episode1
ピピピッ、ピピピッ――、
「……んっ」
少年――片桐祐輔は、目覚まし時計の音で目を覚ました。だが、音が聞こえても昨日は少し夜更かしをしてしまったため、まだ眠い。しかし、祐輔は高校二年生。しかも今日は週の初めの二日目――月曜日である。祝日を除いては、学校に通わなければならない。誰かが、起こしてくれれば迷惑を掛けられないという事で否応でも起きれるのかもしれない。
だが、朝、祐輔を起こしてくれる人物はいない。
両親は共に働いているため、朝が早く家に居ない。居る時もあるが、その時は大抵夜遅くに帰ってくるので、朝になっていても寝ていることが大半である。妹も一人居るのだが、自分よりも朝に弱い。今頃は枕を抱いて爆睡しているだろう。なので妹に頼むのは論外である。
隣に住む幼馴染が居てくれればいいが、隣に住んでいるのは、七十代の老人夫婦が住んでいる。漫画やアニメのようにおいそれと都合よく住んでいない。
そのため、祐輔は自力で目覚まし時計のアラームを止めて、眠気を必死で振り払いながらベットから抜け出して部屋を出た。
「くそっ……眠い」
祐輔はまず眠気を完全に振り払おうと洗面所に向かって顔を洗うことにした。
家は二階建てであり、部屋は当然なのか分からないが二階にある。肝心の洗面所は一階にあるため、階段を下りなければならない。下りる動作は普通なら訳ないが、目覚めてまもない状態では下りるのにも一苦労である。
だが、そこはまだ回らない頭を必死で回して壁に肩を預け、もたれかかりながら下りていく。階段を降りた後もその体勢を維持しながら、洗面所まで目指す。
多少の時間を掛けて洗面所に辿り着いた祐輔は蛇口を捻り、水を出した。その水を両手ですくい、二回、三回と顔を洗い、再度蛇口を捻り、水を止めて目の前の備え付けの鏡を見た。
特にイケメンでもなければブサイクでもない、普通よりは下の方だと祐輔は自分の顔を自己評価している。
自分の名前ど同じように何処にでもいそうな顔――モブキャラのような顔だと。
祐輔は鏡を見るのを止め、タオルで顔を拭いた。顔をふき終わったタオルを近くの洗濯籠に投げ入れ、洗面所を出た。
祐輔が次に向かった場所はリビングだった。テレビとソファが当然のように置かれており、テーブルとイスがそれぞれ四つずつある。他には、これといった特徴はない。祐輔はリビングを通り抜け、キッチンに向かった。無論、朝ご飯を作るためだ。
しかし、祐輔の料理スキルはそれほど高くない。せいぜい、十品ぐらいはなんとか作れるレベルである。だが、朝から料理を作るという気は全くない。それは、準備や片づけが面倒であり、更に時間が掛かるため学校に遅刻するからである。
「……」
だから祐輔の朝は、大抵は食パンである。冷蔵庫を開け、その中から食パンの袋を取り出して、ドアを閉める。食パンを焼くため、電子レンジに向かいながら、袋を開いてパンを二枚出す。お目当ての電子レンジの前で立ち止まると、取っ手を開けて手に持っている食パンを中に入れて、蓋を閉じる。そして、横にあるレンジ、トースト、オーブンなどのボタンの中からトーストのボタンを押した。次にボタンの一番下にあるスタートボタンを押すと、電子レンジの中が明るくなり、中に入れた食パンが回りだした。
「……よし」
電子レンジがしっかり動いたことを確認すると袋を冷蔵庫に戻し、キッチンを出た。更にリビングからも出て、階段を上っていった。自分の部屋を通り過ぎ、隣の部屋の前で祐輔は立ち止まった。
そして、右手の甲で軽くドアを叩く。
「起きろ、美樹。朝だぞ」
しかし、中からの返答は無い。なので、今度はドン、ドン、ドン、と強めにドアを叩く。
「おいっ、遅刻するぞ」
それでも、中からの反応は無い。恐らくは、未だに寝ているのだろう。だが、今日に始まったことではない。妹――美樹を起こすのは祐輔にとって決まりきったことである。
「……はぁ」
祐輔はため息を付きながら、目の前にあるドアノブを握った。年頃の女子の部屋を入るのは、些か健全な男子には抵抗があるものであるが、祐輔にはそんな抵抗はなかった。何分、妹との関係は良好であるため、美樹の部屋に入ることはさして珍しくはない。
