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2) 七月の午後、破滅の轟音

七月の陽射しが、工科大学の階段を惜しみなく照らしていた。

空気は熱気で揺らめき、アスファルトと――自由の匂いが混じり合う。


ヤマダ・ライトは目を細め、温かな光に顔を預ける。

右手には、「優」と赤く刻まれた卒業証書。

それを、まるで壊れものみたいに、ぎゅっと握りしめていた。


「……やった」


声が漏れた。

信じられなかった。


何年もかけて積み上げてきた努力。

必死の勉強。

眠気と闘いながら書き続けたノート。

飲み会の誘いを断ってまで追いかけた日々。


すべてが、この瞬間のためにあったんだ。


高校の頃から胸に抱いてきた――

検事になるという夢。


それが今、手の届くところにある。

苦いブラックコーヒーの後味みたいに、現実の味が舌に残った。


ライトはポケットからスマホを取り出す。

画面に映るのは、ミカサの着信履歴。


その名前を見ただけで、唇の端が自然と上がった。


脳裏に浮かぶ、彼女の姿。

華奢な体躯。

肩まで伸びた漆黒の髪。

そして――心のざわめきをすべて呑み込むような、深い瞳。


俺の、ミカサ。


ただ名前を目にしただけで、胸が早鐘のように鳴り出す。


バスの中は、蒸し暑くて息苦しかった。

でも――ライトにとって、そんなことはどうでもよかった。


窓際の席に体を沈め、流れていく東京の街をぼんやりと眺める。

指先でスマホを操作し、彼女の番号を押した。


わずかに、指が震えていた。


「……もしもし、ミカサ?

もう終わったよ。ディフェンス、無事にクリアした――」


声を抑えて話したつもりだった。

けれど、隠しきれない喜びが滲み出ていた。


いつだって、ライトが幸せなときの声は、少しだけ上ずる。


「私はずっと信じてたよ、ライト!

あなたのこと、ほんとに……ほんとに誇らしい!」


ミカサの声が、鈴みたいにキラキラ響く。

バスのエンジン音さえ、やわらかく包み込むように。


「今、家に向かってる。

ママがね、あのシチュー作ってくれてるんだよ……」


言葉が途切れ、少し間が空く。

ライトは胸の奥で、深く息を吸い込んだ。


――勇気を、かき集める。


「ミカサ……今晩、散歩しない?

ディナーとか……。話したいこと、いっぱいあるんだ。

見せたいものも、ね」


そう言いながら、ジャケットのポケットに手を入れる。

指先が、小さな箱の輪郭をなぞった。


ドキドキが、止まらない。


リング。

シンプルで、洗練された輝き。――まるで、彼女そのものだ。


あれを買ったのは、二ヶ月前。

衝動的だった。

けれど、それからずっと、肌身離さず持ち歩いている。


完璧な瞬間を。

この手で掴む、そのときを。

ずっと、待っていたんだ。


電話の向こうで、ふっと息が止まった。

軽い沈黙のあと、ミカサの幸せそうな溜息が聞こえてくる。


「もちろん。例のドレス、着てくよ。

ライトの好きなお気に入り。……チュッ。

じゃあ、夜にね」


プツリ、と通話が切れた。


ライトは数秒間、ガイダンス音を聞きながら、窓の外をぼんやり見つめる。

バカみたいに、口元が緩みっぱなしだった。


世界中が、優しくて、希望に満ち溢れて見える――そんな気がした。


スマホを持ち直し、次にママへ電話をかける。

ニュースを伝えた瞬間、受話器の向こうで嗚咽が爆発した。


安堵の涙。

無限の誇りの涙。


ライトは、まるで小さな子供をあやすように、優しく宥め続ける。

胸の奥が、じんわりと温かくなっていった。


家族のことを思い浮かべる。


ママは、パパが別の女のところへ去ったあと、一人で俺を育て上げてくれた。

あの辛い日々を、笑顔で乗り越えながら。


新しい旦那さん――ハジメさんは、パパの代わりになろうとはしなかった。

ただ、俺にとって大切な存在になってくれた。


そして、いつもの四つ子の義弟。

ユキ。

俺のことを、神様みたいに慕ってくれる子だ。


「……すべて、うまく回り始めてる。

いや――これからが本番だ」


ライトは、スマホの待ち受けをぼんやり見つめた。


画面に映るのは、ミカサと自分のツーショット。

富士山を背に、満面の笑みで並んだ――あの夏の思い出。


目を閉じる。


今日一日の感情の渦に、すっかり疲れ果てていた。

耳元で、タイヤの「ゴロゴロ」という響きだけが心地よく残る。


……その瞬間。


対向車線から、数十トンの巨体が飛び出してきたことに、ライトは気づかなかった。

他のドライバーたちの、悲鳴のようなブレーキ音も――届かない。


ただ。


耳をつんざく、すべてを飲み込むような――金属の咆哮。


衝撃は、容赦なく、電光石火の速さで襲いかかった。


ガラスが、内側に爆散する。

無数の破片が、雨のように降り注ぐ。


鋼鉄が、紙を引き裂くように軋み、ねじ曲がる。

世界が、ぐらりと傾き――狂った万華鏡みたいに、回り始めた。


痛み。

混沌。

そして、すべてが、渦に飲み込まれていく――。


シートから――弾き飛ばされた。


鋭い、焼けつくような激痛が全身を突き刺す。

耳鳴りが、頭の中で爆発した。

視界に、黒い斑点が乱舞する。


息を吸おうとする。


肺に満ちるのは――鉄の味。

血の、ねっとりした感触。


視線が、床に落ちたスマホに絡みつく。

ガラスの破片の山の中で、転がっている。


画面は、クモの巣みたいにヒビ割れていた。

それでも、ぼんやりと光っている。


映っているのは――ママの満面の笑顔。

隣には、俺。

そして、弾けるように笑うミカサ。


「……ミカサ」


心の中で、名前を呼ぼうとする。

声が、出ない。


「……ごめん」


暗く、冷たい波が、ゆっくり押し寄せてくる。

痛みを。

音を。

光を――すべて飲み込んでいく。


最後に胸に残ったのは、運命の苦い皮肉だった。

すべてをくれて、一瞬で奪い取るなんて――。


それから。


静寂が、訪れた。

皆さん、読んでいただきありがとうございます!

もし文章の表現や言葉の使い方で、分かりにくいところや不自然な箇所があれば、ぜひコメントで教えてください。

読者の皆さんの意見は、今後の執筆にとても役立ちます。

よろしくお願いします!

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