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「はあっ、がは! は、く――ッたくもう!!」
午前のフリー飛行終了直後、ローズはピットガレージに戻るなり荒い呼吸と叫びを上げる。
他のウィッチ達の驚愕した表情をこの目に焼き付けた歓喜さえ今は遠い。
身体の内側が異常な状態になりつつあると理解しながら、それでも試験的な飛行を持ち前のマナコントロールと鋼鉄の意志で成し遂げて、現在は。
「ベイス……あの子は呼んだ?」
「いえ。あちらから先に連絡されました」
「ふん、じゃあ私の飛行法の欠陥に気付いたか。――来たわね」
戻る前にマスコミはシャットアウトさせていたが新機軸の試験飛行をしていたことはもはや誰の目にも分かっただろう。レース期間中の機密保持が理由だが、真相に気付く者はいた。
「だ、大丈夫っ!? ベイスくん!」
「僕ではありません、ソラムさん」
ソラムはガレージに走ってやって来た。門番がいたが通された。
即座にローズに駆け寄って、その憔悴ぶりを目にしてしまい、蒼白になる。
「っ、ひどい状態……って、あたしがここに来てどうするのよ!? それより医者!」
ソラムは急に冷静になって、なぜ自分が焦っていたか恥ずかしくなった。
自分はチームの一員ではなく、ただの関係者の友人だ。いくら心配になったとしても現場に首を突っ込んでいい理由はない。医者に診せて当然なら、いちいち言わずとも呼ぶのだから。
しかしベイスはかぶりを振ってきた。
「駄目ですソラムさん、まだここには呼べません」
「ど、どうして?!」
「つべこべ言わず!! 私のこの状態を治しなさい! 文句はあとで受け付ける!!」
「――ッ、こんの! やってやるから命令すんな!!」
ソラムはローズの気迫に圧されつつ、それでも即座に返事をした。理由があるとは察したが自分に出来るかどうかを考え、しかしやるしかないと決断した。そのためまずベイスに訊く。
「えっと……アストラル系の治療薬は備えてある? 【エリクシル】があると良いんだけど」
「はい、こちらに」
「もう、道具の用意はいいんだね。補給剤に使ってるのは賢者の石? なら各属性対応用の、エレメント触媒もあるでしょ。身体属性が無理に光に偏ってるから、この場合だと――」
ベイスはそう取り仕切るソラムを、内心で想像以上だったと驚いた。
必修科目ではないのだが、仕人学校では魔法を使える貴族の補佐や後方支援ができるように応急処置の実習も含めて【マナエイド】資格の取得が奨励される。
ベイスも資格三級を持っていて、だからこそ補給剤の管理や調整を行えるのだが、それでもマナバイタルを読み取って適切な処置を行うには専用機材が必要だ。
そして今回のローズのトラブルは、その資格三級の見識でどうにかなる範疇を超えていた。
ゆえにソラムを呼ぶことを主人に提案した。
ハーフエルフであることと、何より事前に本人から聞いて知っていたためだ。
「……やっと少し、落ち着いたわ。流石にマナエイド資格一級取得者ね」
「……ハーフエルフの仕人として、取っておけと言われたから取った資格でしかないけどね」
ローズはソラムの調合した治療薬を飲んで十分後、ようやく荒れた呼吸が整った。
先ほどまでの状態ではいくら補給剤を使ってもマナがまったく回復せず、そして体調にまで異変が生じたのだ。
ローズはソラムに素直に頭を下げていく。
「助かったわ、ありがとう。ベイスの客人に失礼なことをさせてしまったわね、相応の謝礼をさせてもらうわ。これなら午後のフリー飛行もなんとかなりそうよ」
「え?! あ、あのっ、こんなの応急処置だから、しっかり休んでおかないと!!」
「それはできない。他の魔女に確信を与えてしまうから」
「確信って……もしかして」
「そう、私の【リニア・ドライブ】が欠陥品だっていうことよ」
ローズは言った。ベイスが連絡するより先にこちらの異常に気付いたというのだから、その眼力は今さら疑いようもないだろうと告げていく。
「一般には机上の空論そのものよ。空間にガイドウェイを描き、そこに自身も磁界を発生させ突入し加減速の補助とする――いわゆる【超電導リニア推進】をレースに使うなんてのはね」
「っ、だから光属性の……!」
「そういうこと。まあ別に原理は大したことないし、グラウンド・フライトを扱える私以外はどうやっても実戦じゃ使えないからバレたところで構わなかった。問題は別」
「……。磁力制御の影響でバイタルバランスを崩したことを、知られたくなかったの?」
ローズは正鵠だと頷いた。
直線飛行時におけるトップスピード不足を解消するために研究した技だが、試験的な練習は積んでいても初めて実際に運用してみて分かった利点と欠点は想定以上だった。
専用ブラシで飛んで航跡を平行に二つ描き、それに磁気魔法を乗せてガイドウェイとする。これは他のレーサーがエーテル干渉できない低空を行くローズだから可能な方法だ。
またガイドウェイを飛ぶ間はブルームの挙動が安定するため、フュエルを推進と磁界維持と負荷軽減に注力できる。これにより、ガイドウェイ設置に労力はかかるが周回を重ねることで結果的にマナコストを削減できる予測は確かめられた。
問題はガイドウェイ突入の際と加減速の調節に精密さを要求される点と、光のエレメントが色濃くないローズにとって周回を重ねるたび蓄積する負荷の影響が大きすぎた点だ。
医者ではなくソラムを呼ぼうとした理由はそこにある。
