55) 仮面の少女と嵐(かめんのしょうじょとあらし)
アマンダの外見は、まるで氷の彫刻だった。
完璧に整った顔立ち。微動だにしない表情。
誰も近づけない、冷たい美しさ。
でも、頭の中は──
(は? は?? はぁぁぁぁ!? — アマンダの思考は無限ループで暴れ回っていた。)
たった三文字が、何度も何度も脳裏をよぎる。
どうしてこうなったんだよ!?
何が起きてんのこれ!?
マジで冗談だろ!?
◇◇◇
視線をそっと横にやる。
そこにいるのは、ランデル。
大理石みたいに整った顔。感情の欠片すら見えない瞳。
たった今、たった一言で婚約をぶっ壊した男だ。
ぞくり、と背筋を冷たいものが這う。
(……この人、ずっとこんな感じなの? — アマンダは心の中で疑問を呟いた。)
原作じゃ、物語が始まる前に死んでるキャラだ。
知っている情報なんて、ロクサーナの話だけ。
もしロクサーナが原作と違って性格最悪になっているなら……
こいつも、原作の「優しい婚約者」じゃなく、別の化け物なんじゃ……!?
◇◇◇
お腹空いただけなのに。
なんで婚約破棄!?
私のせい!? 私のせいなの!?
来なきゃよかった!?
今すぐ逃げた方がいい!?
まだ間に合う!?
逃げろ逃げろ逃げろ──!!
◇◇◇
──でも。
どこに逃げるんだ。
ここはもう、蜘蛛の巣のど真ん中だ。
逃げ場なんて、どこにもない。
(……逃げられないなら — アマンダは覚悟を決めた。)
進むしかない。
もっと派手に、もっと図々しく、もっとぶっ飛ばして。
◇◇◇
アマンダは、ゆっくりと息を吐いた。
氷の仮面が、音を立ててひび割れた。
──やってやる。
私は、にっこり笑った。
きっと、今までで一番ヤバい笑顔だったと思う。
アマンダがゆっくりと立ち上がる。
その動きは、まるで水面に落ちた一滴の雫が広がっていくように、静かで、でも抗えない。
ランデルでさえ言葉を呑み込んだ。
視線が釘付けになる。
会場全体が、息を殺す。
次の瞬間を、誰もが待っていた。
◇◇◇
「……もう、いい」
小さな、でも確かに響く声。
静寂を切り裂く、氷の刃みたいだった。
全員の視線が、彼女に集中する。
「私は、こんなこと望んでなんかない」
仮面の下の瞳が、ゆっくりと巡る。
泣き腫らしたユイの顔。
凍りついたランデルの横顔。
獲物を見つけた獣みたいな、ロクサーナの笑み。
◇◇◇
「私はただ、アイヘンヴァルト公爵ランデルからの招きに応じただけ。
助けを求められたから、来た。
癒しを、守りを、届けた。
でも、争いの種になるつもりなんて、最初からなかった」
一拍、間を置く。
言葉を、みんなの心に染み込ませるように。
「あなたたちの爵位、婚約、ちっぽけな野心……」
ほんの少し、唇が歪む。
まるで蟻の行列でも眺めるような、冷たい、でもどこか可笑しそうな嘲笑。
◇◇◇
「私には関係ない。
風に舞う塵みたいに、儚いもの。
何千年も見てきた歴史の、ほんの一瞬の泡。
欲しいとも、必要とも、思わない」
仮面の奥で、瞳が妖しく光った。
まるで、遠い星を見据えるように。
「私は……ただ、私の道を歩くだけ」
アマンダはまだ手を上げたまま、内心でガッツポーズしていた。
(うわぁぁぁ……マジで決まった……!
レオ、天才すぎるだろ! — アマンダの思考が弾ける)
森で百回以上練習した甲斐があった。
ミスリル混じりの蜘蛛の糸、見えないし切れないし、
しかもレオの指がピクピク動かすだけで、ここまで神々しく見えるとかチートすぎる。
◇◇◇
数秒、会場を凍らせてから、ゆっくりと手を下ろす。
水晶のカップも、まるで名残惜しそうにくるりと一回転して、静かにテーブルへ戻る。
ぴたり、と音も立てずに。
そして、彼女は静かに告げた。
「Non dimenticate con chi avete a che fare.」
古のモンダール貴族語。
昔読んだ歴史ロマンで覚えた、最高にイキった一言。
(日本語に直すと……「私が誰だか、忘れるなよ」って感じ — アマンダは内心でニヤリ)
それだけ言って、振り返らない。
黄金のマントが翻る。
鎧が燭台の火を浴びて、まるで生きているみたいに煌めく。
◇◇◇
背後で……シーン。
耳がキーンと鳴るほどの静寂。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおおお!!?」
「な、なんだ今の技!? 神域じゃねえか!?」
「巫女様……まじで神の代弁者だろ……!」
「ちょっと待て、俺もう一生頭下げっぱなしでいいわ……!」
爆発的な歓声と悲鳴が、ごっちゃになって響く。
でもアマンダは、もう聞こえていなかった。
廊下に出て、扉が閉まる音が背後で響いた瞬間。
(……はぁ~~~~~~~~~~~ — 肩の力が抜け、膝がガクッとなる)
(やばい、マジで心臓止まるかと思った……!)
勝った。
今夜は完全に、私の勝ち。
◇◇◇
でも、同時に。
(……婚約ぶっ壊しちゃったし、
王国最大の家の勢力図ひっくり返しちゃったし…… — アマンダは頭を抱える)
しかも全部、超絶嘘の上で成り立ってる。
火薬庫の上で踊ってる気分って、こういうことか。
(どうしよう……これ、どうやって後始末すんの……?)
黄金の仮面の下で、彼女は小さくため息をついた。
まだ誰も知らない。
この「神託の巫女」が、実はただの腹ペコでビビりな転生者だってこと。
◇◇◇
……今夜は、もう限界だ。
とりあえず、部屋に戻って布団に突っ伏して叫びたい。
叫んで、泣いて、それから明日のことを考えよう。
アマンダは、誰にも見られていない廊下で、こっそり駆け出した。
黄金の鎧がカチャカチャ鳴りながら、夜の闇に溶けていく。




