48) アイヒェンヴァルトの輝く回廊
大理石の回廊が、どこまでも続く。
アイヒェンヴァルトの宮殿は、まるで星々の光を閉じ込めたように輝いていた。
色とりどりのステンドグラス。
重厚なオークの彫刻パネル。
壁に飾られた戦利品の武器。
その一つ一つが、まるで歴史の鼓動を刻んでいるかのようだ。
ランデルは少し前を歩きながら、軽やかに手を振った。
「ほら、このステンドグラス! 俺の先祖の偉業が描かれてるんだ。かっこいいだろ?」
彼の声は、玉座の間で見せた威厳ある響きとはまるで別物。
まるで少年のよう。
生き生きと、熱っぽく、まるで冒険譚を語る吟遊詩人のように。
「でさ、このハルバード!」
彼は壁に掛けられた巨大な武器を指さし、目を輝かせた。
「俺の曾祖父、カルステン・アイヒェンヴァルトのものなんだ。氷の峰の巨人を一撃で真っ二つにしたって伝説が! まあ、ちょっと盛りすぎかもな!」
(ふふ、でもこういう話、嫌いじゃないぜ)
彼の心の中で、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
だが――
足音だけが響く。
アマンダの黄金の鎧が、カツン、カツンと床を叩く音。
それ以外、彼女からは何の反応もない。
質問も。
驚きの声も。
まるで、森の奥深くの静寂そのものだ。
(……おいおい、マジかよ? 俺の話、聞いてんのか?)
ランデルは内心でちょっとだけ焦った。
高いアーチ窓の前に立ち、庭園を見下ろす。
そこには、月光に照らされた花々が静かに揺れている。
彼は振り返り、アマンダを見つめた。
その瞳には、いたずらっぽい光がチラリと宿る。
「ねえ、アマンダ様?」
彼はわざと大げさに眉を下げ、拗ねたような声を出した。
「俺、めっちゃ頑張ってガイドしてるのに、つまんねえって顔してるじゃん? ヴェックの永遠の森並みに無言って、どういうことよ!」
(ふっ、このくらい挑発すれば、さすがに何か反応するよな?)
彼の唇の端が、ニヤリと上がる。
ヘルメットの下から、かすかなため息。
アマンダの声が、ほんの少し硬く、だがどこか照れくさそうに響いた。
「……そんなこと、ないよ、公爵様。」
彼女の言葉は、まるで古びた機械の歯車が軋むようにぎこちない。
でも、そこには嘘のない真剣さが滲んでいた。
「ただ……私、静かなのが、慣れてるだけ。たぶん。」
(うわ、めっちゃ不器用! でも、なんか……可愛いな、これ!)
ランデルの心が、ドキッと跳ねる。
(いやいや、待て待て! 俺、なにドキドキしてんだよ! 落ち着け、ランデル!)
彼は内心で自分を叱りつけながら、ニヤニヤを隠すように咳払いした。
「ふーん、なるほどねえ。静寂の騎士ってわけか。」
彼は軽く肩をすくめ、わざと大げさにため息をついた。
「でもさ、せっかくこんなスゲー宮殿案内してるんだから、ちょっとくらい『おお!』とか『マジすか!』とかさ、反応してよ。な? 俺、寂しくなっちゃうじゃん!」
(よし、もっとこの堅物ちゃんを揺さぶってやるぜ!)
アマンダのヘルメットが、わずかに傾く。
まるで、困惑した子犬のようだ。
「……お、おお?」
彼女が、恐る恐る声を絞り出す。
そのぎこちなさが、逆にランデルの笑いを誘った。
「ハハッ! なにそれ、めっちゃ棒読みじゃん!」
彼は腹を抱えて笑いながら、窓枠に寄りかかった。
(やばい、この子、ほんと面白いな! もっとからかいたい!)
一方、アマンダの心は、静かに、だが激しく揺れていた。
(……どうすればいいの? 私、こんな風に人と話すの、慣れてないのに……)
彼女の胸の奥で、何かがチリチリと焦げるような感覚。
(でも、彼の声、笑顔……なんだか、温かい。まるで、初めて見た陽だまりみたい)
彼女の指が、鎧の端をぎゅっと握りしめる。
(私……もっと、彼の話を聞きたい。たぶん。)
ランドールは彼女を見つめた。
この謎めいた、圧倒的な存在感を放つ少女は、今、まるで気まずいティーンエイジャーのように縮こまっていた。
言葉を発せず、そっと、だが確信に満ちた動きで、彼は彼女の手を取った。
金色のグローブはひんやりと冷たかった。
「また触っちゃって、怒ってないよね?」
彼の声は低く、柔らかだった。
親指が、まるで無意識のように、彼女の手の甲をそっと撫でる。
アマンダは、内心で悲鳴を上げた。
(やばい、顔が熱い! 何!? 何これ!?)
頬が、まるで火がついたように熱くなる。
彼女は慌てて首を振った。言葉なんて、出てこない。
ランドールが微笑む。
その笑顔は、温かくて、どこか全てを見透かすようだった。
「なら、良かった。ほら、人間って、信頼するのって難しいよね。過去に何かあったんじゃない? 心を閉ざしたくなるようなこと。」
彼の手が、彼女の手を少し強く握る。
支えるような、優しい力。
「でも、俺は、いつも、俺たちの国と一緒に、君の味方だから。
君は、一人じゃないよ。」
**ドクン。 ドクン!**
アマンダの心臓が、まるで胸を突き破るように激しく鳴り響く。
(うそ、なに!? この鼓動、廊下中に響いてるんじゃない!?)
