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ミッドランド領はランカスター領の隣にあり、リリィとローズは幼少期から交流があった。
ローズは父がレーサーである影響もあり、早くからブルームを乗りこなした。
それを羨んで真似したわけではない、ほぼ同時期にリリィもレーサーを志し、サーキットに足を運んではそのたびにローズと競い合った。
しかしリリィにとって幸いだったのは、己のエレメントに地属性が無かったこと。
もしあったなら決して追い付けない才能に潰されて、レースの道を断っていたに違いない。ライバルをいつか必ず乗り越える、そんな正しい前向きさがリリィを支える意志だった。
そしてその願いは結実する。宿敵の不在という不名誉によって叶ってしまう。
だがローズに拘り続けるつもりはなかった。環境に潰されて飛べなくなるウィッチでない、必ず這い上がってくると分かっていた。追うだけではなく、並び立つ位置にいたのだから。
けれど今は違っている、リリィには勝たなくてはいけない理由がある。
(可能な限り万全な、言い訳できないローズに勝つ! そうでなければ……意味が無い!!)
ピットロードに侵入する。指示は既に済んでいる。
そしてピットで一時停止するとチームが動く、路面に下りて足を付けた僅かな間に、
「ブラシ換装! アナっ、変更完了!」
「了解クリス、ご武運を、リリィ様!!」
再び飛ぶ、所要時間は四秒未満。補給もしたローズとは距離を二秒も縮めていた。
ピットから出た赤のローブは間近にあり、だがすぐに加速力に任せて引き離そうとする。
(グラウンド・フライトと三属性フュエル、圧倒的なコストパフォーマンスを生む二つの技がローズの最強を作り上げた。繊細なマナコントロールの集中力も乱れない、けどそれは!)
だからといって、他の魔女に比べてローズが低コストで飛んでいるわけではない。有り余るフュエルは推力制御だけに使われるのでなく、地や火や光のエレメントでは削るのに適さない空気抵抗やGフォースを軽減する防護魔法にこそ多くが割かれている。減らしたコストの分をそれらの対処に用いることで、本来は不得手なはずの高速航行を叶えている。
つまりローズは二つの超高難度技術を身につけざるを得なかったのだ、勝つために。
もし風属性があったなら今よりさらに強くなったとも言われている。
――そんな仮定に意味はない、己に合った武器を磨く以外に道はない。
だからこそリリィも手に入れた。誰よりも速く飛ぶために、勝つために――
「クインテット! 【ライディング・シークエンス】!!」
『進路上のエーテル濃度、乱流率の算出完了ッ、送ります!!』
『アクティブローブ展開! サドル収納、ブーツアンカー固定、グリップ解除!!』
『ブラシ感度、正常値!! モード移行!!』
『マナバイタル、オールグリーン! いっちゃってOKデス!!』
己にローズほどの天才はない。認めている。だが無いものは補える、だけでなく。
「おい、〈白百合〉がアレをやるぞ!!」
「なッ、ブルームの上に?!」
「立ち上がったあ!?」
風と水と光こそがリリィの持つエレメント。
三属性フュエルはローズだけの特権でない。
それでも足りなかったものはチームによって支えられ――
(行きますわよっ、今の私があなたにどれほど迫れたか、追い越せたか!!)
ピットから出た直後のストレート。巡航高度に昇るため機首を上げた傾きのなかでリリィは体勢を変えて箒の柄に足をかける、その瞬間はエアロダイナミクスの制御に全力する。
またがっていたサドルは邪魔にならない柄のサイドにピット操作で分割収納。
そのサドルが元々あった位置に乗せた左足のブーツごとアンカーで固定して軸にする。
以後ブルームは両足でコントロール、先ほどまで握っていた柄のグリップ機能は解除済み。
さらに展開したローブが縦帆となり進行方向のエーテル風を掴んで淡い光を纏っていく。
そうしてリリィは水面や雪原をすべるボードのごとく、箒の柄に立ち乗って、
「ライド完了ッ、【セイリング・フライト】――スタート!!」
「っ、来たわね!!」
ローズは背後からマナの威圧がくるのを予感した。その直後、
「――ッ、抜かされた!?」
「遅いですわ、ローズ!!」
地を這うローズの驚愕にリリィは上空から前傾姿勢で反応する。
しかしまだ引き剥がしてはいない、赤の速度が増大して位置が並ぶ。理由は分かる。
「わたくしをっ、警戒していましたわね?!」
「当ッたり前よ、このスロースターター!!」
ローズがまだ十分に残るマナをピットで補給したのはこれである。途中から追い上げてくる宿敵に備え、僅かにコストも絞っていた。これからはレース終了まで補給なし、しかし今ある魔力を使い切った時点で規定フュエル限界になるよう調節した。後は出し尽くすのみである。
――セイリング・フライト。
それは帆を張り海をゆく船のように、エーテルの風を最大限に用いて飛ぶ技術である。
風のエレメントがなければ扱えない、そしてグラウンド・フライトと同様に。
「あれ、本来はフュエル無しで進むための技だよな!? 高々度とか海上とかで!!」
「高速域で使う飛行法じゃねえ、どんだけ無茶な操縦技術が要求されると思ってやがる!」
「そうでもしないと勝てないんだろ、〈赤薔薇〉には!!」
まだレースは三分の一を過ぎた程度だが、客席は喝采に包まれる。
昨日コースレコードを叩き出したリリィの技――エーテルが乱れきった後でないと使えない天翔けるサーフィン・スタイルが決勝でもお披露目されたゆえだった。
立ち上がって広げた専用ローブを帆とし、箒をボードに見立て荒れ狂うエーテルの風と波に乗ることで補助推進力を得てそれを制御する。その難易度はミス一つで翼をもがれ墜落する、やはりレースで使うには高額の保険魔法を必須とする極めて不安定なテクニック。
だがエーテル利用効率はグラウンド・フライトに迫り、フュエルを抑えて速度を出せる。
リリィが大地を統べる〈赤薔薇〉に勝つために、幾たびの挫折と研鑚を経て獲得した、
(チームの総力でなければ成し得ない――錬磨の技!!)
