いざ、面接へ
翌朝、雅夫は面接に行く準備をしていた。
履歴書に添付した写真は、玲奈が加工してくれた眼鏡をかけた写真で。
勿論、いつもより書類は丁寧に気合を入れて書く。立てていた髪はおろしてセット。
玲奈に笑われた七三分けで、眉書きオッケー、ひげ剃りもオッケー完璧!
目的地到着は三分前で、必ず「おはようございます」の挨拶を心掛けて。今日で面接二十件目である。
雅夫にもいい加減、職種を選ぶという余裕がなくなりはじめていた。
「きっとわかってくれる会社がある。やる気と努力する意思を見せれば」
やる気百二十パーセント。どこの会社でも自分を採用してくれるのなら、対応も誠意をこめ、初志貫徹の精神をもって――。
雅夫の思いは、採用してくれる会社への気持ち一点に変わっていた。
「落ち着いて、自信をもって」
その気持ち片手に雅夫は部屋を出た。
すると部屋の前で兄の遼平と会い、背を向けられる。小刻みに肩が震えているのが妙に気になりつつも家を出た。
玄関を出たら、今度は偶然、玲奈と会って笑われた。
そこで、雅夫は兄の肩が震えていたのは笑っていたためだと、はじめてわかったのだった。
気を取り直して歩を進めると、今度は買い物に行く準備で車を出す母に会った。
「行ってきます」と母に向かって言ったら、「あら、お父さん。まだ出掛けてなかったの」と言われた。
似てるのは確かだが、蛙の子は蛙とも言うし。って、カエルの子は本当はおたまじゃくしなんだけど。
――といういつものボケ突っこみはなしにして、息子と旦那を間違えるのもどうかと雅夫は感じたが、敢えて何も言わず足を目的地に向けた。
*
さて、雅夫が向かっているのは『花咲組』。と、言っても『ぼ』のつく団体ではない。念のため説明するが、あくまでも建設会社である。
兄、遼平の言葉を信じて、雅夫は営業だけでなく現場業の仕事にも目を向けた。もし、職を失うことになっても、経験があれば有利になるとも計算したからだった。
到着時間は五分前、雅夫はスーツ姿で会社の入口に立つ。
いざ出陣! の気持ちで足を出した時、入口からスーツ姿の中年男性が出てきた。
「おはようございます!」
お辞儀は斜め四十五度を心掛けて頭をさげ、中年男性に元気よく挨拶をする。
「おはよう」
雅夫を見て挨拶を返し、立ち去って行った中年男性に恐れた様子は見えなかった。
今までの相手の反応は、「こいつ、営業にまわせるか? 無理あんじゃね?」というような空気が僅かながらもあった。ようやく人並みの反応を見られたことで、雅夫はその場で静かに拳を握りガッツポーズする。
――ありがとうございます。神様、仏様、以下略で玲奈さま! 猪狩雅夫。ようやく人としての第一歩に到達です。
ぐっと溢れかけた感動の涙を飲みこんで、いざ面接会場に。
受け付け前に着いた時が鼓動の最高潮で、雅夫は一番の難関にきていた。
すなわち、受け付けの女性に怖がられないかという段階である。
「すみません。十時に面接をお願いした、猪狩ですが……」
「はい、すぐに担当の者を呼びますので、そちらの部屋でお待ちください」
雅夫の言葉が終わらないうちに、受け付けの女性は対応した。
本来はそれが普通の応対なのだろうが、普通に接してもらえていなかっただけに、なにかもう採用されてもいないのに、雅夫は涙が出そうになる。
――もしかしたら今回はいけるんじゃないか。
そんな期待の中、扉が開いて入ってきた担当者は、
「あっ、君はさっきの……」
先程、入口で挨拶をした中年男性だった。
