57) 「デザートと赦し」
緊張が、爆発の後の煙みたいにゆっくりと溶けていく。
アマンダはまだその中心に立っていた。
片側にはランデル。
今はもう優しく、でも絶対に離さないって決めたみたいに、指を絡めてくる。
もう片側にはロクサーナ。
顔はまた完璧な仮面に戻ったけど、瞳の奥に残る動揺が隠しきれていない。
そんなときだった。
視界の端で、何かが動いた。
壁際のサービステーブル。
そこに置かれた巨大な銀のトレイ。
蜂蜜とハーブで焼かれた丸鶏が山盛りになったやつが──
ぴくり、と震えた。
そして、テーブルの表面から一センチだけ、ふわりと浮いた。
まるで透明な執事が運んでいるかのように、ゆっくりと、威厳たっぷりに宙を滑り始める。
メインのテーブルから離れて、重いカーテンの向こうへと消えていった。
アマンダの胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
(……あー、もう。
あのジジイ、またやってる……!)
トールギムが、どさくさに紛れて食い物を盗んでる。
この、めちゃくちゃな状況の真ん中で繰り広げられる超日常的犯行。
あまりにもバカバカしくて、笑いが込み上げてきた。
マスクの下で口元が勝手に緩む。
(くすっ……はは……)
この一瞬の、馬鹿みたいな緩和が、転機になった。
パニックが、潮が引くみたいにすうっと消えていく。
代わりに湧いてきたのは、妙に醒めた、運命を受け入れたような覚悟。
(……まあ、いいか。
ここまで来ちゃったんだし。
こいつら、こんなに必死に私を離さないんだし)
だったら、もう。
覚悟、決めちゃおうか。
心の奥で、アマンダは小さく笑った。
(逃げない。
逃げられないなら、こっちから食ってやる)
カーテンの向こうで、きっとトールギムが鶏をかじりながらニヤニヤしてる。
その姿を想像しただけで、なんだか無敵な気分になってきた。
さあ、どうなることやら。
でも、もう怖くない。
このドタバタ劇、私が主役でいいよね?
そう思った瞬間、
アマンダの瞳が、静かに、でも確実に燃え始めた。
ランデルは、アマンダの手の力がふっと緩んだのを感じ取った。
まるで長い冬の後に、氷が一瞬だけ息を吐くような、ほんの小さな隙間。
それでも彼には十分だった。
そっと、彼女に顔を寄せる。
息がかかるほどの距離で、
「おねがいだ。」
たった一言。
けれどその声は、震えていた。
謝罪も、懇願も、これ以上あなたを傷つけたくないという誓いも、
全部、喉の奥で絡まりながら、ぎゅっと詰め込まれていた。
ロクサーナは、アマンダの肩の線がわずかに落ちるのを見逃さなかった。
すぐに、まるで何事もなかったかのように笑顔を貼り付ける。
さっきまでの氷のような皮肉は、どこかに霧散していた。
「公爵領の本当の歓待、まだ一割もお見せできてないんですよ、守護者様。」
彼女は軽く首を傾け、金色の髪がさらりと揺れる。
「この……ほんのちょっとした、つまらない不手際、
許していただけませんか?
ね、デザートだけでも。
うちのシェフパティシエ、本当に魔法使いなんですから。」
アマンダはゆっくりと首を動かした。
マスクの奥の赤い瞳が、ランデルの顔からロクサーナの顔へ、
まるで値踏みするように滑る。
そして、わざと。
大げさに。
息を吸う音まで聞こえそうな、劇的な間を置いた。
今、この瞬間。
公爵領で最も権力を持つ若き貴族ふたりが、
息を殺して、
彼女一人の、次の言葉を待っている。
その圧倒的な優越を、
アマンダは骨の髄まで味わっていた。
「デザート、ね?」
低く、思案するような声。
まるで猫がじゃれるように舌なめずりするような響き。
「ふーん……まあ、
もう一回くらい、チャンスあげても、いいかな。」
それは降伏なんかじゃない。
彼女が気まぐれに投げてやった「恩赦」だった。
そしてふたりは、
まるでそれが世界で一番貴重な赦免状であるかのように、
恐る恐る、ありがたく、胸に抱きしめた。
ランデルはアマンダをテーブルに連れ戻すとき、
まるで彼女が硝子細工のように壊れやすいものを扱うように、
そっと、でも確実に手を添えた。
席に着くと、すぐに彼女の隣に陣取り、
肩が肩に、ずっと触れている距離を保つ。
(この人、私がまたふっと消えちゃうと思ってる……)
その必死さが、なんだか急に愛おしくて、
アマンダの胸の奥で、くすっと小さな笑いがこぼれた。
一方、ロクサーナはもう完全にスイッチを切り替えていた。
さっきの殺気など夢だったかのように、
目を輝かせてスイーツの話を始める。
「このクリーム、地元の夜咲きハーブを一晩煮詰めたシロップで香りづけしてるんです。
もう、香りがやばいんですよ!
一口食べたら、頭の芯までとろけちゃって、心までふわっと浮遊しちゃう感じ!」
その軽やかな声が、
凍りついていた空気を、ふわり、ふわりと溶かしていく。
(ほんと、こいつ……切り替えはえげつないな)
アマンダは内心で舌を巻いた。
でも、
なんだか。
必死に場をつなごうとするふたりの姿が、
少しずつ、
少しずつ、
愛おしくなってくる。
(ま、いいか。
とりあえず、デザート、食べてみるか)
マスクの下で、
アマンダの唇が、
誰にも見えない、
ほんの小さな、
でも確かに柔らかな弧を描いた。
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