表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/78

35) 「氷の公爵と黄金の影」

ケイル・ワンアイド卿は、片目が抉られた傷痕を誇る戦士だ。アイヒェンヴァルド家への忠誠は、幾多の戦場で鍛え上げられた。彼の残った目は、恐怖と混乱が渦巻く光景を捉えていた。心臓が脈打つ。(ランデル…なぜだ?)


---


彼はランデルをよく知っている。肖像画の冷ややかな公爵ではない。生身の、血の通ったランデルを。十四歳の少年の姿が脳裏に焼き付いている。戦術地図を前に、まるで氷のような冷静さで、歴戦の指揮官たちの計画を一瞬で解体した。(あの鋭さ…まるで刃のようだった。)


十六歳のランデルも忘れられない。騎士のトーナメント。湖のように静かな顔で、名だたるチャンピオンを一撃で馬から叩き落とした。汗一つかかず、息さえ乱れなかった。(まるで…人間じゃなかった。)


---


ランデルは完璧だった。氷の知性と鋼の肉体。女たち? ああ、彼女たちはまるで軍勢だった。公爵の娘、熱い視線を投げる侍女、鷹のような彼を捕らえようとした冒険者たち。彼女たちは炎に飛び込む蛾のようだった。


彼は…礼儀正しかった。恐ろしく、致命的に礼儀正しい。一夜を共にした美女に、まるで公爵夫人にでもなったかのような気遣いを見せる。だが、朝が来れば平然と彼女を大陸の果てへ送り出した。(涙? ヒステリー? そんなものは彼には無意味だ。)


---


ケイルの視線が揺れる。目の前のランデルは…違う。冷酷な公爵の仮面はどこにもない。(これは…何だ?)彼の胸に、かつてない恐怖が広がる。ランデルは動かない。ただ、そこに立つ。まるで世界そのものを裁く神のように。


「ランデル…何故だ?」ケイルの声が震える。


ランデルは答えない。ただ、薄く笑う。その笑みは、ケイルの心を凍てつかせる。(こいつ…本当にランデルなのか?)


---


戦場の風が唸る。ケイルの手が剣の柄を握る。だが、指が震える。(動け…動け、ケイル!)彼は知っていた。この男を前に、迷いは死を意味する。


ランデルの瞳が光る。まるで星が燃えるように。「ケイル。」その声は静かで、どこまでも冷たい。「お前も…弱さを選ぶか?」


ケイルの心臓が止まる。(弱さ…だと?)次の瞬間、彼の剣が抜かれる。だが、ランデルの姿は、まるで霧のように揺らめいていた。


ケイルの視線は少年を捉えていた。

この若造を。

魂をむき出しにし、震える声で謎の女に「行かないでくれ」と懇願する少年を。

彼女の手を必死に握る姿。

まるで恋に落ちた従者のようだ。

統治者の計算なんて、微塵もない。


顔を赤らめ、いたずらが見つかった子供のようにつたない言い訳を口にする。

(何……だと?)

ケイルの内心が唸る。

斧の柄を握る手。

指が白くなるほど力がこもる。

(こいつは偽物か? 魔法か?)

彼女は毒を抜いただけじゃない。

少年の理性まで溶かしたのか?


ケイルは見た。

ランデルの視線。

彼女をじっと見つめるその目。

ケイルにとって、彼女は脅威でしかない。

なのに、ランデルの瞳に恐怖はない。

ただ、純粋で、曇りのない――希望だけがあった。

(公爵が何年も押し殺してきたもの……弱さと呼んだその希望が、そこにある!)


ケイルは主のそばに歩み寄る。

ランデルはまだ立っていた。

氷の鎧にひびが入る。

その隙間から、生き生きとした、傷つきやすい――そして恐ろしく脆い何かが覗く。


「閣下……」

ケイルの声は硬い。


ランデルが振り返る。

その目に、疲労と痛み。

そして、ケイルが今まで見たことのないもの。

神と語り、神が答えた人間の、呆然とした驚愕だ。


「彼女が……承諾したんだ、ケイル。」

ランデルの声は囁くよう。

「アイヒェンヴァルドに来てくれる。」


ケイルは唾を飲み込む。

(これは勝利じゃない。罠だ!)

