表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

63/78

63) 嘘が本当になった夜

……アマンダは、ほんの少しだけ目を細めた。

まるで本当に遠い記憶を呼び起こすように。


「カエレンは……笑うとき、いつも歯を見せなかった」


ランデルの指が、頬の上でぴくりと震えた。

それが、どれだけ彼を抉ったか、すぐにわかった。


「だって、牙を隠してたから」


彼女は小さく息を吐いて、夜風に溶かすように続けた。


「彼はね、誰かを傷つけるのが怖かった。自分の力が大きすぎて、愛するものまで焼き尽くしてしまうんじゃないかって。だから笑うときも、怒るときも、最後の一歩をいつも踏みとどまってた。……でも、私には見えたよ。牙の奥に、すごく優しい火が灯ってるって」


ランデルの喉が、ごくりと鳴った。


「手を握るときも……こうやって、震えてた」


アマンダはそっと、自分の手を彼の手に重ねた。

指と指が絡まる。温度が伝わる。


「『お前を壊したくない』って、毎回呟いてた。

 『俺は怪物だから、お前を傷つけるかもしれない』って。

 ……バカみたいでしょ? 世界最強の男が、ただ私の手を握るだけで怯えてた」


彼女はふっと笑った。

でもその笑みは、どこか本当に哀しそうだった。


「だから私から握り返した。

 『だったら一緒に壊れよう』って言ってやった。

 そしたら彼、初めて……本当に泣いたんだよ。

 “ありがとう”って、子供みたいに嗚咽しながら」


静寂が落ちる。

月明かりだけが、二人の影を長く伸ばしていた。


ランデルは目を伏せたまま、掠れた声で尋ねた。


「……俺は?」


アマンダは瞬きを一つだけして、静かに答えた。


「あなたは……牙を隠してない」


彼の瞳が、はっと上がる。


「震えてるくせに、ちゃんと見せてくれる。

 怖いって、弱いって、全部。

 ……それが、すごくズルい」


彼女は少しだけ顔を近づけた。

息がかかる距離で、囁くように。


「カエレンにできなかったこと、あなたはもうやってる」


ランデルの指が、ぎゅっと強くなった。

痛いくらいに。

でもアマンダは逃げなかった。


「だから……」


彼女は最後に、ほんの小さな声で言った。


「もう、比べないで。

 あなたは、あなたでいい」


風が止んだ。

まるで世界が息を呑んだみたいに。


ランデルは、震える唇をようやく動かした。


「……アマンダ」


名前を呼ぶ声が、祈りのように震えていた。


(これで、完全に逃げ道を塞がれたな……)

(でも、なぜだか……嫌じゃない)


夜はまだ深く、二人の影は一つに重なったまま、

永遠の森の精霊たちでさえ、息を潜めて見守っていた。


### 1


ランデルは、ゆっくりと息を吐いた。

熱い、震える息がアマンダの頬を撫でる。


「……俺は、違うのか?」


掠れた声。

自分でも気づかなかった弱さが、そこに丸出しになっていた。


「俺は……“取る”ことしかできないのか?

 力で、立場で、血筋で……全部押し潰して、君を俺のものにするしかないのか?」


彼の指が、ぎゅっと、痛いほど強く締まる。

でもそれは、決して彼女を傷つけるための力じゃなかった。

自分自身を縛りつけようとする、必死の呝�縛だった。


「……俺は、カエレンのようにはなれない」


初めて、素直に、惨めなほど素直に零した。


「俺は……怪物になるのが怖い。

 君を壊してしまうのが怖い。

 だから、いつも一歩引いて、言葉を選んで、仮面を被って……

 それでも、君の前じゃ全部剝がれてしまう」


彼は俯いた。


「だから教えてくれ」


顔を上げたとき、瞳は濡れていた。

涙ではない。

それよりずっと熱い、燃えるような懇願だった。


「俺に……カエレンにくれたのと同じ答えを、くれないか?

