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 贈られる〝春〟は、様々な姿をしている。

 ある年は、雪の林に一本だけ花の咲いた木があったという。

 またある年は、無彩の山の中を萌黄の春告げ鳥(サラヴィエ)が飛びまわっていたという。

 そしてまたある年は、一つの泉から凍らぬ水が滾々(こんこん)と湧き出ていたという。

 どのような姿であれ、見つけ出した神官が触れれば春は目覚め、ユフト・エスカーヤのすべてに雪解けを齎すのだ。

「寒い、な」

「ええ、本当に――」

 翌朝は、神官が言ったとおりに早かった。起きるのは太陽が顔を出してすぐ。パンと昨日の残りの煮物を腹に納め、身支度をした男たちは熊を連れて、雪の山中へと出発した。

 毛皮の帽子を深く被り、手袋を嵌めた手を擦りながらぼやくカミンに全員が同意する。幸い、雪は晴れ間をちらつくだけで風も弱いが、寒さは緩くはない。人々の表情は徐々に固くなった。

 もし〝春〟が山の頂にあるとすれば、行くだけでかなりの時間がかかる。戻ってくるには当然、その倍。夜には動けなくなることを考えれば、丸一日を浪費することもあるだろう。この寒さの中を、どれほど彷徨うことになるのか。

 運んできた食料は少なくはないが、限りはある。限りなくある物はあの瓶の水ぐらいだろう。彼らが山に居続ける限りは山裾の門には食料も備えられるが、その間、他の民は皆冬を耐えていることにもなる。考えれば人は無口にもなり、逆に饒舌にもなった。

 相変わらず黒と白の色彩の森を、どのような姿をしているかも分からない春を探して進む彼らにあるのは、星神の導き。ただそれだけだ。

 星神の導き――神官が昨晩の占いで定めた捜索地点は、古城よりも上、平らに近いなだらかな斜面の辺りだった。

 彼らはそちらへと向かっているが、明確な目的地があるわけではない。城から見えた、木々が途切れて地の――と言っても、今はこれも雪に覆われているのだが――露わになっている場所を、ひとまずの点としたに過ぎない。

 神官であるドローストを先頭に、カミン、ミドヴィエ、フォードル、イグラと続く。白く柔らかな毛に包まれた巨体は彼らの周りをうろうろとして、周囲を窺い、鼻をひくつかせている。 

 辺りを見渡しながら、五人と三頭は進んだ。時折、何かを感じた熊が列を外れたときには、その白い毛皮を見失わぬように宥めながら、その導きに従った。

「そろそろ休憩した方がいい」

 何も見つからないまま時間が経つにつれ、気温は僅かながら上がってきた。

 雪を積もらせた木の向こうにある陽光を確かめたミドヴィエは、懐から赤い紐を取り出し、手近な木の枝へ結びつけてから他の者たちへと声をかけた。もしものときの目印だ。

「それで八本目か?」

「ええ、そうです。残りも八本ですよ」

 問いかけに、彼は手元を見せながら答えた。同じ長さで切られた赤い紐が、確かに八本束になって残っている。

 ドローストが頷き、休憩に同意する。雪を踏み固め人が座り込んだ横に、風除けになるよう熊たちが寄りそう。示し合わせたわけでもないが、自然、神官が誰よりも風下になった。

「はい、どうぞ。――ああ待って、君たちの分もあるから」

 フォードルが荷を開き、小さな包みを取り出して配る。匂いを嗅ぎつけた熊が近づける鼻先を押しのけて、一人に一つずつ、掌と同じ大きさのそれを手渡していく。

 包みの中は、蜂蜜を挟んだパンだ。この気温の中では当然冷えて硬くなっているが、文句を言う者など一人もいない。むしろ、暖炉の灰を集めて保温に使った分、ましな代物だ。城の食糧庫から用意された上物の栗蜜は香りがよく、甘味が濃い。

 熊たちはそれをぺろりと平らげたが、城でよく躾けられているからか、自分たちの物を食べ終わると人に強請ることもなく、大人しくなった。体温を提供する彼らの横で糖分補給の間食を黙々噛みながら、男たちの目は方々へ向けられている。どこからか春が姿を見せないかと期待し、注意しているのだ。

 補給も済んで小休止も終わろうかというとき、谷を風が通るような細く鋭い音が一度、辺りに木霊した。イグラが剣に手を添えてドローストの側へと身を寄せると同時、落ち着いていた熊たちが低く唸りはじめる。

