令嬢たちは虐めている相手が誰か気づいていないようです
「ほら、平民にお似合いの泥水よ。すすったらどうですの?」
学園の校舎裏で、私は三人の令嬢に囲まれていた。
こちらを見下した目、いびつな笑み。醜いと私は感じた。
リーダーの子爵令嬢アイリーが、隣にいる男爵令嬢のイーナに目配せをする。
するとイーナは私の髪の毛を掴んで、無理やり地面に座らせようとした。
そこは私も反抗して座らないので取っ組み合いのような形になる。
最後は私が彼女を押し返すと、近くにいた男爵令嬢マーラが私に向けて水魔法を放ってきた。
噴射された水が私の顔にブシャッと当たる。
「あははは! いいザマよ。私のお水は美味い?」
私が水を払っていると、アイリーが私の肩を突き押してくる。
「いい加減、学校やめたらどうですの? あなたみたいな平民のクズが在籍していると、それだけでクリスティ学園が汚れますのよ」
「本当ですわ。どうして平民枠なんて設けるのかしら」
クリスティ学園は長年貴族の子息令嬢が通うことで有名だった。
でも近年、平民枠というのを設けて入学を許可している。
私はその枠で入ってきた生徒になる。
「ジル、聞いていますの? 学園の面汚しと言っているのよ」
アイリーの言葉を無視して私は濡れた髪を整える。
「あなたの家って、何かの商売で小さく成功した小金持ちなんですってね。それで貴族である私たちと対等だなど思っていないでしょうね?」
「そうですわ。あなたには品格ってものが備わっていない」
彼女たちの主張を聞いていると、私は心底おかしくなってくる。
ついには吹き出すのを堪えられなかった。
腹を抱えてくつくつと笑う私が不快なのか、三人が明らかに怒っている。
「……なにがおかしいのよ」
「だって、貴族に生まれたってだけで品性が身につくってことですもの。あなたたちの言う品性って人をいじめることですか?」
「やっておあげなさい!」
「ええ!」
もう一発、水が飛んできた。
今度は顔だけじゃなく服までビショビショにされてしまう。
本当は反撃もできたけれど、私は敢えてそれをしない。
一方的にやられる方が目的に合っているからだ。
「ふん、いい気味ね。あなたが学校をやめるまで、こういった毎日がずっと続くのよ。よく考えることね」
立ち去ろうとする三人の背中を見て、私はほんの気まぐれを起こす。
「いま謝るなら、許してあげてもいいですよ」
「……は?」
振り返ったアイリーの眉間にはだいぶ皺が寄っていた。
まだ若いのに老人より皺が多い。
「謝るのはそっちよ。入学してごめんなさいとね」
吐き捨てるように言って、三人は学校の中へ戻っていく。
あーあ……。
最後のチャンスだったのに。
私は首を左右に振りながら、服を絞って水を抜く。
まだ濡れたままで冷たいけれど、我慢して校内に入る。
「今日はこれで授業を受けるなんて、風邪ひきそうね」
酷いいじめを受けながらも、私は幼い頃に選択した魔法の系統は間違いではなかったと思う。
もしこの魔法を習得していなければ、私は世界は甘くて優しくて幸せなものばかりだと思い込んでいただろう。
教室に一歩踏み入れると、その瞬間から室内の雑音がぴたりと止む。
無音の中、生徒たちが私に注目してくる。
冷めた目を向けてくる者のほとんどは、貴族の子だ。
あまりいい気分ではないわね、これは。
そう感じながら席に着くと、びりびりに破られた教科書と落書きされた机に気づく。
『辞めろ、学院の恥め』
そう書いてあった。
私が虐められるようになった理由は単純だ。
平民であるから。
貴族の中にも上下はあるとはいえ、一応は同じ貴族として認識される。
だが平民は全くの劣った存在として見る者が多い。
そういう教育を受けている生徒が多いため、彼らにも自然と蔑みの目が宿る。
……今回のことも報告ね。
私は破られた教科書がなんとか使えないか試行錯誤する。
糊を使えば、まぁなんとかいけるかもしれない。
そう思った時だった。
一人の男子生徒が声をかけてくる。
「大丈夫かい、ジルさん。酷いことをするやつがいるよね。僕の教科書でよかったら貸そうか?」
アルト・リーヴァイツ。
伯爵家で容姿も端麗ときた。
魔法の腕も良いということで、一部の女性からは熱烈な人気がある。
案の定、私が答えるよりも先に、数人の女子が彼のもとへ駆け寄る。
その中には子爵令嬢のアイリーもいた。
「アルト様。いくらなんでもそれはやめたほうがよろしいですわ」
「ええ、そうですわよ。そもそも彼女は文字もまともに読めないとか」
「そうは言うが君たち……可哀想だろう。僕は困っている人は放っておけないタチなんだ」
彼の宣言はとてもかっこいいし男らしいのだが、私としては疑問を持たざるを得ない。
私がさっき三人の令嬢と教室を出るまではこんなことにはなっていなかった。
外に出て戻ってくるまでの間にこれが起きたのだ。
おそらく、犯人はあの三人だろう。
そう考えると、みんなが見ている中で行われた行動のはず。
このアルトとて、その悪行を眺めていたのではないの?
