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68) 仮面の奥の微笑

大理石の階段の頂に、ランデルが立っていた。


深い黒の燕尾服。

銀糸で縫い取られた、絡み合う木の枝の刺繍が、静かな光を宿して揺らめく。


肩には、ダークグレーのベルベットマント。

ただの跡取りではない。

――王だ。


背筋はまっすぐ。瞳は澄みきっていて、昨夜の疲れも迷いもまるで感じられない。


けれど、それでも誰も彼を見ていなかった。


視線はすべて、隣の“彼女”へ吸い寄せられていた。


守護者。


黄金の鎧など着ていない。

代わりに纏うのは濃いエメラルドのドレス。


重いシルクがシャンデリアの灯りを受けて、

甲虫の羽のように、深い色をゆっくりと揺り返す。


袖は長く、襟元は高く、装飾は必要最低限。

しかしその控えめさが、むしろ豪奢さを際立たせていた。


そして――顔。


あの仮面。


鏡のように磨き上げられた薄い金属の面。

謎めいた彫りが上半分を完全に隠し、

見えるのは唇と顎だけ。


それなのに、なのに――


(やばい……めっちゃ綺麗じゃん……)


会場に、息を呑む気配が一斉に満ちた。


二人が階段を降り始める。


ランデルが半歩前。

だが、その首の角度、肩のライン――

そこに宿る意思は一つだった。


――俺はただの案内人じゃない。


この人を、世界に示すために。

俺の家に。

俺の誇りに。

そして、疑う者たち全員に。


(見てろよ……これが俺たちの答えだ)


静寂が、波紋のように広がっていく。

誰もがただ、見惚れるしかなかった。


仮面の奥。

そのわずかに見える唇が――ほんの少しだけ、上がった気がした。


まるで、微笑んでいるかのように。


数十の熱い視線を浴びながら、

ランデルがそっとアマンダに身を寄せた。


「少しだけ、客にご挨拶を。ツバメ公爵とその跡取りが、かなり食いついてるんだ」


低い。

けれど揺るぎない声だった。


彼は彼女の手を引き、

政略の渦のど真ん中へ――

そのまま連れ込もうとしている。


アマンダの背筋を、氷のような震えが走った。


――来た。


本番だ。


黄金の殻を外したまま、

あの飢えた貴族どもの真ん中に放り出される。


質問攻め。

試し。

値踏み。


(無理……今は、まだ……!)


アマンダはほんの少しだけ、

けれどはっきりと足を止めた。


ランデルの手を、優しく。

それでいて決して譲らない力で押し留める。


「……いや」


仮面の奥から響く声は、変調器のおかげで囁きなのに、

どこか凛として澄んでいた。


「今は……いい。見てるだけで、十分」


ランデルが、一瞬だけ動きを止める。


彼が予想していたのは、

威風堂々とした態度か、

あるいは傲岸不遜な拒絶。


まさか――

こんな、静かで、どこか人間くさい「遠慮」だとは。


(……守護者が、俺に気を使ってる?)


瞳の奥に、驚きと、ほんのわずかな失望がかすめた。


今夜、

彼は彼女を「最強の切り札」として世界に見せつけたかった。


けれど。


すぐに小さく頷いた。

短く、しかし敬意を込めて。


「……分かった。すぐ戻る」


背を向け、

群衆の中へ音もなく溶けていく。


残されたアマンダは、

仮面の下で小さく息を吐いた。


(……怖い、なんて思ったの、初めてかも)


胸の奥が、ぎゅっと痛む。


でも、同時に――


(あいつ……ちゃんと聞いてくれた)


ほんの少しだけ、唇が緩んだ。


仮面の奥で。

誰にも見えない、かすかな笑みだった。


彼は彼女を、煌めく人波の端っこに残して、

待ち構える群れの中へと歩いていった。


アマンダは、ぽつんと取り残される。


――まるで全裸で立たされてるみたい。


視線が刺さる。

ざわめきが耳を打つ。


仮面の下で、誰にも見えない深呼吸。

ゆっくり、ゆっくりと。


一番近いテーブルへ。

足取りは優雅に、まるで波に乗るように。


黄金色の液体が注がれた、最高級のクリスタルグラス。

指先で軽く掴み、唇に運ぶ。


飲んでなんかいない。

ただ、香りを楽しむふり。


背筋はまっすぐ。

顎は少しだけ上げて。

完璧なポーズ。


(誰も、私が震えてることなんて気づかないよね……)


一方、ランデルはもう貴公子たちの輪の中だった。


「おお、ランデル! 生きてたかよ、嬉しいぜ!」


カイト・ツバメが大げさに肩を叩く。

満面の笑み。

裏に隠した牙がチラつく。


「もう森の魔物に食われたかと思ってたんだからさ!」


「残念だったな。俺の死体はまだ売りに出されてない」


ランデルの声は氷のように冷たい。

笑みは一切なし。

目だけが、鋭く相手を射抜いていた。


(ふざけんなよ……てめえら全員、俺の弱みを嗅ぎに来たんだろ)


