65) 「仮面の裏で」
窓の外が、めっちゃくちゃうるさい。
宮殿全体が巨大な蟻の巣と化していた。使用人たちが絹の布の束や花のガーランドを抱えて走り回り、厨房からは料理長の怒号が飛び交い、大広間ではトンカン、トンカンと追加のテーブルを組み立てる音が響き渡る。
タイヴィン卿は言ったのだ。
「アイヒェンヴァルト家は折れてなどいない。むしろ、新しい守護者を手に入れた」
世界中にそう見せつけるために、盛大なる宴を催せ、と。
アイヒェンヴァルトの鴉の紋章が押された招待状は、もう近隣の全公爵領に飛び、さらには帝都にまで届いている。
……そして、夜が来た。
大広間が、眩い。
何千本もの蝋燭の灯りが水晶のシャンデリアに反射し、金箔の装飾を妖しく煌めかせる。花の香り、高級な香水、そして極上の料理の匂いが混じり合って、甘く重い空気を作り出していた。
公爵領中から集まった貴族たち。遠くの国からの使者たち。
絹、ビロード、宝石の海。
ざわめきが波のようにうねる。
みんなが、息を殺して待っている。
奇跡的に生還した跡取りと……
そして、あの伝説の《守護者》を。
ガタゴトと石畳の悪路を、金色の夕陽に輝くアイヒェンヴァルト城へ向かう馬車が走る。
扉に描かれた紋章は、青地に舞う燕。
ツバメ公爵家の証だ。
馬車の中で、ふかふかのビロードのシートにだらしなく凭れかかるのは、
カイト――ツバメ公爵家の長男。
狐みたいに鋭い顔立ちに、いつも人を小馬鹿にしたような茶色の瞳。
濃紺のベストの袖口を、だるそうにいじりながら、
「さーて、妹よ。今季最大のショーが始まるぜ」
と、砂糖漬けのスミレが入った箱を、ヒカリの方へ滑らせる。
向かいに座るのは、妹のヒカリ。
名前の通り「光」そのものみたいな娘だ。
淡い金髪を優雅にまとめ上げて、大きな青い瞳は窓の外の松林を映している。
「アイヒェンヴァルト家プレゼンツ――『蘇った跡取りと、金ピカのナニーちゃん』ってとこかな」
ヒカリはプッと吹き出して、箱を押し返す。
「ちょっとカイト、そんなシニカルな言い方やめてよ。ランデル様、本当に死にかけたんだよ? 生きて帰ってきたのは奇跡だって、みんな言ってるじゃん」
「奇跡?」
カイトは片眉を上げて、ニヤリ。
「可愛いヒカリ、政治の世界に奇跡なんてないんだよ。あるのは都合のいい偶然と、うまい芝居だけ」
スミレを指でつまんで、パキンと割る。
「考えてみろよ。跡取りが消息不明→領内大混乱→悲しみに暮れる領民たち……からの~?」
両手を広げて、大げさに。
「ドドーン! 光輝く黄金の美少女を従えて、華麗に帰還! 一振りで軍勢を灰にするって噂の《守護者》ちゃん付き!」
「…………」
「どう考えても、出来すぎてるだろ。舞台装置バリバリじゃん」
(……でも、確かに気になる)
カイトは窓の外を見ながら、舌でスミレを転がす。
(黄金の鎧の女、か。どんな顔してんだろな)
ヒカリは少し頬を赤らめて、小声で呟いた。
「……でも、本当にすっごく強いんだって。震えてる人がいたよ。『あれは人間じゃない』って」
カイトはクスッと笑う。
「へぇ、怖がられてるんだ。それとも、惚れてんのかな?」
「もう! お兄ちゃんはいつもそうやって茶化す!」
馬車が石橋を渡り、城門が近づいてくる。
遠く、祭りの灯りが揺れている。
カイトは最後に一つ、スミレを口に放り込んで、
「ま、どっちにしろ。今夜は面白いことになりそうだ」
と、低く笑った。
(さあて、どんな芝居が見られるかな)
「噂なんて山ほどあるよ」
カイトは肩をすくめた。
「俺は耳より目が信用できる。今日こそ、あの《守護者》を間近で見てやる。瞳を覗き込んで、どんな顔してるか確かめてやるよ。仮面なんて、本気で見つめたらすぐヒビが入る」
ヒカリがため息をついた。
「やっぱりお兄ちゃんって、なんでも難しく考える……。もしかしたら、本当にただの優しい人、いや、存在なのかもしれないよ? ランデル様を助けたかっただけ、とか」
「優しい奴が一番早く死ぬんだよ、このゲームじゃ」
カイトの声が、少しだけ冷たくなった。
「でも、ま、本物だったら……それこそ面白くなる」
茶色の瞳が、獲物を狙う狐みたいに細められる。
「想像してみろよ、ヒカリ。本物の、生きた《魔法》がここにいるんだ。俺たちの軍勢も策略も、全部ゴミみたいに吹き飛ばす力。問題はただ一つ――」
指を一本立てて、ニヤリ。
「あいつ、どっちの味方なんだ? それとも、誰の味方なんだ?」
ヒカリが小声で呟く。
「……ランデル様、ってこと?」
「当たり前だろ。宮廷中が騒いでるぜ。あいつ、彼女を見る目が完全にヤバいらしいからな。神様でも降臨したって感じでさ」
カイトはククッと笑った。
「で、噂じゃあ、ユイ・ド・リンネとの婚約まで、表立ってぶち壊したってよ。おじいちゃんタイヴィン、頭抱えてるんじゃない? リンネ家との縁談をポイしてまで……誰のために?」
「…………」
「俺たち、彼女のこと何も知らないじゃん? 名前すら怪しいレベルだぜ」
そのとき、馬車がゆっくりと止まった。
煌めく灯りが入り口を照らし、ざわめきと楽器の音が漏れてくる。
「さあて」
カイトが背筋を伸ばす。
さっきまでの皮肉っぽい顔が、完璧な貴族の微笑みに変わる。
「客席に着く時間だ。行くぞ、妹よ」
差し出された手に、ヒカリがそっと指を絡める。
「《守護者》ちゃん、俺たちと同じくらい上手く演じられるかな? それとも……今夜、伝説にヒビが入る瞬間を見れるかな?」
扉が開く。
完璧に微笑む兄妹が、階段を降りる。
華やかな衣装の波。香水と酒と陰謀の匂い。
カイトにとっては、ここは宴じゃない。
戦場だ。
(さあ、開幕だ)
心の奥で、静かに舌なめずりしながら、
ツバメ家の狐は夜の闇に溶けていった。
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