16) 「炎の交渉:帝国の機密を賭けた一手」
朝焼けの光が、アイアンヘイブンの尖塔を静かに照らし出した。
フェニックスギルドの門前に、帝国の使節たちが影のように並んでいた。
その足音は、まるで戦場の鼓動のように、静寂を切り裂く。
ヴァリス、帝国の使節。
その隣に立つ女は、刀の刃のように冷たく鋭い気配を放つ。
二人の歩みは、ただの自信ではない――勝利を確信した者の気迫だ。
彼らは戦利品を奪いに来たのだ。
ロレンツは広間の中央で待っていた。
マスター評議会の面々が彼を囲み、その顔は石の仮面のように無表情だ。
だが、空気は緊張で震え、まるで嵐の前の静けさのようだった。
(耐えられるか?)
ロレンツの脳裏に、かすかな疑念がよぎる。
「ロレンツ魔導師」
ヴァリスの声は、冷たい刃のように響いた。
彼は椅子に座らず、立ち尽くす。
「二日が過ぎた。答えを聞こう。」
「専門家、技術――すべてを渡せ。」
その視線は、ロレンツの心を突き刺すようだった。
彼はゆっくりと息を吐き、内心を落ち着かせる。
(失敗は許されない。)
「フェニックスギルドは帝国を尊重します。」
ロレンツの言葉は、薄氷を踏むように慎重だった。
「協力は大切だと理解しています。」
「しかし――」
「拒否か。」
女が割り込んだ。
その声は柔らかく、だが毒のように鋭い。
彼女の目は、部屋の隅に置かれた空の椅子へと滑った。
「その『専門家』はどこにいる?」
「こんな貴重な人材が、この大事な場にいないとは?」
彼女の唇に、冷たい嘲笑が浮かぶ。
(彼女は何か知っている…)
ロレンツは机の下で、静かに拳を握りしめた。
その瞬間、扉が静かに軋んだ。
アマンダが姿を現した。
だが、それはかつての怯えた亡魂の姿ではない。
汚れたマントをまとった難民の面影は消えていた。
金色の髪は厳格かつ優雅にまとめられ、高い頬骨を際立たせる。
ギルドの志願者にふさわしい、簡素だが上質な衣装。
仮面はなく、その素顔が露わだ。
ルビーのような瞳は、朝焼けに輝く紅玉のように鮮やかで、穏やかな光を放つ。
ヴァリスの視線とぶつかり、次に隣の女へと移る。
そこには恐れも挑発もない――ただ、すべてを見通すような、澄んだ輝きだけ。
帝国の使節団は一瞬、息を呑んだ。
「遅れてしまい、申し訳ありません。」
アマンダの声は清らかで、部屋を満たすように響いた。
「計算を終えるのに手間取りました。」
彼女は自然に歩を進め、空いていた椅子に腰を下ろした。
まるで、その場所が彼女のために用意されていたかのように。
ヴァリスが最初に我を取り戻した。
その唇に、薄い笑みが浮かぶ。まるで獲物を値踏みする獣のように。
「やっと会えた…その姿を見られて、嬉しいよ。」
彼の声には、かすかな嘲りが滲んだ。
「その『計算』の結果は如何に? 帝国に身も知識も捧げるために来たのか?」
アマンダは首を振った。
その動きは小さく、しかし揺るぎない。
「いいえ。」
静寂が、まるで冬の霧のように広間を包み込んだ。
評議会の面々が息を呑み、ロレンツさえその直接さに目を瞠る。
「いいえ、だと?」
ヴァリスの声は静かだったが、鋼のような響きを帯びていた。
「その拒否がどんな代償を招くか…理解しているのか?」
「十分に。」
アマンダは静かに手をテーブルに置いた。
巻物も魔道具もない。ただ、開かれた掌だけがそこにある。
「知識を捨てるつもりはない。だが、売るつもりもない。」
「私は…別の道を提案します。」
彼女の視線が、隣の女へと移った。
「あなた方は、たった一つの技術の独占を求めた。」
「私は帝国に、技術ではなく『解決』を差し出しましょう。」
「三世代にわたり、あなた方の最高の錬金術師が挑み、果たせなかった難題の解決を。」
「アルゴス」と呼ばれた女の唇が、固く結ばれた。
「何の問題だ?」
「帝国のオリハルコン装甲の幻腐蝕。」
アマンダの言葉は、鋭く、澄んだ刃のように響いた。
ヴァリスの顔が一瞬にして青ざめた。
それは帝国の最高機密。漏洩は即座に死を意味する。
「何のことか…知らん。」
ヴァリスが口を開いたが、その声には動揺が滲む。
アマンダは柔らかく、しかし断固として遮った。
「無駄な抵抗はやめてください、使節どの。」
「私はスパイではない。ただ…『真実』を見抜く目を持っているだけ。」
「あなたの指輪に刻まれた微細な亀裂。あれはオリハルコンと同じ合金でしょう。」
「護衛の剣が放つ、わずかな震え。それもまた、同じ材質の証。」
「私はそれを見た。そして、その腐蝕を止める術を知っている。」
アマンダは椅子に背を預け、落ち着きを保ちながら続けた。
そのルビーの瞳には、まるで炎のような輝きが宿っていた。
ロレンツでさえ、その光に心を震わせた。
「私の提案は単純です。」
「帝国には、オリハルコンを安定させる公式を差し出しましょう。」
「その代わり、フェニックスギルドは五十年間の独占生産契約を得る。」
「そして私には…ギルドの研究マスターの地位を。」
「さらに、あなたの個人的な保証を――私の知識ではなく、私の『身の安全』の保証を。」
彼女はルールを覆した。
守勢に立つどころか、攻めに出たのだ。
賭けたのは命ではない――帝国の最も厳重な機密そのもの。
ヴァリスはアマンダを見つめた。
その瞳には衝撃と怒り、そして抑えきれぬ貪欲な興味が渦巻いていた。
広間は静まり返った。
誰もが彼の答えを待つ。
アマンダは微動だにしない。
その顔は、岩のように無表情だった。
だが、心の奥では――
(緊張…そして、勝利の予感。)
かくして、大きなゲームの最初の駒が動かされた。
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