それなら、なぜその時に止めてくれないのだろう。ましてやアイリーと普通に口をきいている。
「いえ、大丈夫です。教科書もつなぎ合わせればなんとか読めますし。お気遣いありがとうございます」
私は断りつつ、一応礼を述べておく。
「僕は君が平民だからといって見下したりはしないからね。そこは忘れないでくれ」
爽やかな笑顔で浮かべ、彼は自分の席に戻る。
それを見たアイリーが憎々しげな顔で私に耳打ちしてくる。
「あとで覚えてろよ」
やれやれ……。
私は深いため息をつく。
もう、だいぶ虐められたことだしそろそろ動きましょうか。
☆
ジルの髪は黒色だが、本来の私はブロンドだ。
翌日、私は本来のブロンドの方で学校に向かう。
馬車から降りて校内に行くまでの間、生徒たちが非常に好意的な笑顔を向けてくる。
ジルで登校するときには絶対に起きない現象だ。
「ごきげんよう。シーヌ様。本日もお美しいですわ!」
「おはようございます! 今日も顔を拝見できて幸せです!」
キラキラした目で挨拶してくる男女に適当に返し、さっさと校内に入ろうとするのだが、例の三人が声をかけてくる。
「シィンヌ様〜。登校する日をお待ちしておりましたっ」
アイリー、イーナ、マーラの三人だ。
よっぽどビンタの一つでもくれてやろうかと思うが、そこはぐっと堪えて微笑を見せておく。
「三人とも、お久しぶりですわね」
「本当ですわ〜! 最近シーヌ様がいらっしゃらないから、私たち退屈で仕方なかったのです」
「わたくしたちは、シーヌ様を心から尊敬しておりますから」
よくもまあ……。
アイリーが弾んだ声で話す。
「私の父がシーヌ様にお礼をお伝えしてほしいと。この間の取引が、公爵家の計らいで上手くいったようです」
この三人、昨日私に見せていた態度とは百八十度違う。もはや別人だ。
猫撫で声を発し、体をくねくねさせ、常にこちらの機嫌を伺ってくる。
とにかく気色悪い上、上目遣いには吐き気を催すが、私はもう少し感情を消しておこうと思う。
「それはそうと……三人とも放課後は時間がありますか? 三人にだけ、大事なお話がありますのよ」
「だ、大事な話……!? シーヌ様が私たちにお声掛けくださるなんて、初めてですわ」
「ぜひ、お話を聞かせてください!」
三人とも予定が空いているようでよかった。
ひとまずそこで彼女たちと別れ、私は学院長室に急ぐ。例の件をすべて報告した。
そして放課後になると、三人を連れて学院長のもとへ。
三人ともウキウキとしており、遠足前の子供のようだ。
「来たか、シーヌ」
立派な机の奥に学院長がいて、険しい顔で腕を組んでいた。
「ええ、三人をお連れしました」
「では早速始めようか。いいな、三人とも」
学院長は五十代の男性で、体が大きく目つきも鋭い。
おまけに顔には切り傷まである。
若い小娘がその迫力に飲まれないわけがない。
「あ、あのぅ……これって一体なんですの?」
ここで、いい話ではないと三人とも気づいたらしい。
遅すぎるって話だけれど。
「今回三人に来てもらったのは、あなた方が平民を虐めている件についてです」
アイリーは目が左右に泳いだが、即座に否定してくる。
「なんのことやらわかりませんわ。私たちは虐めなど、神に誓ってしておりません」
この学院では身分によって相手を差別することは許されていない。
例えば伯爵と男爵の子供がいたとして、どちらが上ということはないのだ。
あくまで学校内では、誰もが対等な身分。
無論それは建前で、本音では貴族社会のアレコレはある。
