▼1▲ ‐決勝‐
『では、健闘を祈ります。力の限りを尽くして私に立ち向かってきて下さい、ベイスさん』
「はい。レース後にお会いしましょう、どのような結果になったとしても」
『ええ、必ず迎えに行きますから♪』
時刻は十五時、レース開始の直前に、ピット内のベイスは携帯画面をそっと閉じた。
あちらは既にコース上、魔法通信を介しているのでリリィは携帯なしで遣り取りできるが、語らう時間はもう過ぎた。
――ユーロス・スクールGP――
この全長6.2キロの公道を使って行われるレースに出るウィッチは、実に八割が高等部の二年次レーサー達である。ローズやリリィのように初年度から飛べる魔女は希少だった。
高等部初年度はナショナルカテゴリでしか飛ぶことを許可されない。
中等部では頂点だった二人が国内レースに出る理由はそれなのだが、しかしそんな事情など他の先達には関係ない。
「……〈赤薔薇〉も〈白百合〉も、小等部からずっと突き上げてきてうざったい」
「年下のくせに目の上のなんとやらね。赤い方は家の自滅で消えてくれたと思ったのに」
「あんたら、弱い言葉は慎みな。気構えまでは負けたくないよ」
このマギア・サーキットの表彰台に登れば、ワールドカテゴリへと移行できる。その切符を賭けて飛ぶ者達がほとんどだ。
ナショナルカテゴリのレーサーが弱いのではない。ワールドカテゴリは国内ランク上位数名もしくは特定条件をクリアした者しか出場を許されない。つまりその結果に届ききらなかった前年度のウィッチらがチャンスを窺い続けていた。
「タイムじゃ遅れすぎてることはない。成長してるんだよ、向こうが一年止まってる間にも」
「当然だね、じゃなかったら今年の国内シリーズで白い方に迫ることさえできてない」
「……通信切るよ、終わったら久々に飲もっか。それを祝杯にするために――」
それぞれの意地の混じった視線が前方へ向けられる。スターティンググリッドは白が先頭、赤が次点、はからずも状況はメディアが期待する形であった、
「いい風ですわね、乱れのない」
「そうね、私好みの静かな風よ」
「でも私は、波乱に満ちていた方が好きですわ」
「……前から思ってたけど、ベイス相手じゃ『ですわ』口調にならないわね。どうしてよ?」
「好きな人の前では淑やかでいたい意識の表れかと♪」
「ライバルを潰しにかかる冷徹なお嬢様だってのにね」
「殿方は女性にギャップ効果を求められるようですから」
「はあ。ベイスを一般的な男だと認識するのは間違いよ」
「……嫉妬と受け止めてよろしくて?」
「はっ、めでたい恋愛脳してるわよ!」
予選一位と二位のグリッドから二人は顔も見ずに通信する。だがそれも束の間だ。
(路面の熱、温度に湿度、大気の流れ、陽光の強さ――陰の位置は)
(コース上のエーテルは昨日とほぼ同じ状態、なら勝機を掴むには)
二人はグリップを握りしめ、点灯を待つサインを睨みつける。
純白の三角帽に魔法衣の。
真紅の三角帽に魔法衣の。
蒼髪、そして白のブルームはエメラルドグリーンとサファイアブルーに彩られ。
金髪、そして白のブルームはゴールドに彩られ。
――浮き上がる。
全ての魔女が箒にまたがりスタート位置と指定高度につき、ピットはそれに固唾を飲んだ。
『アナ。ベラ、クリス、エリサ。最善を』
「四人とも了解です、リリィ様。勝利を」
『ベイス。私に何か言うことある?』
「羽や手足は喋りません。ご随意に」
『もう聞き飽きた回答ね……上々よ』
そうして開始時刻が訪れて、スタートのサインが点灯し。
[ユーロス・スクールGP、決勝戦――いま、開幕です!!]
「いっけええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
ローズは体内から灼熱の咆吼を吐き出した。
グリップより伝導されたマナがエンジンを一気に唸らせる。地と火と光のエレメントが生む相乗効果、それがもたらす爆発力が穂先のスラスターから噴き上がり、
「っ、相変わらず!」「初速の鬼!」「こんのぉ!」
「構いませんわ、今はまだ!!」
加速する、スタート時の指定高度からサーキットの路面すれすれまでローズは機首――柄の尖端をさげて降下して、その直後。
(さあ行くわよ、私の相棒!!)