輪の奥で、誰かが小さく笑った。


夜は、まだ始まったばかりだった。


「で、お前の可愛いお連れさんはどこだ?」


藤原秋晴が、テーブルに立つ孤独な影へ、

ねっとりとした視線を投げながら口を開いた。


「まさか俺たち“肉食獣”と一人で戦わせるつもりか?」


「守護者は距離を取ることを好む」


ランデルの声に、刃のような冷たさが宿る。


「彼女の興味は、俺たちの……“お遊び”の外にある」


「あるいは、単にルールを知らないだけでは?」


レン・ジンジャが、静かに。

でも、はっきりと呟いた。


周囲の視線が、一斬に彼に突き刺さる。


「力はあっても、この場の“機微”が読めない、ってことかもしれないな」


ランデルが、ゆっくりと振り向く。


表情は氷の仮面。

感情は完全に殺している。


「機微、ね」


唇の端が、かすかに吊り上がる。

嘲笑に近い。


「言葉遊びが好きな奴だけが興味を持つものだ。

彼女が扱うのは“現実”だ。

敵を灰に変える瞬間を見れば、

お前らのその“機微”がどれだけ幼稚に見えるか、すぐに分かる」


空気が凍った。


いつも皮肉を飛ばすカイトでさえ、

一瞬だけ言葉を失う。


その頃、アマンダはテーブル脇で、

断片的に聞こえてくる会話を耳にしていた。


『ルールを知らないだけでは?』


――ズキリ、と胸が痛んだ。


痛いほど正しい指摘だった。


自分はここに馴染めない。

貴族たちの暗号みたいな会話も、

笑顔の裏の計算も、全部読めない。


でも、


ランデルが、迷いなく自分を守ってくれた。


「違う」と、はっきりと言ってくれた。


(お前はそこでいいんだ、と)


仮面の下で、ぎゅっと奥歯を噛む。


(……ありがとう、ランデル)


熱いものが、喉の奥を這い上がる。

誰にも見えない。


仮面の奥で、

彼女は小さく、でも確かに微笑んだ。


――やばい、やばい、やばい、やばい!!


(四人!?

四人同時に来てる!?

しかも全員ガチの貴族令嬢じゃん!

どうすんのこれ!?

ランデル早く戻ってきてくれよぉぉぉ!!)


心臓がバクバク暴れている。

膝がガクガク震えている。


でも、表面だけは完璧な彫像。


背筋ピン。

顎少し上げて。

仮面の下の瞳は完全に「神の無関心」モード。


空のグラスを傾けて、

光の反射をじーっと見つめるフリ。


(近づくなオーラ、全力で放ってるから……!)


……効かなかった。


優雅に。

でも確実に。

四人の“偵察部隊”が迫ってくる。


「わぁ……本当にいらっしゃるんですね! 守護者様……!」


ヒカリ・ツバメが頬を赤らめて、

目をキラキラさせて近づいてくる。


「そのドレス、どこの工房のものかしら?

生地感が素晴らしいわ」


サユリ・ハナサクは冷たい視線で全身をスキャンしながら、

質問という名の尋問。


アオイ・ミドリは真剣なエメラルドの瞳でじっと見つめ、


ユメ・ジンジャは無言で、

でも確実に距離を詰めてくる。


――最悪の組み合わせキター!!


(インキャの天敵四天王じゃん!?

逃げ場ない!)


頭の中、フル回転。


(無下に追い払ったら外交問題になる。

普通に会話したら絶対ボロが出る。

……何か、一発で「神の領域」を見せつけて、

「もう話しかけませんね」って敬意と恐怖で退散させる方法……!)


アマンダはゆっくりとグラスをテーブルに戻した。


カチリ、と小さな音。


そして、仮面の奥から――

静かに、でも確かに、声を発した。


「――お静かに」


その瞬間。


会場中のシャンデリアの灯りが、一斉に揺れた。

まるで風が吹いたかのように、炎がざわめく。


空気が、重くなる。


四人の令嬢の肩が、びくりと震えた。


仮面の奥、唇だけが妖しく弧を描く。


「私は……今夜は“観客”でいいと言ったはずだけど?」


低く、響く、変調された声。

まるで背後から別の“何か”が語りかけているような、異質な重なり。


ヒカリの顔が青ざめる。

サユリの瞳が見開かれる。

アオイが一歩、後ずさる。

ユメが、初めて小さく息を呑んだ。


(よし……効いてる!)


アマンダは内心でガッツポーズしながら、

仮面の下で、ほんの少しだけ舌を出した。


(これでしばらくは寄ってこない……はず!)


――ピクリ、と空気が歪んだ。


仮面の奥、

常人には見えない“視界”が、わずかな揺らぎを捉える。


(レオ……!)


すぐそこに、透明な鎧を纏った忠実な影が控えている。


瞬間、頭の中で電流が走った。


(これだ……!

最高にイカした演出!)


アオイ・ミドリが、慎重な声で問いかける。


「その仮面……特別な意味が、あるんですか?」


アマンダはゆっくりと頷きながら、

空いている左手を、ほんの少しだけ動かした。


人差し指が、テーブルの方へ小さく一振り。


――了解。


レオの反応は光より速かった。


「金属には……自らの意思がある」


エソテリックに、

まるで呪文のように呟く。


その瞬間、額の裏側で冷や汗が一筋。


――頼む、ちゃんと決まってくれ……!