ただ、相手が平民だからといって見下すことは貴族であろうと絶対に許されない。
虐めなんてもってのほかだ。
学院長が低く重たい声で告げる。
「うちでは虐めをしたものは即退学だ。その事実が認められれば、三人には辞めてもらうぞ」
「お待ちください学院長! 私たちがいじめをしていたという証拠でもあるのですの? 断じてしておりません」
「ええ、わたくしたちはやっていません!」
このままでは、話は平行線を辿る。
そこでこちらも違った手に出る。
「あなた方に虐められていたという生徒を今お呼びしてきますわ」
そう言って、私は学院長室から出ていく。
魔法を発動して、ほんの数秒でジルの姿に変わる。
ドアを開けて中に入ると、三人の顔が激しく歪んだ。
「お呼びでしょうか、学院長」
「君がジルだね。彼女たちに虐められているというのは本当か?」
チラリと確認すると、三人ともものすごい形相でこちらにプレッシャーを与えてくる。
もちろん、私にそれが通じるわけもない。
「はい、本当です」
「具体的なことを教えてくれ」
「では読み上げていきます」
私はメモを取り出し、日付とやられたことを告げていく。
昨日の出来事を読み終える頃には、三人の顔は真っ青に染まっていた。
学院長がアイリーを睨みつける。
「き、虚言ですわこんなのっ! 彼女は平民で、常日頃私たち貴族に嫉妬していました。これも彼女なりの復讐ですのよ!」
よくもまあ、そう思いつきで嘘を並べられるものだ。
アイリーを擁護するのが生きる道だと判断して、他の二人も同じようなことを述べた。
「だいたい、平民なんて貧乏で品が悪いというのは通説ですわ。父が話しておりました。平民には被害者ぶって、貴族からお金を取りたがるものが多いと」
私と学院長が黙っているのをいいことに、三人は平民の悪口を言い出す。
身分による差別自体が学院のルールとしてアウトなのを、忘れているのだろうか?
アイリーは学院長に強く訴える。
「学院長、よくお考えになってください。平民って驚くほど簡単に嘘をつくのですよ!」
私は呆れてしまう。
アイリーは自分の学校の学院長のことを何一つ知らない。
しょうがないので、私がヒントを与えることにした。
「さっきから平民を馬鹿にしていますけど、学院長も元は私と同じですよ」
「……え?」
やはり知らなかったらしい。
学院長は短めの髭を指で撫でながら、不快そうに言う。
「悪かったな。俺も元は平民だ」
数々の素晴らしい働きが認められ、学院長は爵位を与えられたのだ。
これにはアイリーたちも立つ瀬がない。
学院長が咳払いをして話を戻す。
「平民は基本嘘つきで、ジルもお金か何かが欲しくて被害者ぶっている。これがお前たちの主張で間違いないな?」
「平民全てが嘘つきではありません。ただ、そういう人もいて、ジルはそうです」
さりげなく学院長にはフォローを入れているのが面白い。
とっくに呆れられているけれど。
学院長は疲れたように言う。
「ではシーヌに、あとは任せる」
三人は意味がわからないようで、キョロキョロと室内を見回す。
「シーヌ様はまだ戻っていらっしゃいませんけど……」
「いえ、最初からいましたわ」
パチン、と指を鳴らす。
変身魔法が解けて、本来の私の姿に変わる。
「「「ええぇっ──!?」」」
おかしいほどに三人の叫び声は揃っていた。
口を開けたまま、閉じるのを忘れるくらいには驚愕しているらしい。
「ええと、あなたたちの理屈だと、この姿なら信じてもらえるってことよね?」
首を傾げてみせると、三人とも同時に頭を抱える。なにかシンクロ魔法でもお使いになってる?
