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 高く高く、白く、冷え冷えと。雲の集った天に突き立つように、山は聳えていた。

 五人と三頭が辿りついたのはその山の麓、舗装どころか踏み固められていることもない、名ばかりの山道へと続く、城門と同じ造りの大門の前だった。

 柵や垣根もなく、横から抜けようと思えば抜けられる、形だけの門。年に一度、儀式の初めに開き終わりに閉じる、世俗から隔たれた幽世(かくりよ)へと続く門は今は開け放たれ、微かな山の気配を外へと滲ませている。

 今年の春告げを命じられた神官ドローストは、門の横に用意されていた、黒石を四角く切り出しただけの小さく簡素な祭壇へと歩み寄った。頭に載せられた藁の冠を外し、恭しい手つきで安置する。

 女神に祈りを捧げる、星の八つ角を捉える祈りの所作を行い、彼は振り向いた。

 白いマント――使者の正装であるそれを脱いで、熊の背に括られた荷を解く者たち。荷の中からずるりと引き出されているのは、上質な毛皮で出来た黒に近い茶色の外套だ。

「これより入山する。……体調を損なっている者はいないな」

 神官が低い声で訊ねる。質問ではなく念押しの、当然の事項を確認する硬い声音だった。

「はい、問題ありません」

 はきはきとした口調で応答したのは、一等若くまだ幼さを残す顔立ちの、(はしばみ)色の瞳をした男だった。自分が纏うより先に、取り出した外套をドローストへと差し出している。

 雀斑の散る顔でにこりとした彼とは対照的に、ドローストは軽く顎を引く頷きを返すだけして外套を受け取った。

「おい、――坊ちゃん」

「あ、はい」

 神官に毛皮を渡して空いた手へ、紐で左右を纏められた厚手の手袋が投げこまれる。投げたのは彼よりも体格がよく、彼より少し年嵩、ドローストと同じ年頃に見える男だ。金茶色の髪に新芽のような緑の瞳の取り合わせは柔らかいが、彫りの深い顔は精悍だった。

「おいおい、そんな風に呼ぶもんじゃあないぞ、彼は貴族さんのご子息だからなぁ」

 言われた当人は反射的に受け取って応じたが、少し離れたところから笑い混じりのお咎めの言葉が発せられ、二人は揃って顔を上げた。

 どっしりと低い声を発したのは、門の横に用意されていた(そり)の上、熊が背負いきれなかった荷を点検する――癖の強い白い髪と髭を広げた、老人と言って差し支えのない風貌の男だ。とはいえ、他国よりも長命な央国の民にすればまだ現役。背と幅はこの場の誰よりもある大男でもある。目を細め、歯を見せて笑っている。

「……本当にお坊ちゃんか」

「フォードル・ランドゥーシです。……貴族とは言っても、下議会にも時々しか出られない家ですよ」

 大男を見て笑い――二人は知り合いだった――若い男は名乗った。名前の後に付いた家名はこの国では比較的に新しい、まだあまり発言力を持たない日陰の貴族家のものだ。

「それでもお貴族様だろう? はあ、こんな仕事を言いつけられただけでも胃がひっくり返りそうだってのに、そんな御家の人とご一緒とはね。……あんたたちは違うだろうね?」

 その会話の輪にほらよと帽子を突っ込んだのは、今まで黙っていた最後の一人だった。話したいのを我慢していた口は軽快な早口で彼らに尋ねる。

「俺はカミン。静養院で護兵をしてる」

 垂れ目が印象的な男は、この中では丁度中間、三十半ばといったところ。金髪を一つに結わえ、もうとっくに毛皮を羽織って靴も山に合った物に変え、完全装備となっている。

「まさか。わしは王城のしがない門番だよ。ミドヴィエという」

「王城付か!」

 慌てて防寒用の暖かな帽子を受け取り装いを整えながら、老人は朗らかな口調で答えた。しがない、とは言ったが王城勤めとなれば他の門番とは格が違う。カミンは口をすぼめ、小さく口笛を吹いた。

 三つの目がそちらは? と伺ったのは、当然、名乗っていないあと一人だ。神官であるドローストは誰もが知っている。

 手早く身支度を整えていた男は、視線にいくらか、たじろいだようだった。

「……イグラだ。……」

 興味津々を隠さない人々に名前を述べ――固い表情で言い淀む。

「話は後だ」

 薄く開いた状態で数秒維持された彼の唇がまた動こうとした所で、四人の歓談の中に冷めた声が飛び込んだ。

「暗くなる前に城に入らねばならん。剣を抜け」

 祭服の上に毛皮を纏い、帽子を深く被ったドローストが促す。そうして見れば彼も他の者と同じようにも見えるが、言葉と振る舞いはやはり上の者のそれだった。四人が皆、務めを思い出し、それぞれの剣に手をかける。

 仕事は違えど、皆一様に武の鍛錬を重ねた男たちだった。剣を鞘から引き抜く音は、どれ一つ、途中で突っかかることはない。

 小気味良い音の後、男たちの口から感嘆の息が零れた。外へ晒された刀身はよく研がれており、空気の所為か、氷にも似た透明感さえ感じられる。

 剣を(みが)いたのは持ち主の彼らではなく、王城で儀式剣を専門に扱う研ぎ師だ。その仕事は刃の切れ味を高めることではなく、持つ者の心を儀式に向けさせる為にある。刃を通して、心を研ぐのだ。

 四人の目は刃に釘付けとなり、表情から感じられた憂いの気配は拭われる。研ぎ師の仕事振りが常と変わらず堅実であることを確かめたドローストは、無言のままに左の手を持ち上げた。

 四人が応じて、向かい合い、剣を上へと差し伸べる。それぞれの切っ先が触れ合い、やがてしっかりと組み合った。この国の誰もが聞き知る、入山の儀式の姿勢だ。

「――王都、ハクスタのフォードル、ミドヴィエ、」

 深く息を落ち着かせ、人差し指の付け根を唇に触れさせ。神官は朝夕の祈りと同じく丁寧に、土地の名と共に男たちの名を口ずさむ。

「ドルホーフのカミン、」

 呼ばれた者の顔が外気と同じく引き締まるのを見つめながら、彼もまた心を研ぎ、気持ちを引き締めるように努めた。

 出発を待っていた熊たちがのそりと起き上がり、一様に上を向く。

「レスコンストのイグラ。……我は王の元で御身に傅く神官ドロースト。夜神が触れた白銀の地、住まう我らに、加護を――」

 神官の言葉が途切れる、と同時、大熊が咆哮した。ただでさえ大きい熊の腹からの大声は、絡み合い、とてつもない魔物のような合唱となった。

 呼応するように訪れたのは、銀嶺からの凍えた(おろし)。今までの風とは比べ物にならないほど力強く、吹き荒れる。

 それも合唱に合わさり、人々が思わず閉じた目を開けると、その風が上へと舞い戻ったかのように――雲は拭われ、空は、晴れた。

 神が祝福するかの如く。

 誰もが、女神ターリャを思った。神官はもう一度目を閉じて星を手で示した。振り返らぬまま、一歩、門の奥へと踏み込む。

 三日ぶりの陽光に目を細め、剣を納め熊を連れた男たちが彼に続く。

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