悪魔と小動物
雅夫と玲奈は下校時間に待ち合わせをして、目的地『ミルクパフェ』に足をむけた。
周囲から聞こえる「悪魔が小動物を連れている」などという、悪態など日常茶飯事だ。
周りがどんな反応をしても気にせず目的を済ませて、玲奈に機嫌をなおしてもらう。
それだけが、雅夫の目的だった。
ところが、繁華街に出て目的地まであと少しといったところで、
「君、身分証を見せなさい」
雅夫は突然、野太い声で背後から呼びとめられた。振り返れば警察官が二人いた。
声の主は、ベテランといった感じの警察官であり、その隣にいるのは若い警察官だ。
ベテラン警察官は雅夫に凄みのある視線で睨みを利かせ、若い警察官は緊張してか、肩を竦めていた。
「身分証って……これでいいですか?」
意味がわからないまま雅夫が学生証を出すと、ベテラン警察官は何故か渋い顔をして、写真と実物とを見比べはじめる。
しばらく考えこんでいた年配警察官は、雅夫の肩を軽く叩くと、
「ちょっと話がしたいから、交番まできてくれるか?」
更に理解不能の要求を言ってきた。
「はあっ? そんな暇、ある訳ないだろ。俺たち、急いでるから!」
玲奈がいった限定のデザートはその日まで。しかも数に限りがあると聞いていたので、雅夫はその場からはやく逃れたくて、警察官を無視して立ち去ろうとする。
だが、その行動選択が間違っていた。
「待て、身分を取り繕うとしても無駄だぞ」
その場で何故か雅夫は、警官に取り押さえられて、派出所まで連れていかれた。
連行された後になって、二年前、暴行事件を起こした暴力団組員と雅夫が同一人物であるのではないかと、警察官が勘違いしていたと知った。
しかも、玲奈を売春させているという、呆れた大間違いのオマケ付きまであった。
警察官から解放されたのは一時間後。既に限定パフェは売り切れていて、玲奈の機嫌は戻るどころか、更に増しており、雅夫はしばらく口も聞いてもらえなかった。
「正直についていけば、きっとすぐに解放されたのに……」と玲奈は言ったが、つまるところ、強面の自分が小動物顔の玲奈と歩いていたことが原因だと雅夫は思っている。
その体験以後、雅夫は玲奈と買い物にはいっていない。玲奈もそれは十分承知していて、あれ以来、無理に誘うなどという真似はしてきていない。
それが何故、今日に限って誘ってきたのか。
「いいから、私の部屋にきて! 雅夫も得することだからさ……」
玲奈は誘った理由を告げることなく、部屋にくるように言うと笑みを浮かべた。
*
たとえ第三者全員が認める常識はずれの凶悪顔でも、雅夫の性格は常識人である。
だから玲奈が、「窓から入ればはやいよ」とショートカットをすすめても、雅夫は家を出て玲奈の家の玄関から入り、ちゃんと玲奈の両親に挨拶をして、玲奈の部屋に入室した。
時間にして約三分のロスだが、ここは小説の世界。数行で語りきれるのが素晴らしい。
――さて、それでは内容に進むとしよう。
雅夫が部屋に入った時、玲奈は机の前でパソコンを打っていた。
とはいってもネット情報や書類を開いているのではなく、写真加工画面を見ている。
「雅夫、見て見て! どう思う? この私」
玲奈が指差した画面の中には、玲奈とは思えない人物がいた。
「まじ? これ、お前なの? なんか、別人じゃん」
乗り出した雅夫は画面を見つめて、思わず驚きの声をあげる。
そこには、いかにも気が強そうなキャリアウーマンといった感じの女性の顔があった。
「こっちより、こっちのほうがいいかな? 雅夫、どう思う?」
次の画面を玲奈は出し、もうひとりの自分を映し出していた。
「また、こっちのは、勉強熱心な控えめな子って印象があるな」
