75) 「断罪された悪役令嬢ですが、北の蛮族が押し寄せてきました」
鏡の間の静寂を、
ぶち破った。
「きゃああああああああっ!!」
女の絶叫だった。
獣じみた、魂が引き裂かれるような恐怖の叫び。
ドアの向こうから響いて、鼓膜を貫いた。
ランデルが、はっと顔を上げる。
「……何事だ?」
低い呟き。
今しがたまで膝をついていた男の目が、一瞬で指揮官のものに戻る。
アマンダの耳にも、はっきりと届いた。
(……ユイ?)
心臓が跳ねる。
(ユイが帰ってきた? いや、原作じゃこの後、恥さらしで追放されて二度と出てこないはず……!)
ヤマダ・ライトの分析回路が、火花を散らして起動する。
これは、明らかなカノン逸脱。
悪い予感しかしない。
震える足を無理やり動かす。
床に落ちた仮面を拾い上げる。
冷たい金属の感触が、わずかに理性を呼び戻した。
カチリ。
仮面を被る。
涙でぐしゃぐしゃの顔が、再び「守護者」の仮面に隠れる。
(……これでいい。
今は、これでいい)
立ち上がる。
膝が笑う。
それでも、よろめきながらランデルの背を追う。
ドアが開く。
廊下は、もう地獄だった。
騎士たちが走り回り、
剣が抜かれ、
侍女たちが泣き叫んでいる。
中央に、
血まみれで倒れているのは、
ユイだった。
白いドレスは真紅に染まり、
胸に突き立てられた短剣が、月光を浴びて鈍く光る。
そして、その傍らに立つのは、
「――お前……まさか」
ランデルが、低く唸る。
仮面の奥で、
アマンダの瞳が見開かれた。
そこに立っていたのは、
原作に、絶対に存在しなかった人物だった。
大広間が、凍りついた。
音楽が止まり、
笑い声が消え、
グラスが床に落ちて砕ける音だけが響いた。
中央の絨毯の上に、
二つの影。
ユイ・デ・リンネ。
かつての華やかな令嬢は、もうどこにもいなかった。
青いドレスは引き裂かれ、
泥と血にまみれたぼろ布と化している。
顔は青白く、
頬には殴られた跡、
片目は腫れ上がって開かない。
金色の髪は絡まり、
草や灰がこびりついている。
よろめきながら、
それでも必死に立っていた。
支えているのは、
アイヘンヴァルト家の斥候服を血で汚したヴィゴ。
顔に新しい傷、
目はまだ戦場の熱を宿したまま。
ユイが、
こちらを見た。
残った瞳に、
狂おしいほどの光が宿る。
「……ラン……デル……」
掠れた、錆びた蝶番のような声。
一歩踏み出して、
膝が崩れる。
ランデルが駆けた。
間に合った。
腕の中に、
骨と皮ばかりになった体が落ちてくる。
熱い。
血の匂い。
焦げた匂い。
恐怖の匂い。
「ユイ……? お前、まさか……」
声が震えた。
さっきまでの嫌悪が、跡形もなく吹き飛ぶ。
彼女の爪が、
ランデルの袖を掴む。
「来てる……
北の……騎馬民族が……
全部……燃えてる……
父様も……みんな……」
言葉の途中で、
瞳が裏返る。
ユイが、
気を失った。
「医者を呼べ! 今すぐだ!!」
ランデルが叫ぶ。
侍女たちが駆け寄り、
真っ白な顔でユイを受け取る。
振り返る。
ヴィゴに向かって、
刃のような視線を突き刺す。
「報告しろ。
全てを。
今すぐだ」
ヴィゴが、
膝をついた。
血の滴る唇が動く。
ヴィゴが立ち上がる。
礼など省いた。
大広間は水を打ったように静まり返った。
「ただの襲撃じゃねぇ」
低い、感情を削ぎ落とした声。
「群れだ。
俺が生きてきた中で、一番でかい群れだ」
息を呑む音が、あちこちで響く。
「東からじゃねぇ。
北の山脈を越えてきた。
リンネ領の死角を突かれた」
一拍。
「率いてるのは、
――グル=ナダル。
“石の喉”だ」
ざわめきが爆発した。
伝説の名。
生きながらえた者はいないと言われる、戦争の化身。
血と骨の首飾りを下げ、
倒した王の髑髏で酒を飲むという怪物。
「リンネは備えが薄かった。
二日で城は落ちた」
ヴィゴの視線が、運ばれていくユイに走る。
奥歯を噛み締める音が聞こえた。
地下室で、見つけた。
……あんな目に遭わせちまった
言葉を濁す。
それ以上は、誰も聞きたくなかった。
「野郎どもが大広間で酒盛りを始めた隙に、
連れ出してきた。
残ったのは焼け跡だけだ」
静寂。
「奴らは止まらねぇ。
今も南下してる。
次は、俺たちの領だ」
ランデルが一歩踏み出す。
仮面の下で、アマンダの背筋に冷たいものが走った。
(原作に、こんな展開は……なかった)
北の炎が、
もうすぐここまで届く。
ランデルは、動かなかった。
一瞬で世界が広がった。
鏡の間とエリヤだけの狭い世界から、
滅びかけた領土全体へ。
「兵数」
短く、鋭く。
「数千……いや、万を超えるやもしれねぇ」
ヴィゴが答える。
「騎馬と歩兵。
そして、
「戦闘用マンモスを連れてやがる。
あいつらで城壁を粉々にしてた」
ざわめきが爆発した。
戦闘マンモス。
もう「襲撃」じゃねぇ。
これは侵略だ。
アマンダは影に立ち、
心の嵐が、氷のような冷静さに変わる。
(グル=ナダル……
原作に、こんな敵はいなかった。
私の存在が……世界を狂わせた?)
ランデルが、
大広間を見渡す。
仮面の下の顔は、もう完全に司令官のそれだった。
「舞踏会は終了だ」
魔力で増幅された声が、
天井まで響き渡る。
「貴族の皆様は、ただちに自室へ。
夜明けまでに。
アイヘンヴァルト公爵領は、今ここに戦時体制に入る」
振り返り、
隊長たちに命を下す。
「軍議を招集。
全予備兵力の動員。
諸侯への急使を出せ」
一歩踏み出して、
ふと足を止めた。
視線が、
まずカエランへ。
仮面は無表情でも、瞳だけが鋭く光る。
そして、
金色の仮面の彼女へ。
一秒だけ。
怒りも、痛みも、もうない。
そこにあるのは、鋼と責任だけ。
無言の問い。
――お前も、来るか?
アマンダの胸が、
ずしりと重くなる。
自分の「私は誰だ」という問いが、
急にちっぽけなく思えた。
何千人もの命が、
今夜にも消えるかもしれないのに。
ゆっくりと、
小さく、
頷いた。
舞踏会の灯が消えていく。
代わりに、
遠くで角笛が鳴り始めた。
戦争が、始まる。
ここまで読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます!
今日はいつもの「お茶会→ハッピーエンド」路線から、いきなり地獄に突っ落としました。
ドキドキしてもらえたなら嬉しいです(震)
正直に聞かせてください!
1. 舞踏会から一気に戦争に突入する展開、刺さりましたか?
2. 短く、鋭く、水抜きでぶん殴るような文体、好きですか?
3. このままダーク&リアルで容赦なく進めてほしい? それともたまに息抜き回が欲しい?
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皆さんの反応が本当に次の話の方向を決めます。
「作者サディストすぎ」という一言も立派なフィードバックです(笑)
次回まで、生きて待っててね。
もっと熱くなりますよ。
では次章で!