ヘルメットの下で、顔が燃えるように熱い。
(落ち着け! 何!? この感情!? やばい、頭整理しろ!)
彼女の内なる声が叫ぶ。
**(ダメだ! 冷静になれ! お前は女じゃない! 死ぬ前、この体に転生する前、お前はヤマダ・ライトって男だったんだから!)**
パニックを必死で抑え込みながら、彼女はランドールに手を引かれ、歩みを進めた。
(くそっ、なんでこんなことに……! 心、落ち着け!)
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
それでも、彼女の足は、彼に導かれるまま、前に進む。
やっと二人でたどり着いたのは、貝殻の象嵌が輝く、巨大な彫刻の扉だった。ランドールが誇らしげに扉を押し開ける。
「どうだ、気に入ったか?」
彼はそう言って、彼女を先に通した。
部屋は、まるで王宮の絵本から飛び出したような豪華さだった。
天井には色鮮やかなフレスコ画。
天蓋付きの巨大なベッド。
暖炉では、薪がパチパチと楽しげに燃えている。
そして、バルコニーに続く扉の向こうには、永遠の森の深淵な緑が広がっていた。
アマンダは部屋に足を踏み入れ、きらびやかな調度品に目を滑らせた。
(うわっ、めっちゃ豪華……! こんなとこ、俺の前世じゃ漫画でしか見たことねえよ!)
と、その時――
ハッ!
彼女の頭に、電撃のようなひらめきが走る。
くるっと振り向き、勢いよくランドールの手をつかんだ。
「っ! やべ、忘れてた!」
ランドールは、突然の行動に目を丸くする。眉がピクリと上がった。
アマンダは空いた手をギュッと握りしめ――
シュン!
軽い光のきらめきとともに、彼女の手の中に、ほのかに薬草の香りを放つ小さな麻袋が現れた。
「これ!」
彼女は慌ててそれをランドールに押し付ける。声が、焦りと照れで震えた。
その傷、まだ塗り続けて! これ……体に残った毒、めっちゃ吸い出してくれるから!」
ランドールは、まるで聖遺物でも扱うように、両手でその袋を受け取った。
袋を見つめ、ゆっくりと視線を上げ――
彼女のヘルメットに向かって、温かくて、どこまでも純粋な笑顔を浮かべる。
その笑顔が、あまりにもまっすぐで。
(うわっ! なに!? この破壊力!?)
アマンダの足元が、グラリと揺れる。
と、その瞬間――
彼女の視線が、自分の手に落ちた。
(あ……!?)
まだ、ランドールの手首をガッチリつかんだままだった。
(やばい! 何!? 俺、こんな大胆なことしてた!? しかも、こいつの視線! 顔、熱っ!)
羞恥と動揺が、まるで爆弾のように炸裂する。
ビュン!
アマンダは、まるで忍者のようなスピードと優雅さで後ろに飛び退いた。
ドン!
肩が扉の枠にガツンとぶつかる。
「す、すみませんでしたっ!」
「み、みみ、誤解しないでくださいね! 別に、惚れさせようとか、そんなんじゃないです! だって、ランドールさん、婚約者いるじゃないですか! 俺、ただ、薬草のこと考えただけで――!」
ランドールは彼女を見つめた。この恐ろしくも威厳ある守護者が、まるでビックリした子猫のようにはね飛び、「惚れさせる」だのとブツブツ呟いている。
最初、彼の肩が小さく震えた。
次に、胸の奥からくすくすと笑いが漏れる。
そして――
「ハハハハッ!」
抑えきれず、雷のような大笑いが響き渡った。
彼は、まるで生まれて初めて笑うかのように、健常な手で脇を押さえ、腹を抱えて笑った。
「はっ、ははっ! す、すみませんでした、姫様……!」
ランドールは、目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「いや、だって、君……ほんと、予測不能すぎるよ!」
アマンダは、壁にピッタリ張り付いたまま、ヘルメットの下で顔が地獄の業火のごとく燃え上がるのを感じていた。
(うわああ! 恥ずかしすぎる! 何!? この状況!?)
内心は、羞恥と動揺、そして妙に胸を締め付ける温かさが渦巻く嵐。
そして、その全てをぶち抜く、彼女の「男」の意識が吠える。
(お前、ヤマダ・ライトだろ!? こんなの、ラブコメのヒロインかよ! いい加減、シャキッとしろ!)
ランドールはようやく笑いを収め、唇の端にまだ微笑みを残していた。
その声が、ふと静かになる。
「ユイ嬢のことは、気にしないでくれ。」
さっきの謁見の間で響いた、鋼のような強い口調が戻ってくる。
「それと……薬草、ありがとう。気にかけてくれて。」
彼は一歩下がり、出口へ向かう。
「ゆっくり休んで。何か用なら、扉の外で待機してる使用人に言ってくれ。」
そう言い残し、ランドールはそっと扉を閉めた。
豪華な部屋に、アマンダは一人取り残された。
ゆっくり、まるでスローモーションのように、彼女は両手をヘルメットに這わせる。
冷たい金属越しに、頬の熱がビリビリ伝わってくる。
「……え?」
静寂に包まれた部屋で、彼女の小さな声がポツリと響く。
理解不能、羞恥、そして……何だか分からない、胸の奥で芽生え始めた「何か」。
それら全てを抱えたまま、彼女は一人、立ち尽くした。




