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「おいあそこのパドック席、〈白百合〉と〈赤薔薇〉じゃないか?」
「なに、来てるの? ……おお、いるいる。来期のライバルを見物にってか、仲良いな」
何人かの一般客が双眼鏡を向けて来期の王者候補をのぞきみる。
――【ロンバルディアGP】――
曇り空の午後三時、このブリアンツァ・サーキットは決勝直前の緊張に包まれていた。
ローズは隣席のリリィに話しかける。
「予選は小雨だったのよね。今日も降りそうな気配だけど、リリィはここをどう飛行する?」
「雨天はセイリング・フライトに向きませんが、私には水のエレメントもありますし」
「ああ、そっちは湿度を高効率で制動に利用できたわね」
「地脈も活性化するでしょう。それともグラウンド・フライトの制御が困難に?」
「今のリリィ相手じゃ雨天用のセッティング変更だけだと足りないわね、新装備がいる」
「では資金難の今なら厳しいと?」
「……面倒としか言ってないわよ」
ローズは不敵に笑みを返す。
リリィはそれで資金の当てが出来たことを察して「ああ」と頷くも、
「って、それじゃ私がバカンスに招待する必要なかったの!?」
「いいじゃない。ベイスが目当てなら私も誘わないと旅行になんて連れ出せないし」
「たまには休暇を出しなさいよ!」
「だから有難く同伴してるのよ?」
「まあまあ、リリィ様」「それに第一?」「わたしたちチームも」「ご一緒してるデース!」
「……みんなは身内じゃない。はあ」
リリィは嘆息して、だが考える。小切手は破られたが、ベイスの練習協力には応じていた。つまりこの宿敵は直接的な助勢は断るが、従者を介した間接的な支援は受けるのだと。それはダブルスタンダードではないかと思ったが。
「――言っておくけど、ベイスをダシにたかってるわけじゃないからね?」
「分かってますわ。お気に入りをかわいがる、実は割と凡俗なローズ様?」
「……。仲がいいか? おれには険悪な空気に見えるんだが」
「ばっか。素直に仲の良い魔女が、レースを競い合えるかよ」
幾人かの観客はまだ始まらない決勝を前にして、場外のゴシップを肴に盛り上がる。
マギア・サーキットでのレースは雑誌やネットで今なお熱く語られていて、そのため二人の来期からのワールドカテゴリ参戦には多くの期待が寄せられていた。
現在は休暇中ということもありパドックにいても取材攻勢は来ておらず、比較的ゆったりと二つのチームはプライベートな雑談も交えて観戦している。
「そういえばクリス、今回の旅行にはお付きのメイドの子がいませんわね」
「ええ、リリィ様。あの子は平民になりまして」
「!! 労役免除費を払えましたの? 確か同い年で」
「では、僕と同じく従者になって一年の?」
「はい。なので気にかけていたのですけれど」
「なんでも母親がお金を貯めていたそうで。それがようやく労役免除費の満額になったので、あの子に『自分の好きなことをやって生きて欲しい』と渡したそうです」
クリスは少し寂しそうにリリィに話す。
ベイスはそれを聞いて思い出す、自分の父の場合は――
「なかなか身に沁みる話じゃない。ベイスの家族はどうだった?」
「ごく一般的な小作人ですから。父はいつも僕に『身の丈に合った服を着て生きろ』と」
「ふうん。ということらしいけど、リリィ?」
「はいはい代わりに質問ありがとう。でも間違った言葉ではありませんわよね、ローズ」
「リリィ様! しかしそれではっ」
アナが反発しそうになり、けれども言葉が作られる前に視線を向けてリリィは止めた。
ベイスの父の言葉を自分なりに噛み砕いていくならば、
「それはつまり、小さいときは小さい服を。大きくなれば大きい服を着ろということですわ。その適切なサイズは、自らの心と身体と立場によって変化する。そうですよね、ベイスさん」
「仰る通りです、リリィ様」
「ま、形から身につけようとすることも間違ってないわ。それを着るに値する自分になると、そう望む意志があるのなら」
「……。この一連のフォロー、何か裏を感じてしまいますが」
「これくらい、招待された身として感謝の意を示しただけよ」
