53) 悪役令嬢との小競り合い
……でも、一つだけ、どうしても頭から離れない。
(頭、くらくらさせるって? この毒舌女……! — アマンダは内心で毒づいた。)
ランデルの熱い視線から、なんとか意識を引き剥がす。
ロクサーナの優雅で刺すような一撃が、まだ宙に漂っている。
みんな、次の手を待っている。守護者はどう切り返すのかって。
(……私、何ができるんだよ)
胸の奥で、ため息が漏れる。
アニメとか漫画なら、死後に悪役令嬢に転生した女の子って、いきなり頭が天才になってるじゃん!
どんな毒舌も華麗に跳ね返して、知的なバトルでニヤニヤ笑うハイエナどもを一網打尽にできるんだよ!
――想像してみる。
立ち上がって、瞳をキラーンと光らせて、超絶長台詞でロクサーナを真っ青にさせて、
貴族たちが「すげえええ!」って拍手喝采する自分。
……でも、現実は。
(私、山田ライトだよ。ただの法学部生だよ。
条文なら暗唱できるけど、貴族の皮肉バトルなんて無理ゲーすぎる……!)
(突然「宮廷弁論スキルLv.MAX」とか降ってこないし、プロットアーマーもゼロだし)
(今ここで口開いたら、絶対噛む。もごもごして、顔真っ赤にして、みんなに「こいつ偽物じゃね?」ってバレる)
(だって、みんな今はマスクと鎧しか見てないんだ。伝説だけ信じてるんだ)
……昔、模擬裁判の練習で叩き込まれた鉄則が、頭に蘇る。
【自分の主張に自信がなければ、黙れ。
相手が喋れば喋るほど、自分で墓穴を掘る】
――よし。
アマンダは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、何も言わない。
ただ、静かにグラスを置く。
カチャリ、と小さな音が響くだけ。
視線は伏せたまま。
唇は固く結んだまま。
沈黙。
それが、今の最強のカウンターだった。
大広間が、ざわめき始める。
(……え? 何も言わないの?)
(守護者様が……黙ってる?)
ロクサーナの瞳が、わずかに揺れた。
完璧な微笑みの端が、ほんの少しだけ、引き攣る。
――沈黙は、時に言葉より重い。
アマンダは、心の中で小さく笑った。
(さあ、どうする? 次はお前の番だよ、完璧お嬢様)
アマンダはゆっくりと、ロクサナの方へ顔を向けた。
マスクの切れ目から覗く赤い瞳は――怒りも苛立ちも見せず、ただ静かで、深く、どこか遠い湖の底のようだった。
笑わない。
眉をひそめもしない。
ただ――見ている。
まるでロクサナの言葉が、棘のある言葉ではなく、ただの――音のように響いているかのように。
沈黙のまま、空気は張り詰める。
その時間は長く、誰もが息を潜めた。
そして――その瞳がゆっくり、冷静にロクサナからランデルへ、また自分の皿へと滑った。
アマンダは優雅に、一番小さなフォーク――幸運にもオイスター用のもの――を手に取り、パンの小さなかけらを切り取り、そっと唇へ運ぶ。
その沈黙は、衝撃的だった。
羞恥や弱さの沈黙ではない。
圧倒的な優越の沈黙だ。
神のような存在が、人間の言葉に応じる必要などない――その存在自体が答えなのだから。
ロクサナは、機知に富んだ返答か、せめて慌てた小さな声を期待していた。
しかし、その読みは外れた。
沈黙は突破不可能な盾だった。
ランデルは、この小さな対決を見つめながら、思わず口元に微かな笑みを浮かべた。
理解したのだ。
アマンダは――ロクサナのゲームに乗っていない。
むしろ、ルールそのものを変えてしまったのだ。
――姉は、まあ……議論好きなところがあってね、と、彼は静かにアマンダに告げる。
その声には、味方であることが滲んでいた。
――でも、美しいものは、余計な言葉を必要としない――よ、ね。
アマンダは再び、ゆっくりと彼の方へ顔を向け――そして……うなずいた。
たった一度。
短く、明確に。
それはロクサナへの返答ではなく――彼への返答だった。
言葉を認める、唯一の合図。
そして、このシンプルなジェスチャーは、彼女の完全な沈黙の中で――どんな言葉より雄弁だった。
再びパンに手を伸ばし、味わうふりをする。
――でも、心の中は大騒ぎだ。
(やった! 成功だ! 沈黙こそ金!自分たちで勝手に考えてる!
私の沈黙に、途方もない知恵を感じてるんだ! 学生のパニックじゃなくて!)
そっとロクサナをチラリと見る。
彼女はもう平静を取り戻し、顔には軽い興味の笑みが浮かんでいる。
――でも瞳の奥には、新たな、敬意の光。
(この守護者、思ったより手ごわい。
単なる力や兄の憧れの対象じゃなく――自分なりの戦略を持った、独立した存在だ)
「よし……」アマンダは安堵の息をつき、フォークを置いた。
第一ラウンド――“悪役女子”との小競り合い――クリア。
しかも、恥をかかずに済んだ。
――大事なのは――格を保つこと。
沈黙――魚のように、氷の上の魚のごとく。
神秘的に見せる――これが、この新しい世界での、私の必殺スキルみたいだ。