雅夫は印象の全く違う玲奈を見て驚いていた。
女性は化粧をすれば変わるというが、それと比較にならないほどの変わりようだったのだ。
「眼鏡……眼鏡のせいか? だって、同じ眼鏡なのに何で……あっ、縁の違いか! 縁の違いだけで印象こんなに変わるのかー」
雅夫は自分で結論を導き出して、自分で納得してしまう。
「あのさ。どう感じるかとかじゃなく、選んでほしいの。これで短大にいくから……」
質問とは異なる発言を続ける雅夫に、玲奈が痺れをきらしたように言う。
「なに? お前、目が悪かったっけ?」
「違うの……イメチェン。私、この顔だと、軽くて馬鹿そうな女って見られるみたいでさ。だから、第一印象変えたいの。これならはじめから、皆に馬鹿にされることないじゃない?」
「考えたなー」
玲奈のアイデアに雅夫は感心した。確かに自分の性格を知ってくれている相手なら、顔だけで判断されることはないから、今まで通り接していけばいい。
しかし、環境が一転、周囲の人全員が知らない者同士となれば勝手が違ってくる。
互いに「こいつは気が強そうだから近寄りたくないな」とか、「こいつは気が弱そうだ」とかの、はかり合いになる。
教育の場から出れば、そこは競争社会。誰もが一番に見られたいと必死のはずだ。
玲奈はそんな競争社会で少しでも優位に立ちたいと考えた末、眼鏡を掛けてみるという選択に達したのであろう。
「学校にいく進路なら、こっちのほうがいいんじゃないか? 就職するのなら別だけど……」
二つ目の映像を指差しつつ、言った雅夫はぴたりと動きをとめた。
そして笑みを浮かべる玲奈と視線の焦点が合う。それは、視線が一致しただけでなく、思考も一致した瞬間だった。
「ここに、雅夫さんの写真も用意してありまーす」
わざとらしい口調で言った玲奈が、画面を操作しはじめる。
「あーっ、お前っ! いつの間に!」
雅夫は画面に映った自分の写真を見て、つい声をあげた。
「修学旅行に行った時の写真! 随分遊ばせてもらったんだ。あっ、こっちは後々公開で」
画面に『ヤクザ顔の女性?』の姿が映し出されたが、そこは玲奈が流してしまう。
ファイルの中に『雅夫NO1~NO7』とあるのが雅夫は気になったが、知ってしまうと怖い気がしたので、敢えて見ないふりをした。
「髪形変えただけでも、印象って随分違うんだよ。これが雅夫さんの坊主頭。で、これが雅夫さんの長髪。で、これが――」
「お前、暇だろ? もっとましな時間の使いかたしろ」
次々と映し出される別人の自分に戸惑いつつも、雅夫は玲奈に言う。
すると、
「ヤクザさんの七三分け」
玲奈が画面を操作した途端、衝撃的な雅夫さんの映像が映し出された。
思わず硬直した雅夫の横で、画像を加工したはずの本人が腹を抱えて大笑いをはじめる。
「これさー。涼香にメールで送ったら、もう爆笑! 第二弾のアンコールをいただきました。えっと、返信は――」
「消せ、今すぐ消せ。つーか、犯罪だろこれ! 犯罪じゃないんですか」
「……はいいえ」
「どっちつかずな返事すんなあ!」
興奮して肩を震わせる雅夫の横で、玲奈が反省する様子もなく続ける。
とはいえ、雅夫は髪型を変えただけで別人になった自分を見て驚いていた。
もしこれに眼鏡が加わればどうなるのだろうか。そんな思いがよぎる。
思いに耽っている雅夫の視界に、玲奈が覗きこむかたちで割りこんできた。
「さあ、買いにいこうか眼鏡! 雅夫もくるでしょ? 面接が有利になるのは間違いないはずだからさ。何もしないよりやってみよう!」
どちらかというと楽しんでいる節のある玲奈の言動ではあるが、雅夫は従うことにした。
少しだけ、今の自分を開拓させるために――。