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鬼に眼鏡  作者: つるめぐみ
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月とすっぽんの兄弟

 雅夫が眼鏡を注文してから三日後。

「はい……そうですか。いえ、こちらこそお世話になりました」

 雅夫は自宅の電話機前にいた。言葉とは裏腹に心境は暗雲。

 肩を落とした雅夫は、自室に戻るために階段をあがる。

 ――今日で十九件目。

 就職面接で落とされたカウントは、着実に更新中であった。

 眼鏡ができあがるまで一週間。それまで、なんとかこの顔で踏ん張ってみたいと雅夫は頑張ったが、不採用との連絡だった。

 今回の面接は前回の失敗の経験も生かして、今まで以上に力を入れていた。

 まず相手方に失礼のないよう、早くも遅くもない面接開始時間五分前を目標に到着した。

 服装はスーツ。髪は当然黒く染めて、しっかりセット。ひげも剃って、薄い眉も書き足す。

 履歴書も通信教育で上達したペン文字で丁寧に書く。添付する写真は五回撮って、一番写りのいいものに決めた。もちろん、正装で勤勉さをアピールした真面目な顔である。

 待たされている間は笑顔。目が合った人には必ず「おはようございます」の挨拶をする。

 「中へどうぞ」と呼ばれてもすぐに入室はしない。「はい」と大きな返事をし、ノックをした後、「失礼します」と言って入室。

 面接官に視線を向けて「おはようございます。よろしくお願いします」と言って、お辞儀も忘れない。

 顔を見て仰け反られても、決して笑顔は崩さない。冷静に誠実に謙虚にをモットーに、話もしっかり聞いて答える。

「我が社を選んだ理由は?」と問われれば、「安定した企業という点と、貴社の方針に感銘を受けたのが理由です」と答え、決して本心、「うちが近いしー。給料がまあまあだからかなあ……週休二日と交通費支給もいいよねー。保険もつくし、昇給もボーナスもあるから」などとは絶対に言わないし、表情にも出さないよう努める。

 当然、会社の方針も記憶している。「言える?」と訊かれても、決して動じず「予想していた質問だよ」というような素振りは見せないよう、慎重にゆっくり答える。

 勤め続ける意思が強いことをアピール。その仕事に興味があることもアピール。

 ――それなのに落ちた。

「はあ……神様ーっ! なにがいけなかった。教えてくれ!」

「顔じゃね?」

 雅夫が叫んだ途端、背後から『図星』と言うべき声がかけられた。

 神の声であるわけもなく、雅夫が振り返った視線の先にいたのは、二歳年上の兄だった。

 雅夫の兄、猪狩遼平――医大二年生男。身長百八十二センチ、体重七十五キロ。

 スポーツ万能、成績優秀、美形という三大要素で、中学の頃から女子生徒に人気があり、バレンタインデーには、ダンボール二箱のチョコを持ち帰った武勇伝がある。

 趣味は弟いびり。特技は暗算。

 小学生の頃、自由研究で大賞をとり、中学生の頃、部活動(野球)のエースをし、全国大会で優勝する。体育会系の関係者から注目されるが、人を助ける仕事をしたいと医大を選考し、優秀大学にトップ合格を果たす。

