40) 緋色の太陽の間
重い扉が閉まる。
ガチッ——その音が、皇帝カッシウスの耳に響く。
広大なホール。
大仰な装飾が、急に息苦しい。
まるで空気が彼を押し潰すようだ。
壁のモザイク画。
先祖の栄光を誇る絵柄が、今は違う。
(まるで子供の落書きだ……)
地平線に現れた「あの亡魂」に比べれば、なんてちっぽけなんだ。
カッシウスは玉座へ歩く。
ゆっくり。
足音が、静寂を切り裂く。
だが、座らない。
完璧に整った爪の指。
冷たいクリスタルの表面を、そっと撫でる。
「守護者……」
その言葉が、頭の中で反響する。
古めかしい響き。
まるで埃まみれの古書。
原始の森の、湿った土の匂い。
帝国が焼き払ってきたもの。
その残り香が、鼻をつく。
(お前は一体何者だ?)
黄金の鎧をまとった幽玄な姿。
カッシウスの心が、その影に語りかける。
「忘れ去られた時代の神が、目覚めたのか?」
一瞬、息を吞む。
「それとも……何か別の、もっとヤバい存在なのか?」
静寂。
ホールに、皇帝の吐息だけが響く。
(答えろよ……!)
だが、亡魂は沈黙したまま。
ただ、緋色の光が、カッシウスの瞳を焼き続ける。
カッシウスの頭脳が、唸りを上げる。
陰謀と計算で磨き抜かれた鋭さ。
まるで熱に浮かされた獣のようだ。
論理と荒唐無稽が、ガチン!とぶつかり合う。
火花が散る。
スパイの報告書。
あまりにも詳細だ。
生々しい、獣のような恐怖が滲む。
(作り話? 冗談だろ!)
そんなわけ、ありえない。
呪文なし。
仕草なし。
たった一振り。
熟練の暗殺者たちが、跡形もなく消し飛んだ。
空から降り注ぐ炎。
ヴィオレッタの言葉が、頭をよぎる。
「ありえない。そんな法則、存在しない。」
彼女の言う「法則」。
だが、もし——
それが、ただの小さな「条例」にすぎなかったら?
無限の宇宙に広がる、ちっぽけな地方のルールにすぎなかったら?
その考えが、胸を刺す。
屈辱だ。
だが、同時に——
まるで濃い酒のように、彼を酔わせる。
これまでの人生。
カッシウスは信じてきた。
自分が、権力のピラミッドの頂点に立つと。
王を膝まずかせ、貴族を従え、魔法さえ手中に収めてきた。
だが、今、気づいた。
(このピラミッド……)
広大な砂遊び場に、ぽつんと立つ、小さな砂遊びかもしれない。
「ランデル……」
カッシウスの唇が、歪む。
かすかな嘲笑が、漏れる。
「不運で、気高い愚か者め。」
「どうやって、そんな存在の目を引いたんだ?」
「偶然か?」
「それとも……」
(お前に、俺が見逃した何かがあるのか?)
カッシウスが振り返る。
ステンドグラスに、目をやる。
色とりどりの光。
だが、今は違う。
(権力の象徴? そんなものじゃない。)
それは、メタファーだ。
太陽を貫くドラゴン。
これまでずっと、彼は信じてきた。
自分がそのドラゴンだと。
だが——
もし、自分がただの絵にすぎなかったら?
ステンドグラスに描かれた、偽物のドラゴン。
そして、どこかに本物がいる。
生きている太陽。
その一瞥で、彼を灰に変える力を持つ存在。
恐怖。
そう、それだ。
自信の中心を、冷たく細い針が刺す。
チクッ——心臓が締め付けられる。
だが、恐怖は古い友だ。
彼を育てた燃料。
そして今、その恐怖が、変わる。
(何だ、これは……?)
飽くなき、すべてを飲み込む好奇心。
渇望。
「滅ぼす?」
カッシウスが呟く。
声がかすれる。
「いや、あまりにも単純だ。危険すぎる。」
頭の中に、映像が浮かぶ。
黄金の姿。
幽玄な鎧が、玉座の前で膝をつく。
その光景——
(なんて甘美なんだ……!)
ほとんど、卑猥なほどに心を掴む。
現実を書き換える力。
それを手に入れる。
単なる大陸の皇帝じゃない。
(宇宙そのものの皇帝だ!)
カッシウスの瞳が、燃える。
ステンドグラスの光が、彼の顔を照らす。
まるで、ドラゴンの炎のように。
(女神を従わせる?)
カッシウスの頭が、フル回転する。
風を捕まえる方法は?
金? 無理だ。
軍の脅し? 通用しない。
甘い言葉? 笑えるほど無意味だ。
彼女の価値観——
古い。
知られざるもの。
まるで、別の次元のルールだ。
カッシウスが動く。
壁の巨大な大陸地図へ。
足音が、ホールに響く。
視線が、滑る。
アイヒェンヴァルド。
彼女が「自分のもの」と呼んだ森。
「お前はあの森を守ってるのか?」
心の中で、問いかける。
黄金の姿に。
「俺たちから? 人類の『破壊』から?」
(だったら——)
胸の中で、火が点る。
「どれだけ破壊的になれるか、見せてやる。」
急ぐ必要はない。
じっくり。
徹底的に。
「お前の愛する木々を、残酷に、ゆっくり切り倒してやる。」
「お前の川を、毒で汚してやる。」
「そして——」
(お前が、その影から姿を現すか、見てやる!)
俺たちのルールで。
ゲームに引きずり込む。
(ルールを知らなくてもな!)
ステンドグラスの真紅の光。
カッシウスの顔を、照らす。
微笑が、浮かぶ。
楽しげじゃない。
邪悪でもない。
まるで、科学者だ。
危険だが、無限の可能性を秘めた——
新たな研究対象を見つけた瞬間。
「狩りの始まりだ。」
カッシウスの赤い瞳。
冷たい炎が、宿る。
ギラリ——輝く。
「だが、今回の獲物は人間じゃない。」
「伝説そのものだ。」
(さあ、伝説が現代世界の全力を相手に、生き延びられるか?)
「見せてもらおうじゃないか。」