それに妹だ。同じ両親から生まれた、同じ血が流れているれっきとした兄妹である。祐輔としては、兄妹の垣根を超えるつもりはない。祐輔は何時も通り、美樹を起こすべくドアを開けた。
多分、美樹の部屋に初めて入った人は、部屋の中を見てこう思うだろう。
しっかりと整理整頓されている、女の子らしい部屋だと。
ピンクのカーテンに、しっかりと整理整頓されている、本棚。それに部屋の真ん中にはマットが敷かれており、その上に円卓のテーブルがある。角には、円卓のテーブルとは別に学習机がある。そして、ぬいぐるみが大量に置かれているベット。文句のない女の子らしい部屋だろう。
だが、それは朝以外の時間限定であることは兄である祐輔しか知らない。朝に限っては部屋が恐ろしいことになっている。
そう、物がゴチャゴチャになっているのだ。まるで、暴れたように部屋中にぬいぐるみが散乱していた。犬のぬいぐるみが仰向けになりながら床に落ちていたり、ワニのぬいぐるみが本棚の本に食いつくように本棚の中に入っていたり、熊のぬいぐるみが逆さまの状態でゴミ箱に突っ込んでいたりと、とにかく酷い有り様だった。
そして、部屋をこんなに散らかした張本人は、と言うと、何故か異様に胴体が長い猫のぬいぐるみを抱えながらベットの上で寝ていた。幸せそうな顔で。
「…………」
何時もの事だが、ここで祐輔は妹を起こすのを少し躊躇ってしまう。祐輔と違って、妹である美樹は美と付ける事が出来る分類の少女である。妹でもそんな少女が、それはもう御大層に幸せそうな寝顔なので、起こすのに罪悪感が出てしまうのだ。
しかし、だからと言って起こさないわけにはいかないのが現状である。
現在の時刻は自分が起きてから十分しか経っていない。しかし、朝に特に気合を入れて髪のセットをしない男子である祐輔ならともかくとして、女子である美樹はそうはいかない。髪の手入れなど、整える男子と違って時間が大幅にかかる。時間を掛けない女子もいるだろうが美樹は時間を掛けるタイプである。それに、他にも学校の支度や朝食の時間もある。それを考慮すると今起こしておかなければならない。
罪の意識を奥に押し殺し、祐輔は美樹を起こすことにした。
「起きろ、美樹」
肩を揺らすと、美樹は「うみゅ……」と言いながら寝返りをうった。
「おい、準備する時間が無くなるぞ」
「……ネッコン」
「あ?」
「ネッコン……は、…………渡さない……もん」
「いらねえよ、そんなぬいぐるみ。ってか、起きろっ」
美樹が抱えているぬいぐるみなど、祐輔は欲しくとも何ともない。欲しいのは美樹がしっかりと起きてくれる目覚まし方法である。何度か肩を揺すると半開きだが美樹が目を開けた。そして、ネッコンというぬいぐるみを抱えながら、上半身を起こした。
「うぃ……お兄ちゃん?」
「ああ。洗面所行って、顔洗ってこいよ」
「……ふわ~ぁい」
と、欠伸をしながら返事をした美樹はネッコンを抱きながら、しぶしぶといった感じでベットから下りた。
「眠い……いっそのこと、時間が止まんないかなぁ」
「はいはい、そんな非現実的なこと言ってないで、とっとと行く」
祐輔は未だに眠たそうにしている美樹を後ろから急かすように押した。学生の朝は忙しいのだ。朝起きて、ご飯を食べたり、学校の支度をしたり、寝癖を直したりと、てんこ盛りである。時間が幾らあっても足りない事だってある。美樹が言うようにもしも時間が止まってくれれば、そういった問題は解決してしまうのかもしれない。
しかし、所詮――妄想である。
どれ程、願おうがそんな事は決してない。空から女の子が降ってくるとか、突然異世界に行ってしまうとか、願ったところでそうなるわけではない。そういうのは二次元やフィクションでしかありえないのだ。
妄想は妄想でしかない。それが――現実である。
だが、祐輔は知っていた。
この世界はそんな妄想が叶ってしまう世界。
いや、――そんな妄想が現実として存在してしまってる世界だと、いう事を。