「これで医者を呼んで現場を見られてたら、確実に今日のところの飛行禁止を宣告されたわ。また守秘義務と関係無しに、私に緊急事態が発生したことを他のチームが察するでしょう? 当然、リニア・ドライブに欠陥があると判断され、決勝ではまず使えないことを見抜かれる。それじゃ焦りやプレッシャーを与えられなくなってしまうもの」
ソラムはそれを聞いて、言葉をなくした。
ローズはフリー飛行中に何度もピットインを繰り返した。そのたびに負荷の影響からろくに回復もできず磨り減っていくマナを見てソラムは驚愕した。
――なぜ、ここまで飛ぶことに力を尽くせるのかと。
「か、駆け引きだったの……? 途中で止めなかった理由がそれ?」
「じゃなきゃ手札は見せないわよ」
「そんな虚勢っ! ぼろぼろになってまで張ることなの!?」
「当然よ。欠陥品だと分かってもブラフくらいには役立てないと。まあ決勝でも絶対使えないわけじゃないわ。……調子が元に戻ればね」
ソラムもローズの言っていることは分かっていた。
極めて単純化すれば「私はこんな技も使える」というライバル達への挑発だ。
その威圧は挙動を気にさせ、焦らせて、ミスを誘う見えない罠として機能するだろう。
事実としてフリー飛行のタイムではローズは現状でトップに立っており、完全復活どころか新生だと観客席で騒がれていたことをソラムは聞いている。賭け金の配当率も変動しており、その影響は既に外野から始まっている。
そういった精神上の優位性を得ることまで考えて、この〈赤薔薇〉は飛んでいたのだと。
「……。確かにそうだね、あんたは世間の評判通りのウィッチに違いないよ。あんたの下ではチームは駒にしかならない。ようやく分かった」
「ソラムさん」
ベイスが静かな声で、止めるように呼びかける。
だがソラムは告げていく。このローズ・ランカスターという魔女の本質は、
「だってあなたは――自分さえ駒として扱う人なんだもの」
そうはっきりと告げられて、ローズはくすりと愉快の笑みを浮かべていく。
目に映るハーフエルフの表情は、軽蔑でも罵倒のそれでもない、澄んだもの。
その口から次に何が出てくるか、ローズは尋ねて促した。
「で、あなたはどうしてここに来て、私にそんな感想を投げたのよ?」
「あたしはね、何がやりたいかも何をすべきかも分からなかった。ただ状況に流されて、でもそれが正しいのか間違ってるのか、自分の外にあるものばかりを気にして生きてきた」
「……それで?」
「振り回されている間も、気分が乗ってるときは楽しいよ。けど終わったあとで虚しくなる。いったいあたしは何をするために生まれてきたんだって――無目的な自分に嫌気がさすよ」
ソラムは思った、こんな疑問など特別ではない。たとえハーフエルフという哀れみの視線を向けられる生まれでなくても、きっと同じことを考えた。その理由がやっと分かった。
自分さえも駒の一つとして扱う〈赤薔薇の魔女〉を前にして。
何のためにと聞かれれば「勝利のため」と疑いなく答えるだろう貴族を前にして。
理解する、目標をもって生きることは鮮烈で過酷で厳格で――負傷を躊躇わない覚悟だと。
「ローズ・ランカスター様、お聞きしたいことがあります。あなたの夢は?」
ソラムは聞いた。敬意をこめて尋ねていた。返事はほほえみと共に返ってきた。
判断の正誤を誰かに委ねることのない、威風堂々とした声に乗せて、
「私はいまも夢のさなかよ。これまでも、そしてこれからも」
そう断言するローズに向けて、ソラムも硬い表情をほぐしていく。
生き様そのものを己の夢だと言える人間がどれだけいるだろう? その確かさを前にしてはあやふやな想いや考えなど、立っているどころか見られることさえ苦痛となるに違いない。
だから大抵の者はローズに付いてゆけず、ローズもそれらを捨てたのだろう。
では今の己はその孤高の花に対してどう思うか。この場に駆けてきた熱量はいったい何から生じたか。自分は何に突き動かされたのか。――ソラムは恭しく一礼する。
「……不躾な質問へのご回答、ありがとうございます。申し遅れましたが、わたしはソラムと申します。以前よりチームへの参加を請われておりました」
「知っているわ。ではソラム、ここに来たのはそれを望むから?」
「いえ、単なる興味と心配から。わたしには叶えたい夢も信条もありません。ただ能力だけが分不相応にあり――けれどいま、使い道を決めました。その意志は確かなものと誓えます」
「ふうん。平民になった身の上で、また貴族に従う立場に就きたいと?」
小馬鹿にしたようにローズは言う。
だからその意を汲んでソラムはにやりと笑みになり、
「はい。しかし気安い言葉で返すのなら――あたしがそうしたくなったんだから、受け入れたほうが得じゃないかって言ってるの。素直になったら? 危機一髪だったローズ様?」
「ぷっ。これはまた……なかなか良い駒を見つけてきたじゃない、ベイス」
「ありがとうございます。これから一緒に頑張りましょう、ソラムさん」
「……あたしもここにいるけどね。よろしくソラム」
そうしてソラムはチームの全員と握手する。その最後にローズは言う。
自分には夢がないと認識し、それでも意志の行き先を決めた者に向けて。
「リリィのステルスを見抜いたって聞いたときも驚いたけど、あなたは遠距離かつ高速で動くマナさえ読み取れるのね。掘り出し物すぎて笑ったわよ。その才能を存分に使ってあげるから私に預けてみせなさい。あなたはこれから夢を見るの、それは醒めたら忘れるような浮ついた空想じゃない。身の丈を理解し地に足つけた者だけが見る――最高のノンフィクションよ」




