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 同じように二日過ぎた。神官が春の在り処を占いで探り、雪を掻き分けながら探し回って、夜になる前に城に戻る。求める成果は唯一つ。見つかれば終わるものが、見つからずに時間だけが経つ。山の風景にも五人の関係にも大きな変化は無いままに。

 磨いた銀盆に水を張った鏡を前に、ドローストは溜息を吐いた。その音で己が気落ちし肩も下げていることに気づき、緩く頭振って胸の祈り星に手を当てる。

 占いを終え、何も見せず自分の顔を映すだけになった水の中から待ち針を摘み上げて机上へと戻す。目がいくらか霞んだのは占いの為などではなく、日中に雪を見続けている所為だろうと彼は断じた。

 水面に薄く見えた像も、針が示した方角も位置も、初日から特に変わりはない。見落としているだけなのだ、自分は落ち着かねばならない、とドローストは己に言い聞かせるが、それが更に焦りを生んでもいた。

 国の未来さえ左右する春告げの大役は、彼の精神を岩頭に置いている。

 すべて星の導き、運命の下のことであると思いながらも、もっと相応しい神官がいたのではないかとの気持ちがあった。彼は王城に身を置いてはいるが、まだ若すぎるほどに若い中位神官だった。神への愛と国への忠義は疑いようもないが、占いも他の神官に比べて秀でたところがなく、人付き合いが下手な自覚もある。共に春告げに選ばれた使者たちにも、ただでさえ疲れるところに無駄に気疲れもさせているのではと考えさせられた。考えたところで、簡単に態度を変えられるほど柔軟でもない。

「神官様、お食事を」

 思案に沈みかけたドローストを掬い上げたのは、部屋の外からの声掛けだった。扉のない出入口に立っているのはカミンで、涼しい場だというのに袖を捲っていることが、今日も彼が食事を作ったことを教えている。

 ドローストは姿勢を殊更によくして頷き一つ返し、さっと灯りを机から取り上げた。

「どうかしたか」

 油皿を手に廊下へと出て、カミンの垂れ目がじっと自分を見ているのに気付いて問う。我に返ったカミンは一瞬慌てた色を見せたが、結局居直って、微かな笑みを口元に浮かべた。

「その……神官様はどうしてあいつを――お叱りにならないのです?」

 あいつ、と言うのがイグラのことだとは、ドローストにもすぐに察しがついた。彼については、ドローストにとってこの儀式の次に気にかかっている事柄でもあった。

 今日も彼は、春を探す最中でドローストに不遜な物言いをしていた。前に出過ぎるな、休め、焦ったところで何にもならない、等々、中身は諌めるものであっても口調が酷い。

 そう、諌めるものなのだ。ドローストはそれにも気づいていた。

 カミンたちもまた。それでも、と思うのは、日頃から神官たちを敬い暮らすのを当然とするユフトの民としての意識だ。

「ちょっと、不敬でしょう、やっぱり」

 付け加えて、カミンは口角に力を入れる。やや歪な笑みを見ながら、ドローストはほんの僅か言葉を選ぶ間を置いた。

「私は、敬われる為に神官になったわけではないからな」

 言うのは、独り言を零したような調子になった。

「敬われぬならそういうことなのだろう。まだ修業が足りん、敬うに値しない若輩ということだ。それならば私が努めること。彼の非ではない」

「そのようなことは、」

 するすると吐き出される自戒の言葉にカミンは慌てた。とりあえず否定するもなんと言ったらよいのか分からず言葉を続けることのできない、今回の纏め役のようでもある年上の男にドローストは微かに表情を緩める。誰が見ても、笑みとは言えないような微々たる変化ではあったが。

