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「ただいま戻りました、お嬢様」


 滞在先のホテルに戻り、ベイスは主人に挨拶した。

 ローズは最上階のスイートから公道を、僅かに夕陽の差すマギア・サーキットを臨む。


「あー、遅すぎ遅すぎ。パドックでわいわいしてこなかったの?」

「はい。食事や飲み物をすすめられましたが、遠慮いたしました」

「この二ヶ月で何度もデートしていた割には淡泊ね、そんなにベイスはリリィが嫌い?」

「好きですよ。そして感謝もしています、ブラシ交換の経験を積ませていただいたので」

「……ま、こっちも助かりはしたけどね。私が学校行ってる間にあなた一人で練習する施設もタダで使わせてくれたし、節約にはなったわよ。会うための口実ついでかもしれないけど」


 そう言うとローズはソファに勢いよく腰掛ける。その横にベイスが控えていく。

 まだ強い日差しと夏の空気に全身がじわり熱されて、吹き出る汗に濡れていく。


「空調を切られているのですか。お召し物も全て脱がれて」

「いいのよ、この都市のマナに直に触れていたかったの。本当は外で裸になりたかったけど」

「手配しましょう。衆人環視には晒せませんので、近くの屋外プールを一時的に貸し切りに」

「金があってもやらないわよ! ……たまのジョークくらい通じなさい」


 ローズは呆れて嘆息する。ほどいた長い金髪でもって裸体を隠そうともしない自身の態度が問題なのだろうかとも考えたが、いつも見せている主人の素肌に抵抗感がないのはある意味で当然かもしれなかった。

 もっとも、そういう余計な感情をベイスが持たないからこその振る舞いだったが。


「――で、向こうのチームに会ってきたんでしょ。どうだった?」

「それぞれが最高のパフォーマンスを出せる位置にいると思いました。人の数は力だとも」

「じゃあ少しは考えたでしょ、どうして私があなたしかピットに入れないのか」

「ほんの僅かによぎりはしました、それだけです」


 淀みない回答にローズは微笑する。この従者は主人の命令に疑問を挟み、無用なストレスを貯めこむことを決してしない。その忠節に対し目を合わせ、告げていく。

 己の真意は――

 

「私はね、自分しか信用してないのよ。気分ひとつで壊れる交際も、契約書を介した関係も、法的拘束力があろうがなかろうが不健全とさえ思ってる。何せたとえ厳罰に処されるとしても裏切られない保証はないんだから。期待通りに動いてくれる確証もね」

「……お嬢様」

「もちろん、お父様の事件も一因ではあるわ。でも人間不信ってわけじゃない、緊張感のない浮ついた人を近くに置いて飛びたくなかったの。そんな独りよがりのローズ・ランカスターがどこまでやれるか試すためにね」


 今のローズの命題は単純な『勝利』でない、『ありのままの自分で勝つ』ことだ。

 だから思う、今日ポールポジションを奪われ後塵を拝すことになったその意味は。


「深窓のご令嬢、たしかにそうよ。私は嫌い……大嫌いよ、自分を曲げることも、凡俗におもねることも」


 負けた後が怖くて仕方ない。勝利だけが目的ならなりふり構わず無様に足掻くべきなのだ。ローズは己の不純さを分かっている、それはレースに恋を絡めるリリィと比べてなおそうだ。

 それでも嫌だ、このレースという聖域で、邪魔をするかもしれない者が傍にいるなど――


「お嬢様、僕はあなたに従います。そのご用命に尽くします」

「ベイス?」

「この身をお使い下さい、飛ぶための道具の一つとして。ご随意に」

「……。ならば応えてみせなさい。私の手足、私の羽――その務めを果たすのよ、完璧に」

「イエス、マイレディ」


 従者の分際で、騎士のようにベイスはひざまずく。

 ローズにとってそれはもう自然となっていた関係だ。一年前に選んで手に入れた、出会った当初は【服従魔法スレイブ】でもかけられているのかと疑った献身性。だがそれは許可なく使うことを禁じられた違法であり、隠し通すことのできない重犯罪で、そうではない。

 一等仕人にかけられている魔法はただ一つ。主人に嘘をつけなくなる【真意魔法トゥルース】のみ。

 しかしそれを必要としないほど透徹しているのだ、この仕人の本心は。それをローズは知っていた。


「明日は勝つわよ、私たちで」


 ローズは立つ。月の現れはじめた光を浴び、何もかもをさらけ出し清々しく。

 裸になった心でもって、再び与えられた自由の翼を羽ばたかせ、飛ぶために。


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