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 夜も深まったというのに、最下の大広間は変わらずに明るかった。

 優しく物の輪郭を溶かす黄水晶の光が辺りを覆い、列柱の影は薄く伸び、床に不思議な模様を作り出している。

 大きな光源の前に立つのは、藍色のマントに身を包んだイグラだ。安らぎそのもののようなその光の傍に在っても、彼の顔は険しく、安息とは程遠い。

 俯く顔が上がり、星神の御光を受けて照らされた。何かを言わんとして口が開かれ、何も声を発さぬまま、小さく重い吐息だけ漏らして閉じられる。

 風鳴りの音も、寝静まった誰かの寝息も此処までは届かず。熊たちもどこか端で丸まっているのだろう。大広間はとても静かだった。

「……何をしている?」

 故に、イグラが岩盤の床と靴裏が触れ合う音が近づいてくることに気付かなかったわけはない。しかし彼は、声がかかるまで振り向かずに黙っていた。

「――考え事を」

「……それは構わんが、少しは眠ったほうがいい。明日は早いぞ」

「さっきまで寝ていた。あんたこそ寝るべきだ」

 背後からの神官の声に、振り向かぬままイグラは答えた。相も変わらずぞんざいな調子だった。

 ドローストが立ち去る気配はなく、また、イグラが動く素振りもなかった。黙っての時間がどれほど過ぎた頃か、会話は再開された。

「……あんた、」

 口を開いたのはイグラのほうだった。一人きりで居たときのように、逡巡する間を作ってから声が発せられる。呼びかけに応答はない。それを発言を促すものだとして、イグラは言葉を続ける。

「何の為にその星を持っている?」

 覇気のない声で供された話題は沈黙を厭っての場繋ぎではなく、相当の決意を要する問いだった。

 星――ドローストの胸元で黄水晶の光を含んでいる八角星は信仰の証だ。この国で最も尊い金属である銀で作られた物は特に、王族と誓い立てた神官だけが所持を許される、神への愛に生き死ぬ者の印だ。何の為などとは、愚問である。

「神前に臨む為に」

「白銀の財宝の為ではなく?」

 迷いないドローストの返答にイグラは空かさず重ねる。

「与えられると言われたら、どうする。白銀の財宝を――その星と引き換えに受け取れるなら。星を捨てるか、神官様」

 神官に対してする質問ではなかった。不興を買うだけでは済まされない、侮辱と捉えられても仕方のない言葉だった。ただ、神官様、との呼びかけだけはどこか縋るように、震える呼気と共にあった。

「なにを」

 息を吸う音が余分に一つあり、それから、低い声が響かずにイグラの耳に届く。

 平素と変わりのないその声だけでは怒りなどを察することはできないが、イグラが振り向いたとして、判断に影響は生じないだろう。ドローストは相変わらず、あまりよい印象のない顔を無表情にしていた。

 深い緑の瞳に見受けられるのは喜怒哀楽ではなく、一種の気迫だった。

「馬鹿なことを。ありえない。たとえ首に剣を沿わされ訊ねられたとしても、私が神や国を捨てることはない。神官は皆そう答えるだろう」

 言葉ははっきりと、絶対の自信を持って返される。言葉どおり、今この場で剣を突きつけられたとしても同じ答えがなされただろうというほどの、飾り気のない簡潔すぎる自信だった。

 黄水晶に照らされる男の背を見ながら、彼はふと短く息を吸った。

「お前は捨てる心算でもあるのか、宣託で選ばれた者に相応しくない顔をして」

 当然、彼の位置からイグラの顔は見えない。それでも見透かしたように、ドローストは言った。

 ドローストには相手の表情がどんなものか、感じ取れていた。昼からの積み重ねもあるが、女神ターリャの御前とも言うべき城でこのような発言をする男の顔が明るいわけはない。

「……聖堂の騎士ともあろう者が」

 その予想は的中していた。ドローストの言葉に振り向いた男は、生死を問う審判の場に立たされたような思いつめた面持ちだった。

 ドローストが何か言う前に、イグラは何も言わず彼の横を通り、階段を降りた。ドローストは振り向かず、僅かに口元を歪める。

 女神の光はやはり柔らかに、目を閉じて眉を寄せるその顔を照らしていた。


「火の番、代わるぞ」

 壁に背を預けて座り込んで酒をとろとろ舐めていたカミンは、その声に飛びあがるほど驚いた。慌てて階段の方を見れば、確かに声の主であるイグラが上がってきて、羽織っていたマントを脱ぐところだった。

「あんた、どっから……居眠りしてねーぞ?」

 彼が暖炉番を受け持ってから、傍の階段を降りたのは祈りの部屋から戻ってきたドローストだけだった。申告どおり居眠りもしておらず、記憶違いなどではない。

 跳ねた心臓を押さえつけるカミンに顔を向けないまま、マントを畳むイグラは淡々とした口調で答える。

「東と西の通路は、奥に進んで外の回廊を通ると、下に降りられる」

「そうなのか……心臓に悪いからそういうのやめろよ」

 カミンは肩を落とし、小さなカップに残った赤葡萄酒を喉に流し込んだ。上を向いた顔を戻すと、膝にかけていた毛布に染みを見つけてあーあと呟く。驚いた勢いで零したのだろう。

「しっかり寝ておけ。明日は早いとよ」

 背を向けたままのイグラに文句を言うように視線を送ったが、出てきた言葉はそんなものだ。

 肩を竦めたカミンは苦情を諦め、はいはいと返事をしながら立ち上がる。毛布を抱えてカップをテーブルに置くまでは口を尖らせていたが――こんな場所で大きな仕事を任されているのに、些細なやりとりは家で女房とするのと変わりないと気づいて笑みを零した。

 彼は、悪いことはすぐに忘れる男だった。イグラがまともに会話に付き合っているとあって気が抜けてもいた。疲労もあり、ドローストとイグラが下で出くわしたであろうことに考え至らない程度には緩んでいた。

「んじゃ、お言葉に甘えるとする」

 カップを置いた手をひらりと振って、カミンは東の通路へと進んでいく。途中、何かひっかかって首を傾げていたが、それもすぐに忘れてしまう。

 声を明るくした男を背で見送り、イグラは深く溜息を吐く。彼はカミンと違って子供の頃から、良いことも悪いこともなかなか忘れられない性質だった。

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