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 一面の白銀。

 巻き起こった風が積もった粉雪を掬って高くまで持ち上げ、狭い間隔で並んだ木の黒褐色の幹に吹きつける。防風林でも防ぎきれなかった平原の風は町まで至り、幹と同じ色をした家々の壁も白く凍らせた。精霊(ティ・シュマー)がそうして家を隠してやろうとしているのだと人々は言った。

 ひゅうひゅうと音を奏で、冷えた北風はしっかりと除雪された大通りの上にも、真新しい粉雪を刷く。人はその上を進む。

 毛皮を着込んだ、緑や茶の瞳の人々。日が昇っても明るさの少ない曇り空の下で指に紐を絡ませ、木彫りの祈り星を握りしめる。その足取りは一歩一歩重く、しっかりと。

 北の大陸の央国(おうこく)は、名号をユフト・エスカーヤという。

 大陸で最も古くに興り、その中枢を占める聖山を擁いた雪深き国。大陸に加護を与えた創世神の一――白銀の夜神(よるがみ)クロアを祀り、創世の後に人を生みだした星の女神ターリャを慕って星神(ほしがみ)教とし、八つ角の銀星を印とする。彼らは世界でも格別に敬虔な人々であるともされ、日々ことあるごとに己が持つ神への敬愛を確かめるのが常だった。

 その祈りは今、格別に纏まったものとなっている。今日はこの国の一大行事の初めの日で、国民の意識と視線は全て王城の方へと向けられていた。

 人が道に溢れてから一刻が過ぎ、人々の呼気と祈りとが充満した頃。

 町と同じように黒い、しかし丁寧に雪が拭われた重い門が開く。中央に大きく描かれた紋章の大熊二頭が別たれ、じりじりと現れる向こう側に、また白い姿が覗いた。

 ――おお。

 ――今年はドロースト様か。

 ――ドロースト様が選ばれたようだよ。

 水に石が投じられたように、門に近い者から離れた者へと情報が伝えられる。完全に開いた門を潜る列の、先頭に立つ男の名を人々の声が伝えていく。

 列を導くのは、王国に仕える神官の一人。歳は若く今年でちょうど三十になる。松の森に似た色合いの目は白目がやや広くこの時期の気温に似た鋭い印象を与えるものだが、表情は輪をかけて、寒さだけの所為にするのは難しいほど険しい。まるで全てを凍らせる冬の使いのようだった。

 祭衣を纏う彼の肩には中位神官であることを示す濃緑の帯襟がつけられており、首には銀で作られた華奢な鎖と祈り星の首飾りが、頭にはその形から俗に茸の帽子と呼ばれる飾り帯を垂らした丸帽子があった。

 正装で身を固めた神官の、切り揃えられた(いぶ)し金色の髪も風に揺れている。

 大通りに立ち並び、滅多に外に現れない王城の住人に頭を垂れた群集の中を、彼は姿勢良く進む。その後ろに従うのは、歳も顔も似つかない四人の男たち。実のところ身分も仕事もばらばらの彼らに共通するのは、雪に隠れる白いマントを羽織っていること、そして腰に剣を帯びていることだった。

 男たちが出て暫くしてから、マントと同じように白い獣が門を潜った。たっぷりとした毛皮を持つ、人より大きな体の大熊が三頭。この場で彼らだけは灰色の目をして、大きな荷を括りつけられた物運びの格好だった。

 それからは一人も一頭も、黒い門を潜らなかった。開いたときと同じようにじりじりと、静かに、門は閉じた。

 積雪を踏みしめ進む神官は白い吐息さえ殆ど零すことはなく、道の先、王城と対を成すように(そび)える山を見つめている。

 けっして門のほうは振り返らない。それは他の四人の男も、白い大熊たちも皆同じだった。

「神官様、」

 声がかかった。細く震えた子供の高い声だ。

 冬の寒い時期にはまるでそぐわない、薄手の白服を着ただけの少女が開かれた道へと踏み出す。小刻みに揺れる両手には藁を編んだ環が握られていた。

「おうけとりくださいまし」

 冷気にさらされた白い顔で少女が微笑する。神官は足を止め、十を過ぎる前の、幼い顔を見つめて、膝を折った。神官の後ろをついて歩いていた四人の男たちも彼に倣い、横に並んで跪く。

「……夜にかがやく、星のみちびきがございますように」

 帽子を取り恭しく頭を垂れた男の頭に、少女が藁の冠を置く。囁くよう、呟くように吐き出された言葉は白く、ふわりと宙に溶けた。

 ユフトは夜神と星神の二神を戴いているが、人々が事あるごとに祈り感謝し加護を願うのは決まって星神ターリャのほうだった。夜神はこの地そのものに近く、夜が覆う世界を、輝く星が導くと考えているのだ。

 一間置き、少女は自分と同じく防寒具に守られていない男の左手を持ち上げ、節が目立つ人差し指に口づけを落とす。神官たちが雪の上に屈んでから、風が鳴る以外は実に静かだった。

「感謝します、ターリャ」

 神官は閉じていた目を開き、低く落ち着いた声で星の女神の名を呟いた。その依り代役である少女が掴んでいた手を自らの元へと戻し、人差し指の付け根に唇を寄せる。

 彼らが立ち上がると少女は小走りに群集の中に戻った。大人たちが冷え切って震える体に毛皮の上着をかけてやる。寒さと緊張に強張った肩から力を抜いて、少女は通りの中央に目を向けた。

 不安げな瞳と、堪えて結ばれた唇と。

 全て見届け、一行はまた進み始めた。民は手に星を握り、額に寄せて祈りの言葉を口々に囁く。

 ――加護がございますよう。導きがございますよう。

 都の人々の視線を受け、国の全ての者の祈りを受けながら、小規模な行進は粛々と山へ向った。


 ユフト・エスカーヤでは季節は巡るものではなく、掴み取るものである。

 百二十一日続いた冬の後に、神は聖なる山に〝春〟を贈る。草木を芽吹かせ花を咲かせ、後の隆盛と豊穣を連れてくる春、白く染まった地に住む者たちが願ってやまない暖かな季節を。

 しかしながら、贈られる春は眠った春であり、ひとりでに目を覚ますことはない。

 雪山の何処かを揺り籠にして、聖なる春はユフトの民を待ち眠り続ける。人の手に触れられ、揺すり起こされないその限りは――あと百日過ぎようが。だから彼らは、その日が来ると春を探しにいかねばならなかった。

 春を探す為に山に入るのは、特別な目を持つユフトの王子が宣託を受けて選ぶ一人の神官と四人の民、三頭の獣のみ。ユフト・エスカーヤで最高の名誉とされる春告げの使者の役目を託された彼ら以外は、けっして入山を許されない。たとえ神官たちが戻らずとも、次の春が贈られるまでは、誰一人として。

 楽な務めではない。しかし、その苦難を乗り越え春を告げた者たちには女神の祝福が約束されるとも言われている。名指しされた者は皆、その予感と名誉に心を震わせて山へと赴くのだ。

 春を贈られる、央国で最も高く聳えるその聖山は、ボフバロータという。神の世と人の世の狭間。創世の際にクロアが口づけ、冬を生んだ、冬の始まりの山だった。

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