表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/78

71) 嫉妬が胸を喰らう夜

舞踏会の会場は、まだ興奮冷めやらぬ客たちでごった返していた。疲れてるはずなのに、誰も席を立とうとしない。まるで掻き乱された蜂の巣みたいに、ざわめきが渦を巻いてる。


空気は噂で重い。当然、話題の中心は、あの人。


テラスへ消えた彼女の姿を、誰も見逃さなかった。ちらちらと扉の方に視線を投げる貴族たち。いつ戻ってくるか、息を潜めて待ってる。


ランデルは、跡継ぎ連中の輪の中にいた。でも、心はここにない。何度も何度も、あの扉ばかり見てしまう。妙な胸騒ぎがする。


さっきの、彼女の無言の拒絶が、まだ胸の奥に小さな棘みたいに刺さったままだ。


(……なんで、あんな顔されたんだ?)


そのときだった。


扉が、ゆっくりと開いた。


最初に目に入ったのは、見慣れたエメラルドグリーンのドレス。アマンダだ。


でも、どこか違う。


いつも凛と背筋を伸ばして、誰にも隙を見せない彼女の姿勢が……少しだけ、柔らかくなってる?


いや、違う。もっと、誰かに寄り添うような、自然な角度で。


そして、次の瞬間。


会場中の視線が、一斉に下へ滑った。


息を呑む音が、波のように広がる。


彼女の細い指が、誰かの肘にそっと置かれていた。


しかも、それはランデルの腕じゃない。


黒の仮面を着けた、優雅で危険な雰囲気の男。


帝国からの使者、カエラン卿。


彼は、まるで自分のものだと言わんばかりの、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、彼女をエスコートして歩いてくる。


ゆっくりと、堂々と。


黒と深々と、深緑が寄り添う。


そのコントラストが、痛いほど美しくて、痛いほど挑発的で。


(……は?)


ランデルの頭が、真っ白になった。


会場が、一瞬で静まり返る。


そして、次の瞬間。


ざわめきが、爆発した。


「まさか、あの氷の公女が腕を組むなんて……!」


「ちょっと待って、ありえないでしょ!?」


(ちょっと待てよ……なんで? なんであいつと……!?)


ランデルの胸の奥で、何かが、ぎりっと音を立てて軋んだ。


棘が、深く深く、肉を抉るように突き刺さる。


(俺の、はずだったのに……)


カエランは、仮面の奥で、確かに笑っていた。


まるで、会場中の視線を全部食らってやると言わんばかりに。


そして、アマンダは。


彼女は、ただ静かに微笑んで、彼の隣を歩いていた。


その横顔が、いつもよりずっと、ずっと綺麗で。


(……やばい)


ランデルの心臓が、激しく鳴り始めた。


嫉妬って、こんなに苦しいものだったっけ。


まるで、胸の奥に火を灯されたみたいに、熱くて、痛くて、息ができない。


(くそっ……!)


彼は、無意識に拳を握りしめていた。


爪が掌に食い込むほど、強く。


このまま、見てるだけじゃ終われない。


絶対に、取り戻す。


あの笑顔を、あの指を、あの全てを。


俺のものにするって、決めたんだから。


会場が、凍りついた。


ざわめきが、一瞬で消えた。


次の瞬間、抑えきれない吐息と小さな悲鳴が、ぽつり、ぽつりとこぼれ始める。


目を見開く者。

口をあんぐり開ける者。

信じられない、という顔で固まる者。


ヒカリ・ツバメが、兄の袖をぎゅっと掴んだ。


「カイト兄様……あ、あの人……帝国の人だよ!?」


カイト・ツバメは答えられない。

いつも皮肉げに吊り上がっていた口元が、今はただ虚ろに開いたまま。

仮面の奥の瞳が、信じられないものでも見るように揺れる。


花咲さゆりは、扇子で口元を隠しながら、目をキラキラさせていた。


「きゃーっ! スキャンダル! 最高に美味しいスキャンダルよぉ!!

アインハルト家の至宝と、帝国の暗部……! もうたまらないわ!」


隣で、レン・ジンジャが真っ青になった。

普段は冷静沈着、どんな状況でも計算を回す秀才の頭脳が、今は完全にフリーズしてる。


(これは……外交問題だ。

いや、戦争の火種になりかねない。

でも、でも……

なぜ? なぜ彼女が、あの男の腕を……!?)