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします!」
取り乱すことなく雅夫は席を立ち、斜め四十五度のお辞儀をする。
「いいよ、別にかしこまらないで。いつも通りに気楽に本音を話してくれれば」
そんな雅夫に、中年男性は意外な発言をした。
気楽に本音――今までなかった面接官の言葉に雅夫は戸惑いつつも着席する。
既に試されているのではないかと感じていた。
席に着いた男性は、雅夫にも座るように「どうぞ席に」と言うと、雅夫が渡した書類に目を通しはじめた。
「えっと、名前は猪狩雅夫くんだね。今年高校卒業、社員希望か。働く場所の希望は?」
「ないです! いつでも働けます!」
この答えを何回したのか、雅夫は覚えていない。
それだけたくさんの場所に、面接に行っていた。
そして、ようやくつかんだ採用されそうな空気。絶対に、逃したくはなかった。
「続けられそうかな? 長い間、働けそう?」
「はい、頑張らせていただきます!」
飾らない本心のまま、雅夫は答えた。あちこち受けて落ちて続けてきたからこそ、仕事をしたいという思いは強かった。
「うちの会社を選んだ理由は?」
――そういえばなんでだろう。雅夫は面接官と目を合わせながら動きをとめた。
今回で面接は二十回目。ほとんどの会社が、その質問をしてきた。
その度、雅夫は迷わずこう答えてきた。
「安定した企業という点と、貴社の方針に感銘を受けたのが理由です」と。
雅夫は思う。だけど、実際はそうじゃなくて。
「猪狩くん、思ったことを正直に言ってくれればいいよ」
採用してくれそうな会社に、自分を偽ってまで勤めていいのか。本当の自分を知ってもらったほうがいいのではないか。そんな気持ちが雅夫の口からかたちとなった。
「実は俺、ここにくるまでにいくつか面接を受けてきたんです。けど、端から不採用で……原因は強面のせいだと思って、今日は眼鏡をかけてきて――」
「いいよ、そのまま続けて」
一息吐いた雅夫に、面接官は優しい声をかけて続きを話すことを促す。
「俺、はじめは給料がいいとか近所だからとか、そういう理由で選んできたんです。眼鏡をかけた理由も、そういう会社に採用されるなら、そうしたほうがいいと思っていました。けど、いくつも落ちてわかったことがあって……」
「わかったこと?」
「本当は俺、どこでもいいんです。俺を認めてくれて、仕事を任せてくれる会社なら。認めてもらえることが一番の幸せだと思うんです。それが最後まで続ける力になるって」
全てを話し終えて、雅夫は気が楽になっていた。認めてもらう第一歩は外見、その必需品が眼鏡という手段だった。
しかし、第一印象だけでは自分の魅力は伝わらない。本当の自分を偽っている気がしてならなかった。
だから本当のことを言った。相手がどう思うか心配だったが、言わずにはいられなかった。
雅夫の言葉を最後まで真剣に聞いてくれていた面接官が席を立つ。
思いがけない行動に、雅夫の心臓の鼓動は頂点に達した。
「猪狩くん、仕事場見学しようか。そのほうがやる気も出るだろうから」
それは採用の言葉に間違いなかった。顔をあげた雅夫は面接官を見る。
「いつからこれる? できればはやめに入社してくれたほうが、即戦力になるからきてほしいんだけど」
「ありがとうございます。頑張らせてもらいます! 来月の二十日が卒業式です!」
雅夫は喜びで叫びたい気持ちだった。ようやく自分を認めてくれた会社で働ける。
眼鏡のお陰? 本心を語れたお陰? それとも面接官の人柄の良さ?