マント状に広がったローブに下から押される力がくる。大地から受けるエーテル流、それが身体を支える揚力となりマナコストを抑制する。そのアシストを得て更に速度を上げていく。
レースにおいてはパイロット自身が消費するマナを【フュエル】と呼ぶ。
それに対し自然界にあるマナがエーテルだ。フュエルの使用総量は全員が一律であり、また消費量はリアルタイムでチェックされ、超過すれば即失格。それが高コスト大出力の飛行法が下策となる理由だ。しかしエーテルを飛行アシストに用いるのはOK。魔法衣の材質や製法、穂先の硬軟が日々研究されているのも、それをいかに活用できるかという開発競争の一環だ。
その有効性において他の追随を許さない飛行スタイル、それこそが。
(グラウンド・フライト!! 地のエレメントを色濃く持つ者だけが扱える飛行法!!)
ブルームで飛ぶ際は、まずフュエルを使って浮力を得る。
それは飛行中、常に使用され続けてしまうもの。だからローブなどの装備でコストを抑える必要があるのだが、大気エーテル活用は不安定で損失が多い。しかしグラウンド・フライトは地表付近を飛び続けていれば高効率で安定し、また整地された道がエーテルの脈流となるためコーナーリングも強力にアシストされる。良いことづくめに思える飛行法――だが、
「いっつもながらおっかねえ!!」
「初めて直で見たけどよ! こっちまでハラハラしてくんぞ!」
「心臓に悪すぎるっ、なんで坂道でも路面上に吸い付いてるみたいに飛べるんだよ?!」
観客席からも驚嘆と喝采が上がってくる。他の魔女達が飛ぶ高度に比べて、あまりにそれは陸上に近すぎた。地走る最速のモータースポーツを思わせてしまうほどに。
だからこそ。
(コントロールを失えば、他のどんな飛行法より危険だと――忌避された)
スタート直後にローズはトップに立ち、二位以下を引き離した。
もちろんそれは浮力維持に割く分のマナを速度に費やしているからでもあるが。
「決勝だと圧倒的だな、〈赤薔薇〉は!!」
「確か三属性の混合フュエルが急加速の原動力なんだよな?!」
「ああ、だが想像するだけで吐きそうだッ、どんな神経ならその技二つを同時に扱える!?」
高速で飛ぶには高度を一定に保つ必要がある。エーテルに乗るといっても空中に固定されているわけではない、平坦に飛んでいる間も常に上下動しているのがブルームだ。
高度の維持は航空機であれば動翼がその役割を果たしている。ウィッチはそれを、魔法衣や三角帽といった装備による補正と、グリップで操作するブラシの挙動で制御する。しかしそのマナコントロール難度は、飛ぶスピードと空間内のエーテル濃度に影響される。つまり強力な効果に対して、グラウンド・フライトはミス一つで地面に即激突する神業であり――
「あまりに過酷なハイリスク・ハイリターン……っ、悪魔の技!」
「だからレースじゃ使えない、いえ、使われなくなったのよ!!」
「誰もが〈赤薔薇〉に憧れて、その技術を身につけようと努力した。だけど!」
ローズを追う魔女の群れにも地のエレメントを持つ者は当然いる。
それでも彼女達はグラウンド・フライトを使えない。この技術を完璧に扱えるようになった中等部から世界戦を勝ち抜いて頂点に立ったローズの後に、誰一人として続かない。
もちろん習得に挑んだ者もいた、保険魔法を使わず訓練し事故で死んでしまった者もいた、たとえ使えてもレースを飛びきる長時間の集中を保てる者はいなかった。一見してただ地面の付近を飛んでいる簡単な技に映るから真似されて、――やがて必ず失望された。
みなが口を揃えてこう言うのだ、誰も真似が出来ないと。そして真似のされない孤独の技はスクールだけでなくワークスからも忌避された。量産型グラウンド・フライト装備開発計画も難航の末に凍結され、そのためローズはどの企業からも歓迎されない存在だった。
たった独りしか扱えない、汎用化できず継承されない技術は金を生まない、価値が無い。
それでもローズは飛び続けた。金食い虫と蔑まれてなお、空と大地の狭間を征った。
己の存在を誇示するため? 誰よりも優れていると叫ぶため? もちろんだ。
だがそんな欲求だけが動機でなく、
(飛ぶことが――全てだからよ!!)
