家の掃除機が異世界に繋がっていた。第9話 鬱蒼と木々茂る森で待つ刺客
「取り敢えず、ティーという愛称にしないか?すまんが覚え切れん」
「ま、確かに言いにくいな。……ティエレンヌ、いいか?」
ティエレンヌは天の言葉に無言で頷く。
ティエレンヌ……ティーの意志を確認した天はその事をスーロに告げる。
「ではティー。改めてよろしく頼む。私の事はスーロと呼んでくれ」
スーロはゆっくりとしゃがみ込み有らぬ方向に手を伸ばし、ティーの居る所とはまるで違う場所に微笑みかける。
ティーはそれを気にする風もなく天のパーカーの裾を掴んでいた。
「……スーロ、ティーはこっちだ」
「……やはり自らは触れに来てくれないな。少々寂しいぞ」
スーロは己の手を気まずそうに引っ込め、徐に立ち上がり、ティーの居場所を手探りで探し出す。
幽霊が触れるか触れないかは分からないのでスルーする事にしたようだ。
スーロはティーのいると思われる場所を探るがティーは執拗なスーロの態度が気に入らないらしく、軽やかにその手を避けていた。
天は購入した地図とコンパスのような物を荷物から取り出し、目の前の森と地図を見比べる。
魔物は魔力の性質上、平原より森や洞窟などの日差しの弱い所を好む物が多いらしい。
しかしこの森を迂回するとなるとかなりの遠回りになり、しかも宿屋のある町や村が無いようだ。
「……森の中ってどんくらい強い魔物がいるんだ?」
数年間、スーロは一人で行き来していたらしいので大丈夫だとは思うが念の為、天はスーロに尋ねてみる。
「うむ……どいつもブロクーより硬くないな……」
「……んー。じゃ、行くか」
大まかに『どういう姿の、どういう攻撃の』という事を聞いてみたかった天だが、スーロの記憶に止めるまでも無さそうな魔物が多いようだと解釈し、三人は森へと足を踏み入れた。
鬱蒼と覆い茂る木々の根が足元を邪魔し、歩くスピードを遅くさせる。
周りを注意しながら天は道無き道を短剣で目印を付けながら歩んでいく。
攻撃してくるものは倒し、近付かないものは放って置くが、正直魔物と動物の区別が付かない。
時々タヌキに似た妙に短足な生き物が偶に視界に映る。
警戒して側には寄ってこないものの、逃げ出す訳でもなく、距離を置いてこちらを見ているようにも感じる。
「スーロ、あの短足は魔物か?」
「いや、あれは野生動物のアナタヌカンだ。酷く臆病な性格でこの森の自分の巣穴からは滅多に出てこないのだが……おかしいな」
「……助けてって、言ってる……」
「!ティー、分かるのか?!」
「?!テン、ティーが何か言ったのか?!」
不思議そうに首を傾げるスーロの言葉に、ティーは天のパーカーの裾を握ったままアナタヌカンをジッと見つめている。
珍しく自分から言葉を発したティーを振り返る天の動作に、スーロはティーの言葉も聞こえないらしく、天へと視線を動かした。
「ギャー!ギャー!」
何やら森がざわめき始める。
烏のような濁った声と空へと跳び上がる翼の音。
遠ざかるような獣の足音、木々の揺れる音が妙に耳に響く。
「……やっと来たか、魔王……いや、スローフェル=シュバルツァー」
こめかみ辺りから上へと伸びた角を携え短く黒ずんだ金髪にくすんだ肌の、黒いローブに身を包んだ男が現れた。
その男は大きな影を背後に従わせていた。
「?!!魔族か?!!」
天は警戒して身構える。
口ぶりから恐らくスーロの知り合いのようでもあるが、スーロは冷や汗を流しながら押し黙っていた。
「……忘れたのか?」
「ち、違う!ちょっとど忘れしただけだ!!顔は分かるんだ、顔は……」
スーロは天に図星を指され、必死で思い出そうと頭を押さえる。
そんな無情な元上司に魔族は項垂れ、肩を震わせてた。
「……側近の一人だった、とだけ教えておこうか。尤も、当時の反魔王派の者だがな」
「ああ!デリス!!生真面目デリスだ!!!」
親切な魔族のヒントのお陰でスーロは漸く名前と、余計な二つ名まで思い出した。
デリスは肩の震えを増し、背後にいたものへ手を翳し、蝙蝠のような羽を広げ己の姿を上空へと引き上げる。
「やはり貴様を生かして追放など現魔王は生温い!!貴様も地人族も滅ぼして然るべきだ!!!」
デリスは恨み辛みを喚き散らしながら、そのまま上空へと消えていった。
「……今更?」
「最初の1年は割と頻繁に刺客が来ていたが、人手不足らしく返り討ちに出来ていた……もう諦めたと思ったのだが」
「……人手不足で……返り討ちに出来る程度、だと?」
天は目の前の巨大な影を見上げる。
黒い体毛に覆われた巨大な狼のようなその生物は赤い瞳を怪しく煌めかせ、鋭い歯の立ち並ぶ口元は舌を垂らし、こちらへ獣臭い息を吐いていた。
その体は象くらい有るだろうか。
ティーなら屈まずとも股下に入れそうだ。
天にも感じられるほどの異様な気配を漂わせ、己の力を主張するその獣は、今までのものとは明らかにレベルが違っていた。
「……これは、古の生物、魔獣だ!……何故あいつがこれほどのものを……?!」
