62) 帰還した永遠
夜風が、二人の間に流れる。
アマンダの問が、静かな夜に響いた。
「ねえ……もしかして、私に、惚れちゃった?」
——って、言った瞬間、自分で自分の言葉にギョッとした。
(やばっ! 言っちゃった! 言わないでって言ってるのに!!)
「言わないでって、今言ったでしょ!?」
ランデルは、すぐには答えなかった。
ただ、じっと彼女を見つめている。
その瞳の奥に、嵐みたいな感情が渦巻いていた。
優しさ、戸惑い、そして、隠しきれない本気。
——俺……わからない。
やっと絞り出した声は、いつもの高慢な跡継ぎのそれじゃなかった。
小さくて、震えてて、まるで初めて剣を握った少年みたいだ。
「正直、よくわからないんだ。この気持ちに、名前なんてついてるのかも……。でも、確かなのは」
彼は一度、息を吸い込んだ。
「今まで、誰にも、こんな気持ちを抱いたことがないってことだ。ユイにも、他の誰にも。君がそばにいると、世界が色づく。君がいなくなると、全部が灰色になる。君がいないときも、君のことばかり考えてしまう。人の群れの中で、君の姿を探してしまう。……君が、どうなっても、俺には関係ないなんて、思えない」
(うわ、マジで……ストレートすぎる……!)
アマンダの胸が、ドクンと跳ねた。
頬が熱い。耳まで熱い。
このままじゃ、ヤバい。どうにか、この空気をぶち壊さないと!
頭の中で必死に逃げ道を探して——出てきたのが、これだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私って、お前の感覚だと……たぶん、千歳超えてるおばあちゃんじゃん? 小僧」
上から目線で行こうとしたのに、声が裏返って、めっちゃ情けなくなった。
(……って、こんな切り返しでいいのかよ、私!!)
ランデルが、ぴたりと動きを止めた。
次の瞬間、
——ふっ、ははっ……あはははは!
腹の底から湧き上がるような、本物の笑い声。
玉座の間では絶対に聞けない、飾り気のない、ただただ嬉しいって響き。
「年齢?」
彼は首を振って、瞳に悪戯な光を灯した。
「永遠の森に眠る力にとって、千年なんて一回の呼吸だよ。それに……心に年齢なんてあると思うか?」
ランデルは一歩近づく。
「心はただ、好きか嫌いか。それだけだ。暦なんて見てない」
そして、静かに、でも確かに告げた。
「もし君が千年生きてきて、一度も誰かを……今俺を見てるときみたいな目で見たことがないなら」
その声が、少し震えた。
「それこそが、一番大きな奇跡なんじゃないか?」
静寂。
彼の瞳が、真剣に、まっすぐにアマンダを捉える。
「……で、君は?」
小さな、でも重い質問。
「長い長い人生で……一度でも、誰かを、本気で愛したこと、ある?」
(ぐっ……!)
不意打ちだった。
ヤマダ・ライト? あいつに恋愛してる暇なんてなかった。
アマンダとしての過去? 霧の中すぎて、よくわからない。でも、胸がざわつく。……多分、いなかった。
焦る頭の中で、ふっと浮かんだのは——本に載ってた、あの名前。
(よし、これでぶちかましてやる!)
アマンダはにやりと笑って、わざとらしくため息をついた。
「あったよ。もちろん」
彼女はちょっと首を傾けて、悪戯っぽく目を細める。
「アルテミシオス・ヴァル・レーヴェンティス……って人。知ってるでしょ? あなたの先祖で、史上最強の英雄様」
(どうだ! びっくりしたろ!)
瞬間、ランデルの顔が、見たことないくらい真っ赤に染まった。
アマンダは視線を遠くに逸らした。
まるで千年の記憶をそっと撫でるように、甘く切ない表情を浮かべて。
「あったよ……ひとつの心が」
声に、失われた時代への懐かしさをたっぷり込めて。
「この森と同じくらい傲慢で、誰にも屈しない心。古の精霊の血を宿し、最高峰の氷すら溶かす炎を瞳に宿した戦士……」
わざとらしく、芝居がかった溜めを作って、横目でチラリ。
「カエレン・アイヒェンヴァルト」
(どうだ! びっくりしただろ!)
