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濃厚!中年男性のカレー臭


 私は今、街をぶらぶら歩いている。

 どこをどう切り取っても、いわゆる「中世ヨーロッパ風」の街並みが広がっている。


 酒場では荒くれものたちが木でできたジョッキでぬるそうなビールを飲み交わしているし、食堂では上半身裸の筋肉男が骨付き肉にかぶりついている。


 私は少しずつ土地勘を獲得していきながら、あの金髪ギャル——いや、女神?との会話を反芻していた。

 『ウチが特別に転生系が読めるようになるスキル、あげるね』


 あの時は無我夢中でお願いしてしまったが、冷静に考えればこれほど役に立たないものはない。 だって、もう自分が転生しちゃってるんだから。読む必要がない。リアルで体験すればいいだけだ。


「エターナルダンプにしとけば良かったな……」

 と、ぼそっとつぶやいたとき、目の前には本の形が描かれた木製の吊り看板がブラリと揺れるのが見えた。


「そうか……図書館か」

 思わず足を止めると、重厚そうな扉にぐっと力をかけた。


 理由はシンプル。

 もっとこの世界のことを知っておく必要があったからだ。


 ゆっくりと重々しい音を立てながら開いていく扉。

 これが……私の運命を変えてしまうなんて、思いもよらなかった。


***


 天井の明り取りから差し込む淡くぼやける光。

 「いらっしゃい」という若い女性の声。

 

 古い紙とどこかにこびりついたカビのような匂い。

 一歩ずつ歩く度にきしむ木の床の音。


 目の前の書架には大小様々な本がずらりと並んでいて、この国がある程度の文化レベルに到達していることが分かる。


 だが、それよりも。 何より不思議なのは……全て「日本語」で書かれていることだった。


「えーっと。お姉さん?」

 私は思わず聞いてしまう。


「はい、何でしょう」

 彼女の透き通るような声が響く。


「日本語って知ってます?」

「いいえ」

 彼女の答えはシンプルなものだった。


「ちなみに、この国は何語ですか?」

「ジパン語です」


 なんだそりゃ、と心の中でぼやきながらも、私は「ありがとう」とだけ簡単に返した。そんなふざけた洒落のようで洒落になってない名前。誰が考えたんだか。


 そして、しばらく書架の周りを歩いていると——私は見つけてしまった。

「転生コーナー」


 この国では、いやこの国でも転生ストーリーが大流行したのだろう。

 いくつもの書架を覆いつくすほどの広さで「転生コーナー」が配置してあった。


 思わず最初に手を取ったのは……

『ワキからカレーの匂いがするおっさんの俺が転生して魔王を倒す話』

 という薄い本。 


 本そのものは……やや古ぼけているが読むことには問題ない。


 というか、スキルがあまりにもひど過ぎる。

 そんなんで世界救ったってさ。嬉しくともなんともないだろ。

 

 ぱらぱらとページをめくる。

 主人公の男性からカレーの匂いがするのは本当らしい。

 やがて彼はギャルに跳ねられて転生し……魔王を激戦の果てに討ち取ったようだった。


「むむっ……!」


 私は気づいた。

 気づいてしまった。


 私は、今何のストレスもなくこの本を流し読みすることができている。

 今まで感じていた胸のつかえ、胃のもたれが完全に消失していた。


 むしろそれどころか、ページをめくる手が止められず私は溺れるように転生物語に没頭していた。



「これがギャルのスキル……!」

 恐るべきスキル。彼女がもたらしたものは本当だった。


 いや。待てよ。

 何かが変わった。


 漂うスパイスの匂い。この匂いは……


 ふと気が付くと、私のワキからカレーのような匂い。

 あの、忌まわしくもおぞましい加齢臭ではない。


 西葛西にあるインドカレー屋のコリアンダーとクミンのような香り。

 食欲をそそり、思わずチーズナンを頼んでしまいそうになるあの香り。


 ギャルのスキルは……ただものではなかった。

 「まさか、読んだ転生物語のスキルをそのまま私が——?」


 思わずつぶやいてしまう。



「今日はどこかのお家でカレーでしょうか」



 透き通った女性司書の独り言がこちらにまで流れてくる。

 このスキルはちゃんと世界にも影響するらしい。


「ということは……だよ」


 思わず、目の前に広がった転生コーナーの書架を見渡す。


「もしかして……最強では?」


 私は、この世の真理に気づいてしまったような気持ちになった。  


***


 はっと目が覚めると、そこはいつもの自分の部屋。モニターの前。


 青白く光輝く画面には

「転生して『宙に浮いたティッシュを箸でつまみ取るスキル』で魔王を倒す」

 が表示されたままだった。


「全て……夢だったのか」

 あの街も、ギャルも、ダンプトラックも、今となっては幻の向こう側だった。


 だが、不思議と後悔はない。

 なぜなら別に今の生活に特に不満は無かったし、むしろあの異世界でどのように暮らしていくか……とまどっていたからだ。


「まあ、そんな都合の良いことないよな」

 と独り言をつぶやきつつ、


『第一話 転生』の文字を軽くクリックする。


 主人公の薄汚いおっさん。

 ギャルのダンプトラックに跳ねられて異世界へ飛ぶ。

 やがて現れた魔王は居丈高に言い放つ。


「この紙をキャッチできたらお前の勝ちだ……!」

 

 彼は即席で作った二本の棒切れですかさずそれを掴み取ると——

 魔王の姿が塵のように崩れていく。


 話自体は格別面白かったわけじゃない。



 でも——読めた。

 私は最後まで——読み切ることができたんだ。

 

「ありがとうな、ギャルのお姉さん。転生もの読めるようになったよ」

 とつぶやいた。


 窓からはすがすがしい朝日が差し込んできて、まるで新しい世界の入口に立ったことを祝福しているかのようだった。



 心の中には充実感があふれ、今ならどんな転生物語だって、どんななろう系だって読めそうな気がする。



「よしっやってやろうじゃないか」

 と心の中でつぶやくと、後は転生タグをつけてひたらすら検索するだけだった。


 部屋の中には、西葛西のコリアンダーとクミンの香りが広がっていた。


(完)

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