魔獣とは、長き時を己の魔力で生き長らえ、世界の生物とかけ離れた存在として認知されたものだった。
それは生物の進化系とも言われ、例え魔獣の中で一番弱くとも、全ての生物の力を凌駕すると言われているらしい。
スーロも剣を構え、獣の動きを凝視しているが、攻め入る隙が見当たらず、攻め倦ねている。
額から流れる汗は今までにない緊迫感を醸し出していた。
「……この数年、スーロを倒す為に探してきた、とか……?」
隙を出さないように、ゆっくりと天が口を開く。
しかも、先程の口振りだと、ここで暫く待っていたようだ。
恐らく先程のハムスーンはこの魔獣のせいで森へ帰る事も出来ず、平原を彷徨っていたのだろう。
「グガアアアアアアッッッッッッッッッ!!!!!」
激しい咆哮と共に魔獣が炎を吐き出す。
炎は吐き出された息で噴出力を上げ、渦を巻きながら一直線にスーロへと放たれる。
しかしその炎は甚大で、側にいた天とティーも確実に塵一つ残さず燃え尽きる威力だった。
「!!!」
三人はより早く確実に炎が避けられる方角へと己の体を跳ね飛ばす。
三人は炎を間一髪で躱し切るが、火焔の渦の通った箇所は、地を焼き木を燃やし、一瞬にして全ての物を奪い去った。
「!!」
魔獣が炎を出し切った瞬間の刹那、僅かな隙を感じたティーが己の身を瞬時に引き起こし、跳躍しながら魔獣の顔面を狙う。
人間離れした跳躍力にも拘わらず短剣の短さが災いしたか、瞬時の所で躱され、ティーの短剣は魔獣の頬を僅かに傷付けた。
「グアアアアアアアッッッッッッッ!!!!!!」
魔獣が雄叫びを上げながらティーに向かって左前足を振り上げる。
その隙にスーロが剣で振り上げた前足の付け根を斬り付ける。
しかし、その剣は魔獣の表面を切る程度に留まり、肉にすら達する事が出来ない。
「!!か、硬い!」
しかしスーロの攻撃で振り下ろすタイミングを遅らせた魔獣はその前足でティーを捕らえる事が出来ず、ティーの二撃目が繰り出される。
ティーは軽やかに前足を躱し、スーロが傷付けた箇所へと跳び上がりながらも正確に短剣を斬り付ける。
と同時にティーとは逆サイドに回り込んだ天は魔獣の右脇腹に、己の力を乗せて連突きを浴びせ、そのまま反動を付けた蹴りを叩き付ける。
ティーは天の攻撃の反動を察し、即座に間合いを取る。
天の力に押されてティーの方へと体を動かす魔獣に今度はスーロが再び前足の付け根へと剣を振り下ろした。
天の攻撃でスーロの攻撃をその身にめり込ませる事になり、魔獣の足から血が噴き出す。
「グオワアアアアアアアアッッッッッッッ!!!!!!」
傷付けられた事で魔獣は怒りを帯びた叫び声を上げ、スーロへと牙を剥ける。
猛スピードで繰り出された攻撃にスーロは躱しきれず左腕を牙に傷付けられ、血を溢れさせた。
魔獣の顔面が下がった瞬間、ティーは再び跳躍し、魔獣の目元へと短剣を斬り付ける。
魔獣の顔面は素早く上昇し、ティーの短剣は魔獣の鼻を掠めた。
「くっ!!」
「グオオワアアアアアアアッッッッッッッ!!!!!!」
「スーロ!!」
「だ、大丈夫だ!大した傷ではない!」
魔獣の巨体で仲間の動きを把握出来ない天がスーロの唸りを聞き、状態を確認する。
スーロは傷に意識を向ける暇もなく痛みを堪えつつ、剣を構える。
ティーの傷付けた鼻は他の場所より柔らかいのか血が滲み出し、魔獣の顔に苦痛の歪みが表れ始める。
ティーに狙いを付けた魔獣の体に再び天の拳が激しく捻り込まれた。
「女ばっか狙ってんじゃねーよ!!デカブツが!!!」
魔獣が口元をティーへと向かわせた時、天は体を回しながらその鼻先を蹴り上げる。
魔獣は蹴りの衝撃で顔面を左下方へと移動させる。
そこへティーは跳躍し、短剣を魔獣の右目へ突き刺した。
「グアアアアガワワワアアアアアッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!」
魔獣の悲鳴が森中を震撼させる。
耳を塞ぎたくなるような大きな悲鳴は天達の行動を一歩遅らせた。
一瞬怯んだスーロに向かって魔獣は牙を剥く。
その口元は凄まじいスピードでスーロに向かう。
直ぐに我に返り身を躱そうとするが、魔獣の口は既にスーロの目の前まで迫っていた。
「!!スーロ!!」
魔獣の後頭部の下からスーロの足元が見え、天は思わず声を上げる。
スーロは身を動かすも、魔獣の攻撃の射程内から最早逃げ切る事が適わない。
諦めに似た感情がスーロの脳内に湧き上がる。
その刹那、何かに体を押され、スーロの体は魔獣の攻撃の射程外へと飛ばされた。
「?!!」
ティーは天の声に呼応するかのようにスーロの身を己の体で吹き飛ばし、自らをその牙の餌食にする。
吹き飛ばされたスーロは何が起こったのか分からず驚愕し、己のいた方向へと顔を動かす。
スーロの目の前で魔獣の口は閉じられ、激しい血飛沫を噴き出した。
「ティー??!!!」
スーロの目の前には体から血を噴き出させ、赤に染まっていく青い髪の少女が倒れている。
恐らくそれが己を敵の攻撃から守った仲間である事を瞬時に理解したスーロは少女の名を叫んだ。