表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/19

3) «覚醒 —アマンダの身体で—»

意識が戻った。


そこに光はなかった。ただ、闇が消えている。


頭を鈍く殴られるような痛み。こめかみで脈打つ。聞き慣れない速すぎる鼓動と重なる。


(……っ)


ライトは、ゆっくりと目を開けた。


まぶしい光はない。トンネルもない。

誰にも内緒で想像していた、死後の世界の景色とは、何一つとして一致しない。


見上げれば、低い天井。荒削りで黒ずんだ梁が組まれている。

煙と草の匂い。それに、どこかミルクのような甘い臭いが混ざった空気。

硬い寝床に横たわり、見知らぬ獣の毛皮に包まれている。


「ここは……? 病院……?」


思考は鈍く、遅れていた。

震える手を上げ、こめかみを押さえようとして――ライトは固まった。


(……軽い。細い……)


その手は、明らかに軽すぎた。細すぎた。

そして肌は、不自然なほど青白く、すべすべしていた――


胸の中で、心臓が狂ったように暴れだす。

もはや自分のものではない鼓動。

耳をつんざく恐慌の音と同期する。


ゴクリと唾を飲む。

必死で体を起こした。

視線をもう一方の手へ落とす――そこには、長く繊細な指。か弱い手首。


「違う……」

「これは、夢じゃない……」


夢に、ここまでの匂いはない。


バッと、寝床から足を振り下ろす。

軽い。どこかよそよそしい感覚。

何年も剣道を続けてきた己の体は、確かに重く、逞しかった。

なのに、これは……まるで、よそ者の、少女の体だ。


視線が部屋の隅を捉える。

粗末な木製の机。

そこに、この中世的な風景に明らかにそぐわない一品が置かれていた。

――銀縁の小さな鏡。


ライトは震える足を引きずりながら、そこへと歩み寄る。

そして、ゆっくりと覗き込んだ。


――その日、二度目の世界の崩壊が、彼を襲う。


鏡に映っていたのは、見知らぬ少女だった。

熟した小麦のように黄金に輝く髪が、肩にかかっている。

小さな顔。高い頬骨。

そして、その瞳は……


……熟した桜桃の色。

高級ルビーのように鮮やかな深紅。


その赤い目には、紛れもない、動物的な恐怖が焼き付いていた。


(自分の体じゃない……これは、いったい……!)


彼は無言で口を開けた。

鏡の中の少女も、同じように口を開ける。


信じられないという様に、ゆっくりと――あの細い手を自分の顔に近づける。

鏡の少女も、まったく同じ動きをした。


「ありえない……」

……言おうとした。しかし、その唇から零れたのは、か細くも心地よいささやき声だけだった。


「妄想だ……昏睡。幻覚……」


――卒論を堂々と守り抜いた、あの鋭く分析的な理性が、狂ったように働き始める。

檻の中の鳥のように、頭蓋骨の内壁を跳ね回る思考。

(バス。衝撃。痛み。闇。目覚めたら――ここに。女の体で……)


ドン、ドン


突然、ドアがノックされた。


「アマンダ? 娘よ、目を覚ましたのかい?」

老女の声が、不安と期待に震えながら聞こえてくる。


(……アマンダ?)


彼が対応を考えつく間もなく、ドアはきしみながら開いた。

そこに立っていたのは、簡素なドレスを着た白髪の老女だった。


皺の刻まれた顔に、涙が光っている。

彼女はためらうことなく、彼――アマンダへと走り寄った。

そして、しっかりと抱きしめる。


(……っ!?)


見知らぬ老女の体温。その強すぎる抱擁に、ライトは息を呑んだ。


ライトは硬直した。


(……現実だ)


老女の抱擁は温かい。疑いようのない現実だった。

粗末なドレスの生地の感触。そして、彼女から漂う、焼きたてのパンのような優しい匂い。


「もう目を覚まさないのかと……この子よ」

彼女は泣きじゃくりながら、ライトの頭を自分の肩に押し当てる。

「三日も熱が下がらなかったんだ。私は……全能の神々に祈り続けたの……」


老女の声は震えていた。

「もう、お願いだ……これ以上、この年老いた母を怖がらせないで。この心臓が持たない……」


《……母?》

《アマンダ……?》


パズルのピースが、頭の中で不気味な音を立ててはまり始める。

恐ろしい。しかし、これしかありえない――唯一の結論へと収斂していく。


(バス。事故。死。そして……)

《転生》――。


東京で破壊された肉体を脱ぎ捨て。

彼の魂――《自分》という存在は、なぜかこの体に引きずり込まれた。

この少女、“アマンダ”という娘の体へ。

おそらくは、あの高熱で死んだ彼女の、まだ温かい亡骸へ。


ライトは漫画や小説の常連読者として、この展開を熟知していた。

《異世界転生》。


しかし、読むのと、実際に体験するのとには天地の差があった。


(……この体が、俺なのか?)


見知らぬ少女の体で目覚め、他人の肌の感覚を感じ、他人の心臓の鼓動を聞く――その現実が腑に落ちた瞬間、彼は床に嘔吐した。


「あっ!」


女――《新しい母》は悲鳴を上げた。

慌てて布で彼の顔と床を拭きながら、嘆き、そして彼の黄金の髪をなでる。


ライトは抵抗しなかった。

アマンダの体で、冷たい床に座り、虚空を見つめるだけだ。


(検事。キャリア。母。ユキ……)

(最高のドレスを着て、待っていた……ミカサ。)


すべてが、ただ遠いだけではない。

もう、別の人生だ。別世界だ。


(ヤマダ・ライトは死んだ。)


そして今、生き延びなければならない。

この体で。この世界で。

自分に属さない名前を冠して。


彼はゆっくりと、新しくて繊細な、女の手を持ち上げ、それらをじっと見つめた。


「いっ……一体……」

声は震え、か細い。

「何が起こっているんだ?」

この未知なる物語の旅路に、

「ブックマーク」という道標を頂けますと幸いです。


そして、もしその旅が少しでも貴方の心に響いたなら、

「5点評価」という最大の賛辞を賜りたく。


何卒、宜しくお願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