▼プロローグ▲
「ただいま戻りました、ローズ様」
「あら出戻り従者、予想通りではあったけど、リリィに振られた?」
「はい。今は距離を置いた方がお互いのために良いだろうという判断をいただきまして」
「てゆーと、何もかも話して価値観が違うからって拒否したわけ?」
「はい、今の僕はミッドランド侯爵令嬢にふさわしくないので――変えてみせて下さいと」
「……。なるほどね、そういう結論」
約三時間後の二十三時、ベイスはローズの宿泊するホテルに戻ってきた。
だらしなくソファに寝転がっていたローズは、それで大体の事情を察する。
「で、今まで何をやってたの?」
「空からの夜景を楽しんだあとに食事をご一緒して来ました」
「それだけだった? 夜なのに?」
「今は焦らしプレイだそうですよ、お互いに」
「……良いパートナーになれそうじゃない。なんで私の所に戻ってきた?」
「ローズ様は仰っていたではありませんか、僕を手放すつもりはないのだと」
「それ命令じゃないんだけど?」
「今のところ僕が求める理想の主人はあなたです、ローズ様」
「……まったく、こんな私のどこがいいのよ。ほら、さっさとそこに跪く!」
ベイスはソファから立ち上がったローズの前で跪き頭を垂れた。
その頭上にローズの手がかざされる。
「また主従契約を結ぶわよ。真言めんどいから中省略――とりあえず今後も私に仕えなさい」
「イエス、マイレディ」
諸々の手順を簡略して本題の儀式だけ済ませると、ベイスは再びローズを主人とする従者になった。そのあとすぐローズはまたソファに腰掛けて息をつく。
「ほんと馬鹿ね、受け入れられなかった価値観を満たすために戻ってきたの?」
「お恥ずかしながら。しかしリリィ様は否定されませんでした、流石はお嬢様に並ぶ方です」
「ふん、今は追い越されているけどね。ぶち抜くわ、次は必ず私が勝つ。絶対よ?」
「支えます。しかしお嬢様、次のレースに際してのご予算は」
「あーそれ? 借金は二位の賞金で返したわよ、まあそれだけだと無一文だったんだけど」
ローズはそうあっさり言うと携帯を見せる。
それはベイスが居ない時間帯に届いたメールボックスの受信欄で、
「たった一社、だけどスポンサーを打診してきた企業がある。早速明後日に面談したいって」
「おめでとうございます、お嬢様」
「ふふん、決闘には負けたけど真の目的は微妙に前進したわ。これからも万全に飛び続ける、そのために稼げる金を稼がないと」
「お供します、何なりとお申し付け下さい」
「じゃあ早速だけど命令するわ。……何か欲しいものはある? 今回のレースの働きは相応に褒めて然るべきものだった。信賞必罰、少しは報いを与えたいと思うもの、貧乏だけど」
ローズは上機嫌の笑みを浮かべていた。ベイスはその気分を察していた。
一度ほどいたツインテールを自分で結い直していた時点で間違いなかったが、しかしこれをどう表現して答えればいいかベイスは悩み、考えた。少しして、
「そんなに縮こまらなくていいわ。何がいい? 可能な限り善処する」
「……。僕の望みはお嬢様のような貴人に傅くことです、それ以上はありません。ですから」
「なに?」
「ですからお嬢様、もし望みを叶えていただけるなら、僕にそれ以上を望ませてみて下さい」
「……。ああ、間接的ではあるけれど、私にリリィの協力をしろってこと?」
「恐れながら。そしてそれは、お二人のどちらが早く僕を変えられるかの競争にもなるかと」
「はっ、度しがたいほど歪んだ価値観! つくづく人として精神的な欠陥品よ、“お互いにね”」
ローズは言って、口元をにやりとゆがませる。
肉体的なハンディキャップは同情される、だが精神的なものはどうだろうか。
たとえば恋愛感情などという生物学的にあって当然の性的欲求――そんなものが自分に全く無いことに、しかし元から無いものに絶望することは決してなかった。この顔だけは好ましいタイプということで従者にした仕人にも所有欲以外の情が芽生えることは一切なく。だが、
「……まあ確かに、それは私に課されるべきペナルティかも。決闘に負けた分際で今後も同じ立場に甘んじていられるなんて虫の良い話だし、私自身も癪に障るし。もしかしたらあなたを介して反動的に何か得られるかもしれないし……。いいわよ、叶えてあげる、その望み」
ローズは考える、『ありのままの自分で勝つ』ことが出来なかったのは運命だと。
ベイスが出て行ったとき味わいかけた喪失感、それは情愛には程遠いが執着には違いない。レース以外で希薄になっていた感覚、だから育てたいと思った、今後の己の糧とするために。
「で、私はベイスに仕人としての立場以上の望みを持たせられればいいわけね?」
「はい、そのようなことが出来るなら」
「ふん。ならまずはそうね――とりあえず学校に通い始めなさい。平民の通う高等学校にね。知識と見聞を深め、より広く世界を感じられるようになりなさい、命令よ」
「かしこまりました。では僕の労役は?」
「もちろん仕人でも通える学校を手配するから免除は無し。平民になんてさせないわ、だってあなたはまだそんな望みを持っていないじゃない?」
「はい、その通りです」
「だからもっと世界を学びなさい。その結果として平民になりたいと――貴族を目指したいと望むようになるかもしれないから」
「ではその褒賞、謹んで受け取らせて頂きます」
「ま、学校での勉強がレースの役に立つこともあるでしょう。だけどそれはあくまで付加価値に過ぎないわ。学ぶ意味を一つに絞っていいのは進むべき道に身命を賭す覚悟を決めた者だけよ?」
「心得ました」
その返答にローズは、自分こそどうなのだと自嘲もしつつ満足する。
独りきりの戦いはこれで一応のひと区切り。次からはもっとさらに純粋に、勝つことを己の至上目的としてレースに臨む。だからこの従者と交わした褒賞契約は、ある意味で――
「だけどベイス、よくも自分を変えようなんて気になったわね。何があった?」
「リリィ様の想いに応えたくなったのです。まだ確証はないのですが……」
「何の確証?」
「あのお姿にときめいてしまったようでして。つまり僕の属性は【桜髪巨乳】ではないかと」
「あっははは!! なによそれ! だったらなおのこと私の所に戻る必要ないじゃないっ!」
「それはそれ、これはこれというもので」
「あーおかしい、久しぶりの大笑いよ。だけどいいわ、もしそんなあなたが変わるなら」
きっと自分達以外の人間には歪な関係だと理解されはしないだろう。永遠に続くことのない心地よさかもしれない。ローズはしかし笑っていた。敗北と共に訪れた新しい兆しを認め、
「私も変わるかもしれないわね。凡俗好みの性格の、少しはマシなローズ・ランカスターに」
第一部 完
第二部 始