ベイスを学校に通わせるのは決闘で負けたペナルティ――リリィへの協力と、ローズ自身が伝えていた。それが嘘でも冗談でもないとわかるのは、ローズの矜持への信からだ。
だが。
「言葉通りに受け止めますわ。でもいいの、主人としては?」
「一度は自由にさせたのよ、なのに飛び立たず戻ってきた。この意味わかる?」
「……その忠節が変節するか、試してるの?」
「否定はしないわ。いずれにせよ、主人は従者を振り回すもの。その逆はありえない。もしもあるとすればそれは――」
「それは?」
「従者が従者でなくなったことの証明よ。主人にとってね」
ローズはリリィに対してそう言って、それからクリスに目を向ける。
ローズ達の年齢で、同年代の従者を持つことは珍しい。貴族の慣習として、年齢に関係なく仕人を扱う気概を学ぶには情が移りやすい対象だからだ。仕事の上でもまだまだ見習い同様で頼りないこともあるが、恐らくは前者の意味でクリスは残念がっているとローズは察する。
そんなかつては自分の駒、チームメイトだったクリスに対し、声をかけた。
「そう寂しがるんなら、友だちになればいいじゃない」
「ローズ様……?」
「その子はもう仕人じゃなくて、法が定める人権を十全に獲得した平民なのよ。なら貴族との違いなんて明確には資産と魔法くらいなもの。それにコンプレックスを持たない性格だったら健全な関係は築けるわよ。……努力次第でね」
自分はそんな努力をする気はない、だが他人に説く分には関係ないためローズは言う。
クリスはその気遣いに意外な表情を見せ、だがすぐにやわらかい笑みを返した。
「ローズ様は、だいぶ落ち着かれましたね。以前より」
「別に。単なる一般論を言ったまでよ」
「一般論? ローズの口からそんな言葉が出るなんて……ああ、やっぱり案の定」
リリィが言って空を見ると、ぱらぱらと雨が少しずつ降りだした。
レース開始直前で、しかしスターティンググリッドに付いているウィッチ達は慌てない。
そして傘やレインコートが目に付くようになったそのときに。
[ロンバルディアGP、決勝――スタートです!!]
コース上のサインが点灯し、規定高度で待っていた箒の群れが一斉に速度を得て駆ける。
総勢二十六名、これを含めて世界戦はあと二回。
世界中から集った精鋭ウィッチが曇天のコンディションに様々なローブの色を添えていく。ユーロス以外の出身者は出場国で共通のデザインが多く、その連なりも鮮やかだ。
「積極的に隊列を組んで飛ぶわよね――他国の魔女は」
「世界戦のために協力し合う、ユーロスの魔女ではあまり見られない光景ですわよね。こうも一糸乱れず飛べるなんて」
それは真剣勝負のオーバーテイク応酬とは異なるもの。
同じ国の魔女同士がフュエルを抑えつつ速度を出す、そのために交互に前後を入れ替える。即席の隊列とは異なる洗練されたローテーションが生む航跡は、観客の目も惹きつけられた。
「……協力してのスリップストリーム活用戦術。有効なら、取り入れるべき?」
レンガがぼそりと呟いた。
それを聞いてローズは「そうね」と同意するが、気の無い声色。
「同じ学校内のチームで、同じレースに二人以上が出られて実力が拮抗してるなら、戦略的にそうするのが正しいわ。ナショナルカテゴリならユーロスでも珍しくない作戦よ、だけど」
「……国家の違い? 意識の違い?」
「そうですわね、連合王国ゆえにユーロスは学校や地域間の対立が他国より根強くある上に」
「ブルーム・レースの本場の生え抜きという自負が最も大きいわ、だから個人技に偏るのよ」
リリィとローズは二人ともに、いまだ精彩を欠く十番手に注目する。
それは今シーズンのワールドカテゴリで一位のポイントを稼いでいる銀髪の褐色肌。そして黒に黄金が装飾されたローブとブルームで、同じブリタニア出身の前年度ユーロス国内覇者。
「ダリア・ケルノウ。どうにも動きが鈍いわね、コーンウォール校のエースが」
「ええ。〈黒天竺の魔女〉……彼女にとってここは最良のコースのはずなのに」
ブリアンツァ・サーキットは四本の長いストレートがある高速コース。この約5.8キロを五十三周するロンバルディアGP、その最大の魅力は。