「彼は、目が肥えているはずだからな」

 彼は空いた手で襟元を少し寛げ、そのままの口元で――今度は本当の独り言のつもりで呟いた。

「聖都住まいだから、ですか?」

「イグラは、……お前たちとはよくやっているか?」

「ええ。まあ、まあまあ上手くやっているかと」

 カミンの問いにドローストは答えない。別の問いを発して通路の奥、広間へと続くほうへと視線を投じる様に、カミンは気分を害した様子もなく応じる。

「ならば構わん。彼は信心深く、春告げに直向きだ」

 信心深いなら何故神官にあのような態度をとるのか、とは、カミンはドローストには訊ねなかった。同じ疑問をドローストの目に感じ取ったからだ。広間を見る松林色の眼差しはあの男を見ているのだと、カミンは考えた。

 誰もがイグラを案じていた。勿論、イグラのことだけではなく、神官であるドローストのことも案じているし、それぞれのことを案じてもいた。イグラもまた、他者を案じていないわけではない。むしろ今話題に上ったことを除けば気を使いすぎているほどだ。

 女神と王子が選んだ春告げの使者は間違いなく、優しい人々の集まりだ。彼らはそれだけは疑わない。

「あれは、何か憂いがあるのだろう。それを取り除いてやりたいとは思うが……私は説教も得意ではないしな。なんと声をかけてやればよいものか」

「お得意ではなくとも確かなものをお持ちでしょう。フォードル殿から聞きましたよ、昔の話は」

 他の神官に比べて、と先の自戒をなぞるかのドローストの発言には、彼の予想に反してすぐにカミンの声が返った。驚いて動きを止め――十年前の事と思い至ったドローストは、ばつの悪い顔をして視線を逸らす。

 当時のことは、言った側も強く記憶していた。下位神官であったドローストは、王城の庭で聞いた子供たちの会話に自分の内にある弱さをも見て、あのように振る舞ったのだ。

 ――少年の声を聞いたとき「仕方ない」とドローストは思った。そしてはっとした。

 こんな国に、と思ったことはない。だが、国の有る様を、彼はただ受け止めるだけだった。祈りこそすれ、自身の手でよい方へ導こうと思ったことがそれまではなかった。すべて受け止めるだけで働きかけることは少なく、ユフトはユフトであるのだから、どのようなことも仕方がないと考えている節があった。

 自分は何も考えず、ただ諾々と神に寄り掛かっていたのではないか? その気づきは彼にとって衝撃的なものだった。

 それ以来ドローストは心新たに、神に仕える者として努めてきた。その一つの結果が今回の、春告げの使者であるには違いない。

「……忘れてくれ。大人げないことをしたと思うのだ、あれは。あれも他にやりようがあった」

「そうですかねぇ。さすが御立派だと思いましたが」

 ドローストは頭振って呟いた。その様子にカミンは肩を震わせて笑い、まあ、と切り替えるように強く言う。

「貴方は確かに神官様ですよ。俺たちが敬うだけのお人ではあるんです。あいつにも頭を下げさせるだけのお力だってあるでしょう。勿論春だってじきに見つける」

 手を動かしながらの言葉は意気込んで跳ねた調子だった。

 それで、カミンがイグラだけではなく自分のことも特別気にかけていたのだと、ドローストは気がついた。日が過ぎるごとに自分の力不足を思う若い神官を、食事の知らせついでに励ましに来たのだと。

「……さ、冷めないうちにどうぞ。今日は結構いい出来ですよ」

「ああ」

 気を取り直して隣の部屋を示し歩き出したカミンに頷き、ドローストも一歩前へ出た。そのまま進まず――祈りの部屋を振り返る。

 部屋の壁には、女神の姿が浮き彫りに刻まれている。星の光輝を纏って目を瞑り、手を差し伸べる、愛深き星の神。人を生みだした慈母。

 王都でその依り代の娘から口づけを受けた、神官の節立つ指が胸に提げた銀の八角星を伝う。

「ターリャ、夜に輝く御星よ。我らが国、ユフト・エスカーヤに、その民にどうか愛を」

 手にする火に吹き付けるように、ドローストは祈る。そして言葉を足した。

「あの騎士に導きを」

 ――肥えた目で一体、何を見たのだろうか。何があのようにさせたのか。

 白銀の財宝を、と言った声を思いながら、ドローストは踵を返した。

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