どれが第一の理由かわからなかったが、とにかく採用である。
その時だった。
「お客さん、困ります!」
受け付けにいる女性の、悲鳴にちかい声が聞こえてきた。
「責任者はいるか? 話をさせろ」という、男の怒りに満ちた声も混じって聞こえる。
騒がしい足音は、徐々に雅夫がいる部屋に近づいてきた。
猪狩雅夫は、見た目とは正反対で喧嘩が大嫌い。優しさが取り柄の平和主義者である。
だから、雅夫は争いに巻きこまれないようにと世界各国の神様に祈った。
「責任者、出てこい!」
ところが無情にも、男の怒号とともに扉は開けられてしまった。
「お前が、責任者か!」
男が面接官に向かって叫んだ途端、雅夫は気づいた。
一人はスキンヘッドに口ピアス、もう一人はバンダナ、そしてくわえ煙草。
入ってきた二人の男たちは、眼鏡を買う時に電車で会った、あのヤクザっぽい男たちだった。
また関係者だと思われたら、採用も白紙になると感じて雅夫は咄嗟に顔を伏せる。
「今、お宅が建設工事している場所はな。うちが契約しているんだよ! それを横から奪い取るような真似しやがって。ここは不当行為をする会社か。情報ばら撒くぞ!」
根も葉もない、それは男たちの脅しであった。悪い評判をばら撒かれれば、損害になるのは会社側のほうである。
「ちょっと、根拠はあるのか? そちらが持ってる契約書は?」
だから、会社側も黙ってはいない。冷静な反論を男たちに突き返した。
「契約の最中にお宅らが割りこんだんだ。あるわけないだろ!」
顔を見合わせた男たちが、更なる追撃言葉を叫ぶ。
「なら――」
雅夫の話を聞いてくれた面接官が、言いかけた瞬間だった。
「うるせえ!」
スキンヘッドの男の右拳が、面接官の顔面に炸裂していた。倒れこむ音と、女性の悲鳴が会議室にこだまする。
「言ったろ。こっちが被害者なんだ! 誠意を見せてくれなきゃ、俺たちは収まりがつかないんだよ! 出るとこ出るか?」
強気の男たちに、会社側は押されつつあった。揉め事で裁判沙汰になれば、それが正当であれ不当であれ、会社の信用を低下させるのは明白である。
何も背負っていない男たちはマイナスになることはない。それを知っているからこそ、男たちは脅しをかけてきたのだ。
彼らの言う『誠意』とは、『金』を示しているに違いなかった。
そんな一部始終を見ながら、雅夫は男たちに対し、抑え切れない怒りを感じはじめた。
どうしても、見てるだけではいられなかった。
「もし、あんたたちが出るとこ出るって言うなら、俺は第三者として証言台に立つよ。あの男たちは会社の人を殴って、金を要求したって……」
話術に長けている玲奈を相手しているだけに、雅夫は男たちを言い負かす自信があった。
しかも、会社の関係者でないということが、今の雅夫にとっては大きな武器だった。
暴力の事実が明るみになれば、当然、男たちのほうが不利になる。一瞬にして彼らの顔つきが変わった。
「出しゃばるんじゃねえよ!」
言い返す言葉がなくなった苦しまぎれからか、男は雅夫も殴り飛ばした。
壁に激突しながらも、雅夫は体を起こす。殴り合いの兄弟喧嘩に慣れているせいか、男のパンチより、兄である遼平のパンチのほうが強く感じていた。
「少しばかり、頭が働くからって調子に――」
その時、スキンヘッドの男がぴたりと動きをとめた。バンダナの男も体を震わせている。
下唇に痛みを感じて、雅夫は手で触れた。微かに鮮血がついている。唇を切ったらしいというのがわかった。
第三者の自分に傷を負わせたことが、男たちの動揺につながったのだと雅夫は思った。
しかし、
「あっ……」
次の瞬間、雅夫の視界に『ある物体』がうつった。頓狂な声を出して、雅夫は息を呑む。
足元に落ちていたのは、レンズが割れ、フレームが変形した眼鏡だった。
殴られた拍子に眼鏡が飛んで、壊れてしまったのである。
「宮本さん……」
男たちが恐怖で声を震わせる。雅夫はただ男たちを見つめていた。
それを男たちは、睨みつけられていると感じたのだろう。
電車内の話から察するに『宮本』という男は、かなり権力のある人間だと感じていた。これを利用しない手はないと咄嗟に、雅夫の頭の中で閃きがかかる。
「今、大事なところなんだから、帰ってくれないか」
押し殺すほどの低い声で、男たちに向け雅夫は言った。勿論、面接官にも女性事務員にも、声が聞こえないようにして――。
「帰ります。失礼しました!」
人が変わったように男たちは、正直に事務所から出ていく。
足音が階段を駆けおり、車が走り去るのを確認してから、雅夫は眼鏡を取るとかけた。
「あの……怪我はないですか?」
振り返った雅夫は倒れこんだままの面接官と、唖然としている女性事務員を見る。
顔を見られたのは明白であった。不採用の言葉が面接官の口から出るのを覚悟した。
「大丈夫……あの……その……猪狩くん」
答えた面接官の声は震えていた。そして、次の言葉は――。
「入社の時には必ず眼鏡をかけてきて……お願いだから」
不採用でもなく、雅夫に眼鏡を直すことを面接官は頼み、
「僕は見掛けより、人柄を大事にするよ。但し、お客さんは違うだろうけどね」
雅夫が勤務する会社として望んでいた誠意の言葉を、面接官は言ってくれた。