私は机の上に置いてある冷めた紅茶に視線を落とす。
「叔父様、これいただいても?」
「ああ、構わんぞ」
「叔父……様……」
私たちの関係を知ったマーラがガチガチと歯を慣らして震える。
「ねぇ、あなたはなぜ水魔法にしたの?」
魔法には適性がある。でもそれ以上に大切なのが情熱だと言われている。
この魔法を使いたい、という強い思いがあれば、適性が低めでも形になることがある。
「ち、小さな頃に、道端にある汚いものを見て、水で洗い流したいとよく思っていました……」
魔法の習得過程には興味深い話も多い。
今のだって、私は予想もしていなかった。
せいぜい、人の顔に水をかけて喜ぶ悲しき趣味のためかなと。
「私は別人になって、違う人生を味わってみたい。そう願って変身魔法を習得したの。死ぬほど大変だったけれどね」
「そんなぁ、わたくしたち──わっぷ!?」
私が紅茶をマーラの顔面にぶっかけたのだ。
「お返しよ。昨日、冷たかったのだから。なにか文句あります?」
「う……いいえ……」
マーラはブルブルと首を横に振った。
冷えた紅茶なので火傷などはない。
私が黙ると、重い沈黙が場を包む。
イーナはすでに涙ぐんでいる。
今までジルにしてきたことを思い返して後悔しているのだろう。
私はアイリーとイーナの肩をトンと突き押していく。
「本日、お父様にも全てを報告しますわ。子爵家にも男爵家にも、うちは支援していたみたいね」
「あぁっ、どうかそれだけは! 申し訳ございませんでしたシーヌ様っ。どうかご慈悲を!」
「私たち、シーヌ様だなんて思いもしなかったのです! どうかお許しをっ」
性悪ではあるけれど馬鹿ではない。
この後の展開が、彼女たちには見えているのだ。
支援を打ち切るだけじゃなく、敵対されるだろう。
自慢じゃないけれど、うちと彼女たち三家ではあまりにも経済力も格も違う。
三家まとめて没落も見えてくる。
私に縋りつこうとするアイリーの手を私は躱す。
「もう遅い」
「……へ?」
「昨日の校舎裏のことを思い出してちょうだい。私がなんと言ったか」
私の気まぐれが起きた時だ。
今全てを謝れば許してあげると言った。
彼女たちは、自分たちの答えを思い出し絶望に満ちた表情になった。
「あれが最後のチャンスだったのよ。自分の品性のなさが招いたことでしょう?」
これで決着ありと思いきや、まだ足掻いてくる。
「違いますの……。実は私たちは、ただ命じられていただけですわ」
「いい加減にしないか!」
とうとう学院長の堪忍袋の尾が切れたらしい。
尋常じゃない迫力で叱責する。
「何をどう言い訳しようと貴様らは退学だ。その処分は変わらない」
「そんな……」
「いいじゃない。これでもう、大嫌いな平民の顔を見ることもないのよ」
私が言うと、三人は床に膝をついて何度も謝り倒してくる。
「今更私の考えが変わることはありません。どうぞ、お帰りください」
泣く泣く三人は部屋を出ていく。
叔父様と二人になると、私は床に溢れた紅茶をハンカチで拭く。
「別に構わんぞ」
「いえ、学院長室を汚したままにできませんので」
「ふむ。……今回の件、大変だったな」
私は立ち上がって背伸びをする。
「叔父様の学院改革に参加するって決めましたから。これくらいは何でもありませんわ」
在学中に不幸になる者、苦しい思いで卒業していく者。
そういう生徒を一人も出さないという理念。
それに賛同したので、私は学院に通いながら改革の手伝いをしている。
「そもそも、あんな奴らを入学させないことが大事なのか……」
叔父様は真剣に悩んでいる。
ただ、それは難しいだろう。
短い時間で人の本性を見抜くのは難易度が高い。
「そう悩まないでください。一つ一つ、前に進めていきましょう」
「……そうだな。ところで、あいつらはどうするんだ?」
「罪は償っていただきますわ。これから帰って着手します。それはそうと、さっきのはいけませんわ」
「む……?」
怒鳴ってアイリーの言動を遮ったことだ。
命令されていたという話、一応聞いておきたかった。
それを指摘すると叔父様は肩をすくめる。
「言い逃れするための嘘だろう?」
「かもしれません。でも本当に裏に誰かいるかもしれません」
「……呼び戻すか?」
「いいえ。数人、要注意人物はマークしています。その中の誰かでしょう」
証拠がなければ、あまり意味はない。
仮にいるなら徐々に追い詰めていく。
「卑怯者がいるのなら、私はやり返しますよ。ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
叔父様の引きつった顔に背を向け、私は部屋を出ていく。
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