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70) 金黒の仮面は手を繋ぐ

……行った、と思った。

でも、違う。


カエレンは優雅に腰を折り、踵を返した。

けれど、その動きはわざとらしく遅い。まるで名残惜しそうに。


(……やっぱり、行かないんだ)


本に書いてあった通りだ。

この男は、獲物を完全に逃がす前に、必ず最後の牙を立てる。

「反応を引き出すまで、絶対に盤を離れない」


頭の中で、ヤマダ・ライトでも、アマンダでもない“何か”が目を覚ました。

深夜まで読み漁った頭脳戦マンガ。

IQテストで自慢した自分。

「俺ならこうする」って妄想した、あの自分。


(……よし、じゃあ、カエレンならどうする?)


アマンダは止めなかった。

声もかけなかった。

ただ、笑った。

くすっ、と小さく。


モジュレーターで歪んだ声なのに、どこか澄んだ、軽い嘲笑が混じる。


カエレンの背が、ぴくりと強張った。

ゆっくりと振り返る。


「……僕の言葉、何か可笑しかったですか?」


軽い口調のまま、でも奥に鋭い棘が光る。


「可笑しい、じゃなくて」


アマンダは首を傾け、仮面の奥の紅い瞳を細めた。


「面白いわ」

「影が湖の深さを測ろうとして、小石を投げ込んでるのを見るのって」


一歩、踏み出す。


「あなたは人のゲームが得意なんでしょう? ロード・カエレン」

「野心、恐怖、貪欲……全部、掌の上で転がす」


そこで言葉を切り、ゆっくりと息を吐く。


「でも、私、人間じゃないの」

「あなたの誘いも、誘惑も、全部水面を滑るだけ」

「底には、届かない」


にっこりと、仮面ごしに微笑んだ。


「まるで、子犬が鏡の中の自分にじゃれついてるみたい」


瞬間、カエレンの仮面の下で、唇がわずかに震えた。

怒りか、それとも、

興奮か。


「……ほう」


低く、艶やかな吐息。


「底なしの湖、ですか」

「これは、ますます興味深い」


彼の空気が、変わった。

さっきまでの余裕の猫が、牙を剥いた獣になった。

背筋が伸び、視線が真っ直ぐに突き刺さる。

仮面の下、口角がゆっくりと吊り上がる。


「……お?」


たった一文字。

それだけで、勝負を挑まれた気がした。


アマンダは声を落とした。

低く、だからこそ重く。


「あなたは私に“キャンバス”を差し出す」

「私が絵を描きたいと思ってると思ってる」

「でも、もし私が“絵の具”だったら?」

「キャンバスに塗られるんじゃなくて、キャンバスそのものを変えちゃうような」

「あなたの帝国だって、所詮は血と野心で描かれた一枚の絵」

「私が加えるとしたら……新しい赤の色?」


カエレンの瞳が、仮面の奥で燃えた。

好奇心だ。飢えた、底なしの。


(……こいつ、私と同じ言語で喋ってる)


アマンダの、心の奥で何かが熱くなる。


「新しい色を足すだけじゃ、終わらないかもしれない」


カエレンが一歩、近づく。


「古い絵の具を全部削ぎ落として、真っ白なキャンバスに戻す」

「そして、ゼロから描き始める」


その声が、耳元で甘く絡みつく。


「僕はそのとき、あなたに筆を差し出す者でいい」


距離が、危ない。

息がかかるくらい近い。

鋭い知性と、殺意にも似た緊張が肌を刺す。


(やばい……めっちゃヤバい)


でも、止まらない。

胸の奥が、熱くて、震えて、たまらなく楽しい。


これだ。

これが、頭脳戦の快感だ。

昔、画面越しに憧れた、あの感覚。

今、自分がその真ん中にいる。


(……マジで、最高)


仮面の下で、アマンダは小さく笑った。

紅い瞳が、月明かりに妖しく光る。

まるで、獲物を見つけたのは、どっちなのかわからないくらいに。


(……女の体なのに、なんでランデルといると胸が熱くなるんだ?)

(あれは、優しい。柔らかい。訳わかんなくて怖い。)

(でも、こいつは……わかる)

(頭脳戦。純粋なゲーム。感情なんて邪魔しない、クリアなルール)


だからこそ、心地いい。

逃げてるんだ。私は、あの“わからなさ”から逃げて、こっちに手を伸ばしてる。


「……筆?」


アマンダはわざとらしく彼の空っぽの手を見下ろした。


「私は、思考だけで創造することに慣れてるわ。ロード・カエレン」


でも、少しだけ間を置いて。

芝居がかった、甘い溜め。


「でも……あなたの提案、面白い」

「新しい、難しいパズルみたいで」


カエレンの仮面の下で、牙が覗いた。

もう宮廷の笑みじゃない。

獲物を見つけた獣の本気。


「では、レディ・ガーディアン」

「そろそろ舞踏会も終わりですね。お送りしましょうか?」

「まだまだ、芸術の話は尽きないはずです」


彼は手を差し出す。

儀式じゃない。挑戦だ。

受け取るか、拒むか。


アマンダは、その手をじっと見つめた。


これを取ったら。

ランデルの、素直でまっすぐな想いから、一歩離れることになる。

複雑で、危険で、でもめちゃくちゃ心地いいゲームの世界へ。


(怖い。でも……)

(今なら、まだ自分が操ってるって思える)


金の手袋をはめた指が、ゆっくりと降りていく。

まるで羽のように、軽く。

けれど、確かに。

彼の手の上に、重ねられた。


瞬間、カエレンの指がそっと絡まる。

熱い。

まるで、勝負が始まったと告げるように。


月明かりの下、二つの仮面が静かに笑った。

金と黒。

湖と影。


今夜、物語は新しいページをめくった。


「……素晴らしい」


囁くような声が、耳のすぐ横で震える。


二人は歩き出す。

金と黒の仮面。

月明かりに浮かぶ、謎めいた影。

空になったテラスを背に、誰も気づかないまま、ざわめくホールへと溶けていく。


アマンダの胸は、高鳴っていた。

でも、それは混乱じゃない。

興奮だ。


火遊びだってわかってる。

でも、今ならまだ「自分が選んだ」って言い訳できる。

ランデルの、あのまっすぐで温かくて、だからこそ怖い光から逃げて。

こっちに来た。

もっと危険で、もっと深い闇へ。


でも、ページをめくる手が震えるくらい、懐かしくて、心地いい。


(……これ、知ってる)

(本で読んだやつだ)

(だから、怖くない……はず)


仮面の下で、唇が小さく弧を描く。

隣を歩く黒い影が、同じように笑った。


まるで、

「ようこそ、私のゲームへ」

って言ってるみたいに。


夜風が、二人の背中を押す。

新しい章が、静かに始まった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

もし今回の話が少しでも面白いと感じていただけたら、感想やご意見をコメントで残していただけると嬉しいです。


また、作品の評価も★1~★5でつけてもらえると、今後の執筆の励みになります。

読者の皆様の率直な声をお待ちしています。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

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