうだい。こっちに乗せたい荷物があるの」

 ウラヌスは恨めしそうに睨んでいる……ようだが、

「わかった」

 素直に従った。不器用にロバ二頭を連れて去る姿はなんだか哀れだった。

「言ったでしょ、後悔させないって」

 棒を振ってマミヤは笑っていった。血糊は全く付いていないようだ。

 僕は静かに頷いた。本採用決定だ。それどころかマミヤと一緒にいれば命は保証される気分になった。

「さぁ、荷車を手に入れたから、獲物は全部乗っけていきましょう」

 確かにこれは助かる。僕はいそいそと獲物を荷車に運んだ。

「野盗は当分襲ってこないでしょ。のんびり帰りましょう」

 マミヤはにっこりと笑う。今しがた三人の野盗を瞬殺した女とは思えない爽やかな笑顔だった。

「あの、あの三人は」

 野盗の子分三人を指差す。

「あれが転がってるから他の野盗が臆するのよ。干からびて、そのうち土に帰るでしょ」

 マミヤは平然と言う。僕は躊躇したが、さすがに彼らの為の墓を作ってやる気は起きず、マミヤの言う通り放って置く事にした。

野党を倒した帰り、テツオの人生を一変させる事件が起きる。次回 2/11 17:00掲載。

よろしければこちらの作品もどーぞ。

http://ncode.syosetu.com/n2136du/

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