五メートル先のテーブル。


ルビー色のワインが注がれたクリスタルグラスが、

音もなく、ふわりと浮いた。


風も、光も、気配も、何もない。

ただ、静かに、確かに、宙に浮かぶ。


「「「「え……?」」」」


四人の息が、同時に止まった。


グラスはゆっくりと、

まるで王が歩くように空中を進む。


呆然とする貴族の横をすり抜け、

青ざめたサユリの鼻先を、紙一重で掠め、

そして、ぴたりとアマンダの待つ手に収まった。


指が自然に、

まるで最初からそこにあるべきもののように、

細い足を優雅に掴む。


彼女はグラスを軽く傾け、

ルビーの液体が妖しく揺れた。


仮面の奥、唇が小さく弧を描く。


「……ごちそうさまでした」


ヒカリは口を押さえたまま固まり、

サユリは完璧な丸い目で瞬きも忘れ、

アオイとユメはただ、ただ見つめるだけ。


(完璧……!!

レオ、ナイス!!)


内心で盛大にガッツポーズしながら、

アマンダは静かにワインを口に含んだ。


ほんのり甘い、勝利の味だった。


アマンダはグラスを、

仮面の奥に隠れた唇へそっと運ぶ。


ちびり、と一滴だけ。


まるで空気すら支配しているような、絶対の余裕。


浮遊なんて、

呼吸と同じくらい当たり前だと言わんばかりの、静かな動作。


彼女は誰の目も見ない。

笑みすら浮かべない。


ただ、頭上を越えて遠くを見るだけ。

まるで今のは、通り過ぎたハエ程度の出来事だと言いたげに。


会場が、完全に死んだ。


遠くで、

誰かのスプーンが皿に触れる小さな音だけが、響く。


最初に口を開いたのはユメ・ジンジャだった。


震える吐息が、漏れる。


「……目もくれずに……ただ、欲しただけで……」


アマンダはゆっくりと、

彼女に深紅の視線を落とす。


そこにあるのは誇りじゃない。

ただの、宇宙規模の疲れ。


「意志が世界と一つになれば、仕草など不要になる」


意味不明。

でも、めちゃくちゃカッコいい。


この場で起きたことと合わさると、

それはもう絶対の真理に聞こえた。


四人が、揃って一歩、後退る。


顔は真っ青。

瞳に宿るのはもう好奇心じゃない。

純粋な、震えるほどの畏怖。


(もう……話しかけられない)


誰も、何も言えない。


アマンダは静かにグラスを置き、

仮面の奥で小さく息を吐いた。


(……やった。これでしばらくは安全だ)


勝利のワインは、ほんのり甘くて、

少しだけ心臓を落ち着かせてくれた。


その場の空気を、ひときわ強く揺らしたのは——ランデルだった。

彼は静かに拳を握りしめ、ただアマンダの横顔を見つめていた。


 奇跡を見たからじゃない。

 ——いや、それもあるけど。

それ以上に、彼には分かってしまったのだ。

彼女が“奇跡”を盾にして、また世界から一歩、距離を置いたことを。


(誇らしい……けど、痛ぇな。お前、どこまで一人で背負うつもりなんだよ)


 胸の奥がじんわりと熱く、そして冷たく締めつけられる。


「……おーい、ジンジャ」


 隣で立っていた海斗ツバメが、歯の隙間からスーッと音を立てて笛のように息を漏らした。


「お前の本棚にさ、“いつ自分の舌が勝手に宙に浮くか分からない相手との、平和的な社交トーク入門”とか載ってねえの?」


 皮肉まじりの声。だが誰も笑えなかった。


 蓮ジンジャは答えない。

返事なんて、今の彼にはどうでもいい。


 ただ、アマンダを凝視していた。

その瞳に宿っていたのは——学者の冷静な好奇心じゃない。


(……やば。やばいやばいやばい。こんなの、“非科学的”どころの話じゃないだろ……! なんだよこれ、本物じゃねーか……!)


 狂信者じみた光。

今まで否定し続けてきた“魔法”が、息をしている。目の前で。


 アマンダは、ワインをもう一口。

喉を通る温度に、さっきまで荒れ狂っていた心がすっと落ち着いていくのを感じた。


(……よし。効いた。怖がってる。しかも——信じてる)


 表情は崩さず、ほんの一瞬だけ視線を横へ滑らせる。

そこにはレオ。


(ありがとう、レオ。マジで助かった)


 彼女の小さな、そして無謀すぎる賭けは続いている。

一歩進むごとに、この世界との距離は広がり、戻れない崖の端へと近づいていく。


 でも同時に——


(……私の“伝説”は、ここからだよ)


 胸の奥で、ひどく静かな炎が灯った。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

もし今回の話が少しでも面白いと感じていただけたら、感想やご意見をコメントで残していただけると嬉しいです。


また、作品の評価も★1~★5でつけてもらえると、今後の執筆の励みになります。

読者の皆様の率直な声をお待ちしています。


これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

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