初めは誰もがその姿を笑っていた、机上の空論と馬鹿にした。フュエルの総量が規定された競技ゆえの、コストパフォーマンスを求めた末のおかしな曲芸飛行と揶揄された。
それでもリリィは自分を信じた、仲間を信じた、結果が全てを覆した。
現在の完成度は中等部時代とは雲泥の差、それは新たに君臨する〈白百合〉の代名詞となり天空を従えてこうして今――並んでいる。
「追い抜きますわ!」
「負けないッての!」
風を切る天と地の二花はスラスターを噴かし合い、互いに決してゆずらない。
マギア・サーキットは海と山に囲まれた都市にあり、今飛行中の直線の多い海側はリリィの風と水のエレメントが有利になる。
潮風が白のローブと蒼の長髪をはためかせ加速させる。
しかし赤のローブも負けじと出力を上げて食らいつく。
そして高速コーナーを含め約二キロ続いた海側の直線は九〇度のカーブで終わりを告げて、ここからは道の曲がりくねった山側セクションとなり難度が一気に上昇する。
そこは地のエレメントを持つローズが支配する戦場だ。繊細なマナコントロールは急勾配や狭いコース幅などものともせず、エーテルの脈流をとらえ追い風にして速度を維持。
けれどリリィもうねる風を御しきってコーナーを曲がり追いすがる。
やがて市街地を駈けぬける赤と白は、何周も経過したレースに新たな激流を巻き起こす。
その瞬間は、マギア・サーキットの最大難所である一八〇度のヘアピンカーブ――
「メルト・ヘアピン! なのにおい……あの速度ッ?!」
「減速しねえ、突っ込むぞ!? どっちもだ!!」
客席がざわめく。その刹那。
二人が機首を傾ける。侵入角も、道幅の狭い一八〇度コーナーを曲がれるものではない。
天をゆく白は下を向き、地をゆく赤は上を向く。どちらも限りなく垂直方向に。
「「ぃ――ッけえええええええええ!!」」
前の周回までは減速し小さい旋回半径で曲がっていた。だが今はそうでない、安定を捨てて時間を極限まで削り取る、そのため両者は発想した。シミュレーターで吐くほど訓練した。
リリィの身体がロールする。右足もシャフトに固定してブルームごと逆立ちする形になる。
ローズは対して地表から天に上昇した。そして二人は“縦方向に”Uターンする航跡を描いて、
――曲がりきる。
ローズは宙返り、リリィは逆宙返りになる二つの空戦機動は、
「いッ、【インメルマン・ターン】だと?!」
「はは、【スプリットS】で曲がるかよ!?」
観客席が大きく沸く。
それは航空機に由来する、どちらも進行方向を反転させるためのマニューバー。
ローズの上昇しての反転がインメルマン、リリィの下降しての反転がスプリットS。
その対となる上下の軌道はヘアピンカーブを縦軸から曲がる際に接触寸前に近付いて、
「――おきれいです、お嬢様、リリィ様」
ピット内のモニタに映る〈赤薔薇〉と〈白百合〉に向けてベイスは呟く。
鍔迫り合うように交差した二人の飛行は、追いかける大画面を見る観客全てを釘付ける。
防護魔法がなければ互いに吹き飛んでいたほど危うい邂逅。電光石火。
それは正しく空を舞うワルキューレの剣戟だった。
「やりますわねっ! ですが!!」
「どんだけ伸びたッ、一年で!」
リリィは勢いに乗って加速しつつ地表付近まで下降する。
ローズは上空に昇りロールして姿勢を水平に戻していく。
この一八〇度ターンは実際のインメルマンやスプリットSというよりはカーブを曲がる上でロール時に僅かな傾斜をつけたため、正確には変形の技。
「おとなしく【シャンデル】をやればいいものを!」
「リリィこそ【スライスバック】で曲がれっての!」
それらも同様の高難度技術、だが狭いコース幅で高速旋回する方法を二人は突き詰めた。
両者は互い違いになった得手とする高度を元の位置に戻すため再び天地を交代する。そんな一瞬のニアミス通信も公有帯域で交わされて、観客席にも流された。
もはや疑う者は誰もいない。メディアの煽りに乗っていた野次もかき消える。
いま目撃しているのは紛れもなく――世界レベルの王者対決だったのだと。
「っ、ダメ、追い切れない!?」
「このペースじゃフュエルオーバーする! ブラシも限界!!」
「ピットに戻るわ! この……ミスを待つしかないなんてっ!!」