 人々の頭上へ、何かの気配が近づく。ドローストは幾分緩んでいた背筋を伸ばした。

「……ナライか」

 呟いたのはミドヴィエだった。

 晴れた空と木々の先端の合間に、薄く白い靄のようなものが現れつつある。人と熊に、今まで吹いていた風よりも格段に冷たいそよ風が吹きつける。風は徐々に強さを増し――木の枝が触れて生じる音が、騒ぎ立てるようになった。

 積雪が白く煌めき舞い上がる。空気が掻き混ざり空へと昇る。姿を現した〝それ〟は、巨大な鳥の姿をしていた。

 雲や煙が降りてきたのかと見紛う、不確かに薄い体。白い翼の裾を空に滲ませ、冷気と輝きを撒きながら羽ばたく。見開かれた瞳は磨かれた銀のように光を灯していた。飛ぶというよりは泳ぐといった調子で、好き勝手に宙を滑っている。

 北風の化身、冬の長。ナライと呼ばれる、ユフトの雪山に住む魔物だった。普段は山を彷徨うだけで人に姿を見せることは無いが、何年かに一度、猛吹雪に乗って山を降りて暴れまわることがある。特別に訓練を積み女神の加護を受けた者でなければ山に追い返すことのできない、厄介な魔物だ。

 ボフバロータ山は高さがある為か、神域故か、ナライが巨大化することが多いようだった。過去の春告げにおいても巨大なナライに遭遇したとの報告は少なくない。事なきを得ているのは、春告げには必ず、ナライを追い払う訓練を受けた神官と、魔払い、守りの獣とも呼ばれる王城飼いの大熊が同行するからだろう。

 魔物の姿が目視できるようになると、吹く風の強さは酷いものになった。肌を裂くような冷気が五人を襲い――荒れ狂う風の中に、一際高い音が混じり始めた。人の体を竦めさせるその鳴き声を打ち消すように、熊たちの威嚇が激しくなる。

 山の門を開けたときのような大音響の中、息を呑む気配を互いに感じながら、五人はじっと、風が去るのを待った。ナライが敵意を見せない限りは、それが最善の策であると知らされている。

 時間は長くかからなかった。

 大きな銀の瞳でドローストを見つけて胸の八角星を認めるや、ナライは緩やかに進路を変えて空へと向い始めた。引き連れられ、風は弱まっていく。

 ざわざわと不安を煽る音も静まり、地吹雪のようにぼやける尾羽が空に消える。見送ってようやく、五人の間で詰められていた息が解けた。

「ドルホーフにも時々出るけどよ……あんなにでかいのは初めて見たぜ……」

「まったく。女神様のご加護がなきゃ、どうなることか」

 カミンが場を和らげるように、大げさに身震いして言った。ミドヴィエも合わせて腕を擦って天を仰ぐ。

「顔が蒼いが、大丈夫か。王護はナライの対策もしているだろう」

 平気そうな二人を見て隣のフォードルに顔を向けたイグラは、彼が蒼く見えるほど血の気を引かせているのに眉を顰めた。その言葉にドローストが振り向く。案じる様子に、フォードルは笑って首を振った。

「……大丈夫です。一応は教えられていますが……でもナライは、実際には城までは来ませんから、相手をしたことは」

「……そうか」

「もう大丈夫だ。行った。……動けない者はいないな」

 返答に頷きを見せて、もう一度空を見て念入りにナライの行方を確認した神官は、周囲に言葉をかけて立ち上がった。

 その際、左手がさり気なくフォードルの背へと触れる。体を覆っていた悪寒が取り除かれたのに驚いて彼が顔を上げたときには、神官は既に余所を向いて歩き出していた。

「占いでは此処から、上の辺りと出ている。……散開しよう」

 神官の号令に応じ、男たちはそれぞれに熊を連れて、示された林へと分け入っていく。彼らの、初めての春探しが始まった。

 ――深い雪で不安定な足元が彼らの体力を奪い、寒さが手足の動きを鈍らせる。足元に空にと忙しなく目の動く捜索は日暮れ近くまで行われたが、春の痕跡すら見つけることは叶わなかった。山は冬に覆われ沈黙していた。

 白の山が薄く青灰色になった頃、五人はその日の捜索を打ち切って帰路についた。初日とはいえ、それまでとは違うどこか消沈した空気が一行を包んだ。

 誰も、今年の春告げが上手く進んでいるのかどうかの判断はできなかった。

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