頭が、真っ白。

計算が、まったく回らない。


会場の空気が、どんどん熱を帯びていく。

誰もが、息を殺して二人を見つめている。

まるで、次の瞬間、世界がひっくり返るのを待っているみたいに。


そして、誰もが同じことを思っていた。


これは、ただのダンスじゃない。


これは、宣戦布告だ。



だが、一番激しく、一番深く、魂ごと砕かれたような反応を見せたのは。


ランデル・フォン・アイヒェンヴァルドだった。


その場に、凍りついた。


顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。

大理石みたいに真っ白になって、息すら忘れる。


視線は、ただ一か所に釘付け。

彼女の白い指が、あの男の肘に載っている場所に。


怒りじゃない。

嫉妬とも、少し違う。


ただ、底なしの衝撃。

裏切られた獣が感じるような、原始的な、身を引き裂かれるような衝撃。


二人が近づいてくる。


カエランが、仮面の奥から彼女の耳元に何かを囁く。

アマンダの横顔が、ほんの少しだけ、そっちを向く。


その、たった一瞬の仕草。

たった一滴の注意を、他人の男に与えたこと。


それが、ランデルの胸を、どんな剣よりも鋭く貫いた。


握っていたワイングラスに、力がこもる。

指。

骨がきしむほど、強く。


次の瞬間。


パキィンッ!!


甲高い音が、銃声みたいに会場に響いた。


細いクリスタルが、粉々に砕ける。

赤いワインと、赤い血が、指の間から滴り落ちる。

欠片が、床にジャラジャラと散っていく。


ざわめきが、一瞬で彼に集中する。

驚きと、怯えた好奇心が入り混じった視線。


でも、ランデルは自分の手を見ない。

痛みなんて、感じない。

ただの麻痺。


彼が見ているのは、彼女だけ。


息が荒い。

胸が、激しく上下する。

いつも澄んでいた瞳に、今は嵐が吹き荒れている。


信じられない。

痛い。


そして、何か、獣じみた、抑えきれないものが、奥底で咆哮し始めていた。


(……なんで、だよ)


喉の奥で、掠れた声が漏れる。

誰も聞こえなかった。


(俺の、はずだったのに……)


血が、ぽたぽたと床に落ちる。

赤い滴が、白い大理石に、小さな花を咲かせていく。


それでも、彼は一歩も動けない。


ただ、彼女を見つめるだけ。


まるで、このまま世界が終わってもいいとでも言うように。



鋭い破砕音に、二人が足を止めた。


アマンダが、振り返る。


その瞬間、視線が絡まる。


ランデルの瞳に、全部映っていた。

衝撃。

痛み。

そして、答えを求める、声にならない問い。


彼女の胸の奥で、何かがきゅっと縮んだ。

冷たくて、怖くて、息が詰まるような塊。


(……ごめん)


でも、もう遅い。


彼女は自分で選んだ。

危険でも、ルールがはっきりしてるゲームの方を。

彼がくれた、温かくて、でも恐ろしいほどの不確かなものを、逃げ出すために。


だから。


ゆっくりと、視線を外した。


その、たったそれだけの仕草。

それが、ランデルにとって最後の、一滴だった。


彼は急に背を向けた。


呆然と立ち尽くす従者のトレイを薙ぎ払い、

一言も発さず、出口へ向かって歩き出す。


大理石の上に、ぽたり、ぽたり、と赤い跡を残しながら。


会場は、水を打ったように静まり返った。


カエランが、そっと彼女の手を握りしめた。


「ふふ……大成功みたいだね」

仮面の奥で、満足げに笑いながら、耳元で囁く。


アマンダは小さく頷いた。


声が出ない。


勝った。

完璧に、計算通りに距離を取った。


なのに。


なぜ、胸の奥がこんなに重いんだろう。


遠ざかっていく彼の背中が、

暗闇に溶けていくそのシルエットが、

まるでナイフみたいに心を抉る。


(これで……いいはずなのに)


完璧に役を演じきったはずなのに。


どうして、こんなに。

まるで、自分の人生で一番大きな、取り返しのつかないミスを犯したような気がするんだろう。


頬を伝う熱いものが、

涙だって気づく前に、

彼女は唇を噛みしめた。


会場のざわめきが、再び遠くで湧き上がる。


でも、もう誰の声も届かない。


ただ、あの背中だけが、

胸の奥に焼き付いて、離れない。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

もし今回の話が少しでも面白いと感じていただけたら、感想やご意見をコメントで残していただけると嬉しいです。


また、作品の評価も★1~★5でつけてもらえると、今後の執筆の励みになります。

読者の皆様の率直な声をお待ちしています。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