表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/78

61) 素顔を見られたら終わりだと思ってた

その後も、二人で庭をゆっくり歩いた。

会話は自然と弾んで、笑い声が夜の空気に溶けていく。


ランタルは珍しい秋薔薇を見せてくれたり、噴水にまつわる言い伝えを語ったり、この屋敷で過ごした幼い日のバカ話を次々繰り出したり。

私はただ聞いてるだけで、胸の奥がじんわり温かくなっていく。


……守護者じゃなくて、ただの「私」でいられる。

そんな時間が、ようやく勇気をくれた。


蔦の絡まる石のベンチの前で足を止める。

暗い池の水面を見つめながら、ずっと喉の奥で燃えてた質問を、そっと吐き出した。


「ねぇ、ランタル……どうして?」

「ユイ様に対して、あんなに冷たかったの?

 まるで、別れたくて仕方ないみたいに」


「でも私には……」

視線を落とす。耳が熱い。

「どうして、こんなに優しいの?

 それって……やっぱり、偽り?」


ランタルが、ぴたりと動きを止めた。

さっきまでの笑みが消えて、瞳の奥に古い、古い疲れが浮かぶ。


彼はベンチに腰を下ろし、静かに隣を叩いた。

座って、という合図。


「……偽りじゃない」

低い声で、ゆっくりと始める。

「ただ、長い話だ。

 あんまり気持ちのいい話じゃない」


夜空を見上げて、一度深く息を吐く。


「ユイとは、物心ついた頃からの付き合いだ。

 最初から『将来は一緒になる』って育てられてた」


「でも、俺は最初から……本性を見てた」


苦い笑みが浮かぶ。


「覚えてるよ。七つか八つの冬のこと」

「母が、ユイ家に代々仕えてる老女中——マルタばあちゃんに、暖かいブーツを贈ったんだ。

 マルタさんは貧しくて、家族は飢えてた」


«それを見たユイが、どうしたと思う?」


指先でベンチの石を軽く叩きながら、遠くを見る目。


「ブーツを見て、激怒した。

 『私の許可なく、私の召使いに物をやるなんて』って」

「そのままブーツを掴んで、暖炉に放り込んだ」

「『私が決めたものでないなら、いっそ何も履かせない』って」


静かに、静かに語る声。

夜風が、冷たく頬を撫でた。

まるで、あの冬の炎が今も背中を焼いてるみたいに。


私は、ただ呆然と彼を見つめた。


「……あれは、最初の一歩だった」


ランタルの声が、氷みたいに冷たく硬くなる。


「十歳のとき、ユイは台所にいた猫を押し入れに閉じ込めた。

 自分の大事なオウムを驚かせたからって」

「三日後に見つかったとき、猫はもう半分死んでた」


「十二歳のとき、新しい侍女が気に入らない髪型にしたってだけで、夜中に寝てる間に髪を切り落とした。

 ただのハサミで、ばさばさって」


「十五歳のとき……」

拳が、ぎりっと鳴る。

「俺にワインを注ぐとき、ちょっと長く目が合ったってだけで、侍女を殴った。

 鼻を折られた」


「両親も、リンネ公爵も、『若い女の子の嫉妬』って笑って済ませた。

 父親は金で黙らせれば済むって思ってたから、娘を躾ける気なんてなかった」


一つひとつの話が、胸の奥に氷の刃みたいに突き刺さる。

憎しみが、どす黒く湧き上がる。


(あんな女が……この人のそばにいたなんて……!)


「年を取っても、変わらなかった」

首を振る。

「ただ、仮面を上手に被るようになっただけ」


「人前では可愛らしくて、笑顔で、誰もが惚れるお嬢様。

 でも瞳の奥はいつも空っぽだった」


「共感なんて、欠片もなかった」

「世界は自分の楽しみのために存在してて、人は道具。

 俺は……一番価値の高いおもちゃだった」


「アイヒェンヴァルト家の跡取り。

 称号。地位。綺麗な飾り。

 それが欲しかっただけ」


「俺のことなんて、好きじゃなかった。

 本当の俺なんて、知ろうともしなかった」


「彼女が欲しかったのは、『アイヒェンヴァルトの婚約者』って肩書きだけ」


静かに、静かに語る声。

月明かりの下で、彼の横顔が痛いほど儚く見えた。


(……こんなに傷ついてたんだ)


胸が、締めつけられる。

怒りと、哀しみと、それ以上に——

この人を、もっと守りたいって気持ちでいっぱいになった。


彼が、ふっと私の方を向いた。

瞳が、まっすぐに突き刺さる。


「今夜の食卓で見たのは、俺が冷たかったんじゃない」

「ようやく、仮面を外しただけだ」


「何年も、家族への義務って名目で、自分に仮面をかけてた」

「でもユイが触れるたび、肌が拒否した。

 あれは全部偽物だった。触れ方まで、嘘くさかった」


「言葉も……甘い毒だった」


彼の手が、私の手を包み込む。

今度は、さっきとは比べ物にならないくらい熱い。

生きてるって感じがする。震えるくらいに。


「でも、君とは違う」


声が、囁きに落ちる。


「森であの時、死の直前に立ってても怯まない君を見た瞬間……何かが、弾けた」

「君は本物だ」


「仕草の一つも、視線の一つも、怖がってるときも泣いてるときも、全部が真っ直ぐで」

「ユイには一生かかっても手に入らないものだ」


「君は役を演じてなんかいない。

 ただ、生きてる」


「だから俺は……」


言葉を飲み込んで、息を吸う。

壊れそうな瞬間を、そっと抱きしめるみたいに。


「君のそばで、初めて自分が生きてるって思える。

 何年ぶりだろうな」


胸が、ドクドクって暴れる。


(見られてる……全部、私そのものが)


嘘も芝居も、仮面も全部剥がれた、みっともない本当の私を。

それでも彼は、私を選んだ。

完璧な人形なんかじゃなくて、ボロボロで怯えてるこの私を。


「ユイは、君とは違う」


彼はぎゅっと指を絡めた。


「君の中にある力、優しさ、光の百分の一だって、あいつにはない」

「だから別れるのは悲劇じゃない」

「解放だ」


夜風が通り抜ける。

月明かりが、二人の影をそっと重ねた。


(……ああ、もうダメだ)


心の奥で、何かが決定的に崩れて、熱いものが溢れ出す。


この人を、離したくない。

もう、絶対に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