不屈で合理的な公爵。

王国をチェスの駒のように操る男。

なのに、未知の輝きに魅了され、条件も読まずに契約を結んだ。


老戦士の胸に、冷たく重い恐怖が宿る。

魔女への恐怖じゃない。

彼女が主をどう変えるか――その恐怖だ。

奇跡を知った人間は、二度と冷静な計算には戻らない。

公爵領の統治者にとって、奇跡は許されざる贅沢だ。


公爵の言葉が宙に響き、重い沈黙が落ちる。

枝が爆ぜる音。

兵士たちの荒い息遣い。

それだけが、静寂を切り裂く。

謎の女の承諾は、安堵じゃない。

隊列に、ぼんやりとした不安を植え付けた。

彼女の力――戦争や名誉じゃ収まらない力。

彼らはそれを見た。


ランデルが交渉する間、兵士たちは動いていた。

軍曹の号令の下、時間を無駄にしない。

藪を切り開き、生き残った道を整える。

公爵の旅用馬車を準備する。

簡素な馬車。

無駄な装飾はない。

ただ、扉にアイヒェンヴァルドの紋章が刻まれている。

主が生きている。

しかも、この世ならざる力と契約を結んだらしい。

兵士たちは戸惑いに凍りつく。


ランデルは肩の痛みを無視する。

部下たちの驚いた視線も。

背筋を伸ばす。

その動きに、奇妙な荘厳さが宿る。

新しい何か。

彼は金色の姿に向き直る。

頭を下げる。

対等な者じゃない。

臣下が主君に手を差し出すように。

彼女に手を差し伸べる。


「どうぞ、お許しを。」

声は柔らかい。

だが、反論を許さない響き。


兜に隠れたアマンダ。

一瞬、動きが止まる。

この仕草――あまりにも人間的だ。

あまりにも……世俗的だ。

だが、彼女は無言。

籠手のついた手を、彼の手の上に置く。

触れ合いは軽い。

ほとんど重さがない。

なのに、ランデルは感じる。

薄い金属の下。

かすかな、だが確かな震え。


彼は慎重に動く。

まるで神殿の聖遺物を導くように。

彼女を馬車へとエスコートする。


兵士たちが道を空ける。

生きている回廊が形作られる。

彼らの顔――泥と疲労。

そして、純粋な驚愕の仮面。

「アイヒェンヴァルドの氷」。

揺るぎない公爵が、古代の冷酷な力を放つ女を連れている。

囁き声はない。

重く、敬意に満ちた沈黙だけ。

(まるで森そのものが命を得て歩き出したようだ……!)

信じがたい光景。


ランデルは馬車の扉を開ける。

自らの手で。

アマンダがステップに上がる。

彼が手助けする。

黄金の鎧が、馬車内の薄暗さで一瞬輝く。

扉が閉まる。

彼女を外界から遮断する。


ランデルが振り返る。

その時、初めて。

視線は硬い。

命令を下す者のもの。

「ケイル卿、前衛を率いろ。残りは馬車の周囲を円形に固めろ。休憩なし。質問もなし。」

声が響く。

「中の者は私の個人的な保護下にある。アイヒェンヴァルド家の庇護を受ける。彼女の安全が最優先だ。分かったな?」


「了解、閣下!」

兵士たちの声が一斉に上がる。

規律ある叫び。

恐怖を一瞬、押し潰す。


公爵は頷く。

馬車に乗り込む。

扉がバタンと閉まる。

騎兵の輪に囲まれた馬車。

ぬかるんだ道をきしませながら進む。

その腹に、森がかつて見たことのない――

最も危険な秘密を運んで。


崖の上。

苔と樹皮の色のマント。

男は身を隠し、しゃがんだまま動かない。

蛇のような目。

細く、冷たい。

一切を見逃さず捉える。

「紅蓮の爪」の壊滅。

金色の姿の出現。

理解を超えた力。

そして――アイヒェンヴァルド公爵。

どんな理屈にも反して、生きている。

無傷だ。

馬車に、あの……異常な存在と共に去っていく。


男は見た。

彼女が馬車に乗り込む瞬間。

兵士たちの目に宿る敬意。

公爵の傷が手当てされている姿。


ゆっくり。

音一つ立てず。

男は崖の縁から退く。

森の奥へ、這うように。

(ここでの仕事は終わりだ。)

帝国にいる主たち。

信じがたい報告が待っている。

衝撃的な報告。

ランデル抹殺の計画――失敗。

裏切りでも軍略でもない。

存在すら許されない力の介入。


男は現れた時と同じく、音もなく消える。

森の影に。

残るのは、葉のざわめき。

嵐の予感に満ちた、不気味な静寂。

帝国は知るだろう。

「黄金の守護者」を。

そして、ゲームは――永遠に変わる。

もし少しでも「続きが気になる」と思ってもらえたら、

ブックマークや評価をしてくれると、とても励みになります。


更新のやる気がぐんと上がるので、ぜひよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