十四
「……あっ」
山を訪れて八日目のその日。すっかり元気になり、春の探索で先頭を歩いていたフォードルが声を上げた。まだ雪のちらつく中で手袋に包まれた手がすっと上がる。
「何か、光ってません? ほらあそこ!」
声に、先に駆けだしたのは大熊たちだった。ミドヴィエが呼ぶのも聞かず、フォードルが指し示した方へと向っていく。フォードルの横にいた――先日は彼に助けられた熊も、毛皮の裾を齧って引いてから仲間の後を走っていく。
見目の割に走ると早い彼らを追いかけ、五人も雪中で煌めく何かへと急ぎ向った。立ち止まり雪に顔を近づけていた三頭の熊は、なんとなく誇らしげな顔で、深い雪に足をとられて遅い人々を待っている。
息を切らしながらも一番に追いついたフォードルが、見る間に笑顔になった。満面の笑みだ。
「――あったぞ」
その隣に立ったカミンが、やっとのことで声を絞り出す。後はミドヴィエ、ドロースト、そして神官の背を押すようにイグラが到着して、順に表情が明るくなる。勿論、ドローストのそれは実に微妙な変化だったが。
――積雪に突き立っていたのは、イグラがナライを射た白銀の矢。その横に。
「本当に凄腕ですね」
「春を射止めた騎士だな」
「一撃で冬も春もって、帰ったら聞かせてやらなきゃな」
口々に言われ空笑いするイグラに、フォードルがそっと、恭しい手つきで矢を抜き取り差し出す。受け取った彼はそれを丁寧に布で包み、鞘に納めるような心地で矢筒へ納めた。
その後、四人の男たちは場所を空けるように一歩引いて、神官を見遣った。ミドヴィエが逸る大熊たちを宥めすかす。
毛皮を脱いでカミンに渡したドローストは、帯襟と首飾りを正し、額と唇に左手を当て、女神に感謝を示してから跪く。
色彩のない雪の中、それは宝石のようにも見えた。――否、彼らにとって、ユフトの民にとってはただ輝く石よりも価値がある。
この広い山の中、この深い雪の中、一つだけ綻んだ春は彼らを待っていた。
「ユフト・エスカーヤに、祝福を」
神官の右手が、柔らかく芽吹いた双葉に慈しむように触れる。
途端、春風が訪れ、世界がそよいだ。
冷たい空気で痛んでいた人の鼻腔に、湿った土と草の匂いが届く。遅れて花の香が混じり――山は瞬く間に姿を変える。
最初は、解れたように見えた。長く積もっていた一面の雪は神官の足元から花となり、長い冬から起き出した神域の木々は伸びをするように、撓んでいた枝を陽光の下で広げ始めた。その先々で、硬く縮こまっていた芽が柔らかに吹き出し瞬く間に青葉となる。
目覚めは草木だけではない。揺れる葉の音を聞いた小鳥やリスは幹から顔を出し、寝起きを感じさせぬ勢いで揚々と外へと飛び出していく。彼らの降り立った地面、枝に、また花が蕾を膨らませる。木立から、何処へ隠れていたとも知れぬ鹿や熊の親子も姿を現す。
雪解け水は地に染み筋を成し、石の間を伝い、ボフバロータを伝う二つの川となる。凍てた奥底で泳いでいた魚が姿を現すのにも時間はかからず、水面と銀鱗は陽光を返して光の筋のようだった。川の水はやがて王都に、東と西の町にと流れ込み、厚く凍った氷にも春を知らせるだろう。一日で、ユフト・エスカーヤの全域に春が満ちる。
止まっていた季節が再び巡りだし、山は動き出した。生命に満ち溢れた本来の姿がそこに在った。
「やった!」
呆けていた男たちが、弾けるように声を上げた。興奮に任せて抱擁を交わし歓声を上げ、重く暑い毛皮の上着を脱ぎ、手を合わせて打ち鳴らした。彼らの靴に入り込んでいた雪までも、花弁に姿を変えている。
元気になったのは人だけではない。
「うおっ。こら、お前たち、やめないか! こら!」
春に歓喜してじゃれつき始めたのは、人より大きい体の白い熊たちである。勢いのついた彼らを止める術はなく、宥めようとしたミドヴィエが尻餅をついて花の中を転がる。笑いながら見ていたカミンも狙いをつけられ、あっと言った次には力強い、愛のこもった頭突きを受けて転倒した。フォードルも逃げ出そうとしたときには遅く、イグラとドローストは声を上げて笑い――
――そこは北の大陸の央国。何処にも劣らず美しい、輝ける国。
ボフバロータ山麓の門に戻った泥だらけ草だらけの五人と三頭を待ち構えていたのは、季節に相応しく明るい顔をした国民たちと、大勢の神官、祭壇の上で豊穣を予告する緑麦の冠だった。