 遼平が他人から受ける評価は高いのだが、雅夫は声を高めて言いたい。

「騙されるな! こいつの中身には俺の外見よりも恐ろしい悪魔が潜んでいる!」と。

 いつものようにいびられるのかと、雅夫は肩を落とす。

「その顔で営業、接客業の選択は無理があるだろ。事務か現場が普通じゃね?」

 雅夫の予想通りの言葉を、兄は気を遣う様子もなく口にした。

「それ、弟に言う言葉か?」

「お前のスマイルはプラス二百円でももらいたくないって」

「二百円って、微妙だろ!」

「山姥の笑顔って、食われるって思うじゃん。あれとおな――

「言うなあああっ!」

 じなんだよ。お前の顔」

 言葉が終わらないうちに、雅夫は大きな声で遮るが、兄は器用に雅夫の叫びをかわして、話を続ける。

「聞きたくない……ほんと、お願いします」

 涙声で雅夫は兄に懇願するしかなかった。

「真面目に言ってやってん……クチャ……だよ。お前の将来……クチャ……を心配して」

「物食いながら言うな! 飲みこめ! 砂肝も冷たい感情も」

 手元に焼き鳥パックを持ちながら、ジャージ姿で語る美形医学生というビジュアルは他からどう見えるのだろうかと思いながら、雅夫は叫ぶ。

「あっ、お前の部屋行って、履歴書見たんだけど」

 悪びれる様子もなく言う兄に、雅夫は身を乗り出した。

「言葉の暴行罪の次は不法侵入ですか。なにしてんだよ!」

「なにあれ? 眼鏡の注文書って?」

 兄に弱みを握られたのを知って、雅夫は溜め息を吐く。

「玲奈に無理やり連れてかれて、俺も成り行き上、買うことに決めたんだよ」

「ふーん……玲奈ちゃんがね」

 言って兄、今度は鳥皮を頬張る。雅夫も拝借しようと手を伸ばすが、掌を思い切りはたかれた。

「働かざる者食うべからずって言うだろ。自分の給料で買え」

「働きたくても働けない状況なのですが……」

 兄の指摘に雅夫は冷静に答える。それに兄が呆れたような表情を浮かべた。

「最近の若い者は……仕事を選び過ぎて……だから年金が」

「あんた何歳? 二つしか違わないんだけど!」

 雅夫はとめようもない兄の暴走に、つい付き合ってしまう。

「ともかく、俺のことはほっといてくんない? 就職活動に集中したいから」

 頭を掻いた兄はその場で背伸びをすると、雅夫に踵を返して自室のドアに手をかける。

 しかし、兄はすぐに振り返った。

「まっ、玲奈ちゃんの案とはいえ、発想はいいと思うよ。親父と母さんの出会いの切っかけもそうだったって聞いたし」

「! ちょっ、待て待て」

 雅夫は思わず呼びとめた。いきなり引きとめられた兄は、怪訝そうな顔をする。

「とめても、ねぎまはやらないぞ。好きな物は最後に食べるんだから」

「ねぎまが食いたくてとめてないっ! つーか、親父と母さんの出会いの切っかけって?」

「聞いたことなかったのか? そうか、俺が笑ったから……」

「笑う話なのか、それ? いいから教えてくれよ」

「タダで?」

 言われて雅夫は仕方なく小銭を出した。

「これだけ?」というような顔で兄は見たが、雅夫は持ち前の『プラス二百円でももらいたくないスマイル』で答える。

「仕方ないなー」

 兄は渋々語りはじめた。それは二十五年前の話であった。

 父は勤務中に突然の腹痛に襲われ、病院に駆けこんだという。

 診察の結果、盲腸と診断された。

 すぐに手術となり、入院も決定した。そこで手術前の準備となったのだが――。

「担当の看護師が、母さんだったらしいんだ……で、お前、盲腸の時どうするか知ってる?」

 一呼吸おいた後、兄は雅夫に質問する。

「全身麻酔して手術じゃないの? 普通」

「お前さー。それじゃぁ、笑い話になんないだろ。もっと前の段階だって」

 兄は一呼吸おいて口を開く。

「剃るんだよ、あそこの毛。最悪だろ? 美人看護婦に見られるんだから」

「で、それを母さんがした?」

「母さんに訊いたら、予想と反して小さかったって」

「おかしい! その話、親父からじゃなく母さんから訊いたの? どこから母さん視点?」

「棒から藪、あたりから……」

「ことわざを下ネタに変換するな!」

 語り続ける兄に突っこむと、雅夫は本題に入るために訊く。

「で、肝心の眼鏡は?」

「親父は営業の時に眼鏡してたみたいでさ、当然、病院に駆けこんだ時も眼鏡をかけてた。眼鏡をはずしたのは、手術室に入る直前だったんだと――で」

 皆が素顔を見て、相当恐れたに違いないと雅夫は思う。

 だって、親父の顔は自分に似ている。経験上、そうであるということは想像がつく。

「けど、母さんは知ってた。親父と接したから性格をさ。顔と性格のギャップに驚いたけど、妙に好感がもてたらしいんだな。ほら、普段馬鹿やってる奴が、成績優秀だったり、真面目な発言したりしたら『おっ!』と思う時あるだろ?」

「ギャップねえ……」

 雅夫の脳裏に、玲奈の言葉が思いおこされる。

〈むー……雅夫の顔ってさ、見慣れてくると癖になるんだよね〉

〈それに雅夫が優しいってことは私も知ってるし〉

 おそらく、母も同じような印象を受けて父とゴールインしたのだろう。

「つきましては……お前、玲奈ちゃんとはどこまで進んだの?」

 その時、突然、兄が思いがけない質問を雅夫にした。

「はあっ? なに言ってんの。俺とあいつは幼馴染なだけで、それ以上は――」

「そうなのか? 俺、告ったことあるけど、断られたから、お前たち付き合ってると思った」

「いつ、告った。何故、告った? 信じらんねえ! なに、この敗北感!」

「実際、敗北したのは俺なんだけどな……玲奈ちゃんが言ってたぞ。好きな人がいるんだけど、告白しずらい。自分の顔に劣等感もっているみたいだからって」

 雅夫は動きをとめる。自分のことを玲奈は言ったのではないかと――。

「可愛い子だな。玲奈ちゃんは……お前の行く末案じて、眼鏡店に連れていったんだろ。もう少し優しく接してあげないと可哀そうだぞ」

「兄貴!」

 自室に入ろうとした兄を、雅夫は呼びとめた。

「サンキュー。俺、就職活動頑張るわ」

 最後のねぎまにかぶりつきながら、「当たり前だろ」という兄の背中が、何故か妙に格好よく見えた。

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