地のエレメントは速度重視のレースにおいて有利でない。その常識を覆したと褒められた。嬉しかった。こんなどうしようもなく傲り高ぶる自分の価値を堂々と証明できるのは唯一つ、レースで結果を出したときのみだった。
その末にあったのが孤独でもローズは気にしたことは欠片もない。
羨望され、尊敬され、嫉妬され、邪魔されて、そして最後には――無視されても。
みなすぐに気付くのだ、そんな技を使わなくても飛べるのだと。
何より風のエレメントは空気抵抗の軽減に有利に働く。高速航行において地のエレメントと比較にならない有用性を発揮する。むしろそれこそがこれまで通りの常識であり常道であり、とどのつまり「正しい」のだと。
だからこそローズは飛ぶ。どれだけ「間違っている」と罵られても、その姿こそ自分だと。
たとえ孤独に咲く花であろうとも、その強さと気高さは誰にも貶せないのだから。
けれども昨年まで十五歳だった少女である、そんな生き様以外を模索したくもなっていた。
だからこの雌伏の一年は迷いの期間でもあったのだ。
レースから離れることもできる、飛ばないからと死にはしない、他の道もあるのだと。
自分自身の姿など、いくらでも新しく作っていけるのだと。
もちろんその試行に意味はあった。しかし意義を見いだすことはできなかった。
折られた翼の痛みを忘れようとしながらも、それでも飛び立つ空を睨んでいた。
――あの日まで。
(私は飛ぶ、たとえ降って湧いた幸運だとしても、もう決して離しはしない!!)
何も無くてもあと二年待てばレースに復帰できただろう。三年間という取り返しのつかない月日と引き替えに、もっと多くの喜ばしい何かを手に入れることが出来たかも知れない。
だがいらない、必要ない。その覚悟を身に纏ってローズは飛ぶ。このレースの勝利によってそれをより盤石のものとする、己には空を駆ける翼一つあればいい。それでいいのだから。
『お嬢様、あと二周でブラシが急速劣化します。その前に』
「分かってる!! 補給剤は!?」
『数値上はまだ問題ありません。ですが』
「ならそれも! ピットインは六秒以内!」
『かしこまりました』
従者が必要な情報をよこしてくる。通信に使うマナは規制対象外だが、判断は一瞬だ。
300キロ超の距離を周回するこのスクールGPでは、僅かなタイムロスも致命となる。
そして今もまだトップではあるが追われる立場だ、相手はもちろん一人でない。
しかしローズには分かっている、己が孤独の空を飛ぶ者ならその逆もいるのだと。
レース開始約二十分、すでに100キロを超えて飛んでいる。
タイミングとしてはこれ以上ピットインを先送りにはできない。
可能な限りピットストップを減らすための戦略だが、アドバンテージも失いつつある。
そしてもうそろそろ――来るはずだ。
(上空のエーテルが乱れてきてる。当然ね、多くのウィッチが航跡をつけているのだから)
ローズはその影響を受けにくい。なぜなら低空を飛べる者は他にいない、乱されない。
ゆえに常に一定のラインと速度を保ち続けることが出来、なおコストを抑えられる。
だがローズ以外はそうはいかない。エーテルが乱れるとブルームの挙動の制御がより困難になって気を配ることが多くなる。余計にフュエルも消費させられる。
真っ直ぐ飛び、正確にコーナーを曲がる、飛行高度を一定に保つ、これを延々と何十周回もミス一つ無く終えるのに、どれほど神経を削がれるか。
もちろん誰かの後ろにつけばスリップストリームに入り、速度を維持しつつコストを抑えることは容易になる。それが定石かつ基本である。そしてブルームは左右のみならず上下を使う縦横の三次元機動を描けるため、前に邪魔者がいてもオーバーテイクがたやすく可能だ。
その理屈に従えば単独で飛ぶ利点はあまりない。事実、背後には隊列を組んだウィッチ達が迫っている。ローズはつまり異端者だ。
魔女らしいと言えば確かにそうだ。しかし異端の魔女は他にも存在する、“もう一人”。
『リリィ様、予測では次の周回で〈赤薔薇〉がピットインします』
「了解、ブラシ交換の他に補給はいる?」
『あと二十周は不要デス! 超音速飛行でマナ容量を鍛えただけありますネ、超余裕!』
「ふふ、そうでもしないと勝てませんからね。削れる時間は私も削ったわよ、ローズ!!」




