表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/78

60) 仮面が外れた夜、私の素顔を見た彼は――


ランタルが、もう一歩踏み出す。

元々ほとんどなかった距離が、もう完全にアウトなレベルまで縮まった。

月明かりが、私の顔を真正面から照らし出す。

影ひとつ、隠れる場所なんて残ってない。


「……初めて、お顔を見ました」


囁くような声。

低くて、震えてて、なんだか神聖なものを見たみたいな、畏れ多い感じがする。


「それは……あなたは……本当に、美しい」


言葉が夜空に溶けていく。

私は、ただ彼を見つめるだけ。

頭、真っ白。


……顔?

私の顔、見られてる!?


「ひぃぃぃぃぃっ!!」


叫びじゃない。悲鳴。喉が潰れるかと思うくらいの、押し殺した絶叫。

ビクッと後ずさる。

両手が勝手に顔に伸びる——そこにはいつも仮面があるはずなのに!

指先が触れたのは、涙でびしょびしょの素肌だけ。


(仮面……どこ!? 私、つけてなかったの!?)


「仮面……どこどこどこ……! 落とした!? 私、忘れてた!?」


声が震える。裏返る。獣みたいに怯えた声。

くるくるその場で回る。目が血走って、暗い路地の隅まで必死に探す——草むらに落ちてないか、どこかに転がってないか、まだ間に合うかも——


「奥様……落ち着いてください、お願いします」


ランタルは無理に掴んだりしない。

でも、震える私の手を、優しく、でもしっかりと包み込むように握った。

温かい。

力強い。


「どうか……僕を見てください」



「だめ! 見ちゃだめだってば……!」


必死に手を振りほどこうとする。

でも彼の指は、優しいのに絶対に離れない。


「これは……ルール違反……違反なんだから……!」


「誰のルールですか?」


静かな、でも揺るぎない声。

まるで嵐の中で唯一動かない錨みたい。


「あなた自身の? 森の? それとも……自分で作ったルールですか?」


息が詰まる。

言葉が、喉の奥で凍りついた。

私は顔を背けたまま、肩で荒い息を吐く。


「おねがいです」


またその言葉。

今度は、祈るような響きで。


「僕を見てください」


……嫌だ。

見せられない。

こんな顔、絶対に見せられない。


でも、ゆっくりと、まるで重しが外れていくみたいに——

視線が上がる。

涙で腫れた目。

生まれつき赤い、呪われた瞳。

恐怖でいっぱいの、惨めな顔。


「……どんな誓いを立てていようと、どんな秘密を抱えていようと」


彼は私の手を離さない。親指が、そっと甲を撫でる。


「知らなくていい。知る必要なんてない」


「でも、今ここにいるのは……脅威なんかじゃない。危険なんかじゃない」

「悪夢を見たばかりの、泣いてる女の人だ」

「怖がってる……ただの女の人」


一言一言が、胸の奥に突き刺さる。

築き上げてきた壁が、音を立てて崩れていく。


「それにね」


彼が、もう少しだけ近づく。

灰色の瞳が、月明かりに銀色に輝いた。


「そんなあなたを見られること……恥ずかしいことなんかじゃない」

「むしろ、光栄だ」

「だってそれは——」


声が、少し震えた。


「僕に、心を許してくれたってことだから。

 わざとじゃなくても」


指先が、ぎゅっと私の手を握り返す。

温かさが、じんわりと伝わってくる。


(……嘘だろ)

(こんなの……反則すぎるだろ……!)


胸の奥が、熱い。

痛いくらいに、熱い。

涙が、また零れそうになる——

今度は、別の理由で。



「私……弱いところ、見せちゃいけないんです」


声が掠れる。震える。


「私は守護者だから。強くなくちゃいけない」


「強さって、怖がらないことじゃない」


彼の声が、静かに、でも確かに響く。


「怖くても前に進むこと。痛くても泣けること。それが本当の強さです」

「あなたは……僕が出会った中で、一番強い女性だ」

「痛みを感じられるからこそ、弱くなんかない。

 生きてるってことなんだ」


彼はそっと、私の片手を離した。

ゆっくりと。

逃げられる時間をたっぷり与えながら。

指先が、私の頬の前で止まる。

あと一センチ。触れそうで触れない。


「見せてください」


また頼む。

命令じゃない。ただの願い。


「象徴じゃなくて。伝説じゃなくて。

 あなた自身を」

「森で僕を助けてくれた、あなたを。

 びっくりして飛びのいた、小さな子猫みたいなあなたを。

 今ここに立ってる、涙でぐちゃぐちゃなのに、秋の葉に降り注ぐ月光みたいに美しいあなたを」


……誰も。

こんな言い方、誰もしてくれなかった。

前世でも、今世でも。

仮面も、鎧も、嘘も全部見透かされて、それでも背を向けなかった。


「私……怖い」


掠れた声で、やっと言えた。


「知ってる」


彼は小さく笑った。優しくて、温かくて。


「それでいい。

 でも、もう一人じゃない」

「この屋敷にいる限り、あなたは一人じゃない。

 覚えてて」


そして、やっと。

指先が頬に触れた。

ほんの軽く。

乾いた涙の跡を、そっと撫でるように。

ぞくっと、肌が震える。


「あなたの顔は」


囁く声。


「どんな仮面よりも、ずっと綺麗だ」

「だから……もう、隠さないで。

 せめて、僕の前では」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