トップグループも時間が経つごとに離される。周回遅れのウィッチ達も増えている。
周回に遅れた場合は専用の高度を取ることと、道を妨げてはいけない規定があった。
「抜かされる一瞬だけの客席かい、この位置は!」
「触発されたらアウトだよッ、もう五人も無理してクラッシュしかけてるんだから!」
それでも魔女の血は騒いでしまう。ローズとリリィの接戦にざわめく高揚を、ブルームの速度に叩き付けて飛び続ける。いま同じサーキットで競うレーサーとして、決して恥ずかしい姿を晒すまいと全力を超えて戦場に火花を散らしていく。
そうして赤と白がほぼ同時に飛行距離300キロを超えたラストラップ――
「こ、ここまで完全ノーミスかよ! やり過ぎだろ?!」
「どっちが勝つ、どっちが速い!?」
「コースレコード更新きたぞッ、もう三回だ!!」
ピットにも客席のざわめきが響きわたる。
十周前に三度目のブラシ交換を終えたベイスは最後の周回を見守った。その心境は、
(お嬢様の勝利を僕は願う。でもなんだ、この感覚? 芯から――……熱い)
主人ローズを信じながら、ベイスは空を舞うリリィの姿に胸が高鳴り止まらない。
赤と白の魔法衣は、金と蒼の長髪を風に流しながら鍔迫り合う。
握りしめた拳を強くしてベイスは思う、この緊迫と昂ぶりを早く解き放ってしまいたい。
生まれて初めて感じている、このふるえの正体を知りたいと。
(……。この上ない全力を出し切ってる、ベイスもよくやってくれたわよ)
ローズのマナは既に枯渇寸前だ。手袋ごしでもグリップを握る汗が止まらない。
あと三十秒もしないうちに終了する、その最後の一瞬を待ち望む。
状況は海側と山側で交互に抜きつ抜かれつされど互角。しかして幾度も繰り返された難関のヘアピンカーブでの旋回精度はローズに軍配が上がっていた。そこは山側セクションの終着点でもあるゆえに、直線が続く海側になってもゴールラインまでならば。
だがローズのテンションは最後の最後でさらに強く張り詰める。油断はない。
そしてこれまで三十回以上も完璧に成功させたインメルマン・ターンを以て残り時間――
「ようやくですわ、これが正真正銘……奥の手よ!!」
「っ、リリィ?!」
僅かに十数秒、その時が訪れる直前だった。
(捉えきれないっ! 残りのフュエルは!?)
リリィは最後のスプリットSを経て確信した、このままでは敗北する。やはり強い、そして己を高めてくれるが疲弊もさせられる宿敵だ。想定を超えるサイド・バイ・サイドだったが、
『リリィ様、規定フュエル限界点――』
「分かってる、言ってアナ!」
『まだやれます!! ――十秒間!』
ここにきて残った使用可能フュエルはリリィのほうが上回った。その差が決定打になった。
セイリング・フライト最大の利点は身に纏うローブの向きや傾きにより掴んだエーテル風を高効率で推力変換できること。その効果は、“己の身体の一部”を用いても同様に――
「この身に追い風を寄こしなさいッ、【トランスッ・アクセラレーション】!!」
「――っ、髪の毛かあ!!」
咆吼と共に変質する。リリィはマナを用いて魔女の命である髪をもう一つのセイルとした。
効果は高くとも膨大なランニングコストがかかる技、ゆえにこれまで使えなかった。
しかしそれが今なお最大出力で飛び続けるブルームにさらなる速度を与える翼となる。
リリィの髪がエーテル風を受けて淡い光を放ってゆき、そして変貌する、色彩も。
「〈白百合〉の蒼髪が――」
「きれいな薄紅の……桜色」
観客全てが息を呑む。ベイスさえも我を忘れて空に見入った。あざやかに花ひらいたように染まってゆく桜髪を、滑走する天になびかせる〈白百合〉に。
「このっ、隠し技なんて!!」
「最後だけの、切り札よ!!」
リリィはこの時を待っていた。ローズがいなかったから手に入った玉座だと、そう誹る己の不満を払拭した。この今が最高だ、リリィは一陣の疾風となり飛翔する。
海に囲まれた最終コーナーを曲がり、全力を振り絞ったフィニッシュのホームストレート。山側で開いていた〈赤薔薇〉との僅差がその間にゼロとなり、コンマ一秒差で覆り――
[決着です!! 蒼穹に咲く〈白百合〉が、いま桜花の髪を振り乱しフラッグを掴み取りッ]
「わたくしはッ、勝ちました!! 真の飛花の栄冠は、リリィ・ミッドランドの勝利の元に!!」