――最高速領域での直線バトルである。
「趨勢は〈黒天竺〉がどう仕掛けるかでしょう。……雨天は苦手でないはずだけど」
「はっ、典型的な直線番長のダリアが、よくもここで自分の前を飛ばせているわよ」
ローズは一つ年上のウィッチを相手に嘲った。
それと似た会話は場内のあちこちでも、それこそリリィのチーム内でも交わされた。
「……ベイス君、誰だか知ってる?」
「はい。お嬢様が君臨していたジュニア時代はいつも三番手以下だったお方と聞いています」
「……時代はまた繰り返す?」
「お嬢様とリリィ様が世界戦の舞台に立てば、ありえることかと」
「……特徴は?」
レンガがそう尋ねた瞬間だ。
十周を終えた時点で早めのピットインを行ったダリアが再び本コースに戻ると、
「っ、このタイミングからやるの!?」
「――【グラビティ・ドライブ】ッ」
超加速が続いて、先をゆくウィッチ達をみるみる内に追い抜いた。
しかしてストレートが終わったと同時に急制動をかけてコーナーリング。そしてまた直線になるとダリアは急加速、急制動。そんな暴れ狂うスピードとストップとを、直線においてのみ発揮する飛行法、グラビティ・ドライブをベイスらは目の当たりにした。
「……闇のエレメント?!」
「はい。負荷重力の制御魔法を使った飛行法です」
ベイスはレンガの問いに改めて回答した。
Gフォースの負荷軽減に用いる魔法の発展系を使うことで自身にかかる重力を制御、体重を羽のように軽くさせては速度を伸ばし、逆に増大させては制動を補助するテクニック。
概要は単純だが闇のエレメントなしに扱えない、そしてこれもまた不安定な飛行法である。
「私たちが使うそれに比べれば、実戦で使っているレーサーは相当数いますけど」
「使いどころは専らストレート。それでもダリアほど連続して扱える魔女は希よ」
来期を睨む二人がその精度に感心する。なにせ重力制御魔法それ自体が近年やっと研究され始めた分野である。科学の進歩があって初めて魔法の理解も深まるもの、しかしその仕組みは完全な解明がされておらず、発展が期待されているテクニックではあるのだが。
「ブラックボックスの多い最新技術。それに通常飛行との併用技だからコストも高い」
「必然的に、飛行法に最適なローブの開発やブルームの調整に莫大な資金を要するわ」
基本技術自体はコストのかかるものではない。
グラウンド・フライトもセイリング・フライトも時速30キロ付近で飛ぶなら専用装備なしでも扱える。それが必須となるのは速度を要求される極限のレースで勝つために他ならない。
――だからこそ冷徹に状況を見られるのだ、この二人は。
「二位以下とは僅差のポイントよね。そう何度も表彰台のトップには立ててない」
「ええ。コスト高も手伝って、フュエル残量に気を配らないといけない技ですし」
赤と白の魔女は油断はなくとも互いに同じことを確信した。
次の舞台においても己は頂点に立ちうる位置についている、そう現在のトップを走り続ける先達に対しても冷徹な評価を下していたのだが。
「!! ローズ、ラップタイムがおかしいっ」
「……ッ、これは?!」
黒のローブの銀髪魔女、ダリアのタイムが周回を重ねる度に伸び続けて、まるで落ちない。
一時的なものではない、規定フュエルをオーバーするとしか思えないハイペースが継続し。
「まさか、ピットアウトから通常飛行してないの?! 曇天とはいえ集中力が持つはずが!!」
「エーテル浮力なし、重力制御だけで飛んでるわけ!? いくらコスト削減には有効でもッ」
二人が異変と危険性に気付いたそのときに、それは起きた。
レースは雨天による影響で一部のウィッチがトラブルを起こして遅れていた。
最高速度が出やすいホームストレートを飛行するダリアはしかし、その何人かの周回遅れになりかけた一団がいた【シケイン】――減速を強いられる九〇度コーナー付近に向かって。
「ッ、コントロールが!?」
「無理、間に合わない!!」
ほんの僅かなミスが起こしたものだったのだろう。急制動が間に合わなかった黒の魔女は、観客席から見て呆れるほど綺麗に激突し、複数人を巻き込んで――リタイアした。