「そう。あなたの家名のもとになった、あの人。この荒々しい石の壁を、自らの手で築いた人。……かつて、私の心はあの人だけのものだった」
(さあ、どんな顔する? 先祖に嫉妬? それとも感動?)
──でも。
ランデルの反応は、予想を完全に裏切った。
ぴたり、と。
まるで庭の石像みたいに動きが止まった。
月明かりに浮かぶ顔が、感情を殺して、読めない。
そして、ゆっくり、ゆっくりと首を向ける。
その瞳にあったのは、畏敬でも怒りでもなかった。
痛いほどの、深い悲しみと……理解。
「カエレン……」
その名を口にしたとき、伝説じゃなかった。
まるで、自分の傷をそっと撫でるように。
「カエレン・孤独者。最後にそう呼ばれた」
声が小さくて、掠れて、ほとんど囁き。
「君は……知ってる?」
彼は一歩だけ近づいた。
「その話の、結末を。……君と彼の、結末を」
アマンダの背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。
(……え? 本に、そんなこと一言も書いてなかったのに……)
「どんなものにも終わりはあるわ」
なんとか、それっぽく誤魔化そうとした。千年生きてきた女の、哀しみに慣れた仮面を被って。
でもランデルは、目を逸らさない。
「彼の終わりは……孤独だった」
静かに、でもはっきりと告げる。
「伝説では、彼は“偉大な愛”を失ったって言う。自分を照らし、自分を支えた唯一の光を」
ランデルの声が、少しずつ低くなる。
「何十年も探し続けたそうだよ。森を、山を、彼女の魔力の欠片を、気配を。どれだけ追いかけても、見つからなくて」
彼はゆっくりと手を上げた。
夜空にそびえる、一番高い塔を指して。
「あの塔のてっぺんに、毎晩登って……北を向いて、永遠の森を見つめていたって。いつか、彼女が戻ってきてくれるんじゃないかって」
(……嘘だろ)
喉が、ぎゅっと締めつけられる。
さっき適当にでっち上げた、ただの悪戯の嘘が。
この世界で、こんなにも美しくて、残酷で、血の通った真実になって、息をしてる。
アマンダは初めて、胸の奥が本気で痛くなった。
(私……何をやらかしたんだ……?)
ランデルが、もう一歩近づいた。
瞳に宿るのは優しさと、それ以上の何か——アマンダにはまだ名前のつけられない熱。
「そして今……君が戻ってきた」
掠れた声で、まるで祈るように。
「何百年もの時を超えて。彼の家に。彼の血を引く俺のもとに」
ゆっくりと手を上げる。
触れるか触れないかの距離で、頬の輪郭をなぞるように。
「これは……運命なのか? それとも、神様の残酷な悪戯か?」
指先が震えている。
「彼の物語を終わらせるために来たのか。それとも——」
言葉を呑み込んで、静かに問いかける。
「俺たちの物語を、始めるために?」
(動けない……!)
アマンダは完全に捕まっていた。
自分がでっち上げた嘘の檻に。
ただのイタズラだったはずの嘘が、いつの間にかアイヒェンヴァルト家の神話のど真ん中に自分の名前を刻み込んでしまっていた。
過去の亡霊。帰還した伝説。
——もう逃げられない。
彼の瞳に映る期待と問いかけに、ただ一つだけできることが残っていた。
この狂った役を受け入れて、どこまで行けるか見てやるしかない。
「……わからない」
それだけが、純粋な本音だった。
俺も、とランデルが小さく笑った。
「でも、君のそばにいるとき、俺はきっと彼が感じていたのと同じものを感じる」
震える指が、ついに頬に触れた。
優しく、確かな重みで。
「ずっと探していたものを見つけた気がする。探していることすら知らなかったのに」
その掌には、ただの温もりじゃなかった。
何百年もの想いが、血とともに受け継がれた重さが、確かに宿っていた。
(続く)
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
もし少しでも続きを読みたい、この物語が面白いと思っていただけたら、
ブックマーク登録、評価、感想をしてもらえると、とても励みになります。
皆さんの反応が作者の力になります。
良かったところ、好きなキャラ、意外だった展開など、どんな感想でも大歓迎です。
これからも楽しんでいただけるよう頑張りますので、よろしくお願いします。