 俺が、俺のままでいいって……

 震えてるままで、弱いままで、君を欲しがってるままで……

 それでも、君に触れていいって」


アマンダの胸が、ズキンと痛んだ。

嘘が、もう限界だった。

この男は、彼女のでっち上げた亡霊にすら負けようとしている。


……もう、逃げられない。


彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。

そして、初めて、本当の声で答えた。


「……バカ」


小さく、でもはっきりと。


「カエレンは、私の嘘だよ」


ランデルの瞳が、大きく見開かれた。


「全部、適当にでっち上げた。

 本に載ってた名前と、ちょっとカッコつけた話。

 ……ごめん」


静寂が落ちる。

風すら止んだ。


ランデルは、瞬きを忘れたまま、ただ彼女を見つめていた。


次の瞬間、


「……は?」


小さく、間抜けた声が漏れた。


アマンダは、堪えきれずに吹き出した。


「ぷっ……あはははは!

 やっぱり、顔が最高!」


涙を拭いながら、腹を抱えて笑う。

ランデルは、完全に固まったまま、口をぱくぱくさせている。


「……嘘?

 ……全部?

 ……カエレンとの恋も、塔の上で待ってた話も、俺が今まで……」


「うん、全部嘘!

 ごめん、ごめん! でもさ、」


彼女は笑いを噛み殺しながら、彼の頬に触れたままの指をそっと握り返した。


「今のあなたが言ったこと……

 それだけは、嘘じゃないよね?」


ランデルの顔が、みるみる真っ赤に染まった。

怒りと恥ずかしさと、でもどこか安堵が混じって、めちゃくちゃな色になっていた。


「……最低だ、お前」


「知ってる」


「……二度と信じない」


「うん、いいよ。

 でも」


アマンダは、少しだけ真剣な顔になって、囁いた。


「今度こそ、本当の答え、聞かせてくれる?

 ……私、ちゃんと聞きたいから」


ランデルは、しばらく黙っていた。

そして、ようやく、


「……ああ」


小さく、でも確かに頷いた。


「今度は、全部本音で言う。

 ……逃げるなよ?」


「逃げない」


二人は、同時に小さく笑った。

嘘から始まった夜が、ようやく本当の夜になった。

月が雲間に隠れ、星だけが瞬いていた。



ランデルは、じっと彼女を見つめたまま、

何秒か、何十秒か、永遠みたいに長い沈黙を続けた。


そして、ふっと息を吐いた。


「……お前、本当に最低だな」


声は低くて、少し笑ってた。


「俺の先祖を泣かせて、俺を泣かせて、

 最後には『実は全部嘘でした』って言って、

 それでも俺の心を鷲掴みにして離さない」


彼は額を彼女の額に軽く押し当てた。

熱い。震えてる。でも、もう逃げてない。


「でも、いい」


小さく、でも確かに。


「俺は……もう、お前の嘘でも本当でも、全部欲しい」


アマンダの目が、ぱちりと瞬いた。


「え……?」


「カエレンにくれた答えも、

 俺にくれるって言った答えも、

 お前が今ここで零す、どんな言葉でも」


ランデルは、彼女の頬を包んでいた手をそっと滑らせて、

今度は両手で彼女の顔を優しく挟んだ。


「全部、俺のものにしてやる。

 逃がさないからな」


アマンダの頭の中で、完全にパニックが始まった。


(うわっ、やばい、やばい、やばい!!

 今めっちゃカッコいいこと言われた!!

 どうすんだこれ!! 照れ死ぬ!!)


でも口から出たのは、いつもの調子だった。


「……べ、別にいいけどさ。

 覚悟しとけよ、小僧」


ランデルは、くすっと笑った。

本当に嬉しそうに。


「覚悟? とっくにできてる」


そして、ゆっくりと、

まるで壊れ物を扱うみたいに、

額に軽く唇を寄せた。


触れるだけの、ほんの少しのキス。


「……これで、俺の物語はもう始まってる」


アマンダの顔が、爆発したみたいに真っ赤になった。


(うわああああああああああ!!!

 死んだ!! 私、今死んだ!!)


でも、逃げなかった。

逃げられなかった。


夜風が再び動き始めて、

二人の髪を優しく絡め合わせる。

遠く、永遠の森の梢がざわめいた。


まるで、長い長い孤独が、

ようやく終わりを迎えたと告げるように。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