15) フェニックスの枷、帝国の刃」
フェニックスギルドの宿舎。
名前は派手だ。「シルバーフェニックス」。
だが、実物は三階建ての石造り。
まるで兵舎だ。
中に入る。
アマンダの鼻を刺す空気。
安物のスープの匂い。汗。薬品の臭い。
息が詰まりそうになる。
「ロレンツ。新人だ。」
彼女の案内人が投げかける。
カウンターの女に。
まるで牢獄の看守のような女だ。
女——鍵番のマルタと名乗る——がアマンダを睨む。
その視線が、ルビーの瞳に留まる。
「難民か? 徽章持ち? ふん、いいだろう…」
カウンターの下から粗い麻袋を取り出す。
「寝具だ。自分で洗え。」
「夕食は六時から七時。遅れたら腹ペコだ。」
「起床は五時。ルールは簡単。喧嘩したら追い出す。盗んだら衛兵に突き出す。分かったな?」
アマンダは頷くだけ。
(優秀な学生…じゃない。まるで囚人だ。)
まるで牢獄の支給品を受け取る気分。
案内された部屋。
「共同部屋」ではない。
地下の…物置だ。
かつて石炭を貯めた場所。
薄い仕切りで区切られているだけ。
湿った空気。
ネズミの臭い。
床には藁のマット。
その上に粗い毛布。
机も椅子もない。
唯一の「設備」は壁のひび割れ。
そこから汚い路地がちらりと見える。
(「投資」…か。)
アマンダの胸にロレンツの言葉が響く。
皮肉な笑みが浮かぶ。
(人間の部屋じゃない。まるで珍獣の檻だ。)
(監視はするが、余計な資源は使わない…そういう扱いか。)
彼女はマットに腰を下ろす。
頬を静かな涙が伝う。
自分への哀れみではない。
完全な孤独への気づき。
そして恐怖。
(私の価値…あの妙な「知識」だけ?)
(それが尽きたら…また路地に放り出される。)
疲れと不安。
アマンダを眠りに引きずり込む。
だが、眠りは浅い。
燃える村の幻。
カエレンの顔が赤い炎に浮かぶ。
夢は落ち着かない。
突然、肩を強く揺さぶられる。
「小娘! 起きろ! ロレンツが待ってる! 今すぐだ!」
意識がぼやける。
まだ目覚めきらないまま。
地下室から引きずり出される。
廊下を進む。
上じゃない。
建物の奥。
風呂のような部屋へ。
「その汚れと臭いを洗い流せ。」
鍵番のマルタが命じる。
指で石の浴槽を指す。
ぬるい湯が張られている。
「そして、これを着ろ。」
木のベンチに服が置かれている。
すべて黒。
軽いが丈夫なズボンとチュニック。
フード付きの長いマント。
手首を覆う手袋。
そして…仮面。
無表情で滑らかな、黒く磨かれた素材。
目に細いスリット。
「これ…何?」
アマンダの声。
腹に冷たい重みが広がる。
「命令だ。」
マルタが冷たく言い放つ。
「お前は…会合に出る。その姿は目立ちすぎる。」
「余計な質問を招く。」
ドアがバタンと閉まる。
マルタは去った。
(何…これ?)
アマンダの心がざわめく。
(私の瞳…切り札であり、烙印だ。)
アマンダの胸に苦い思いが広がる。
(今、彼らはその烙印を隠したい。)
黒い服を身にまとう。
意外にも高級な生地。
肌触りが柔らかい。
仮面が顔にぴったりと密着する。
視界の端が歪む。
呼吸が小さな空間で反響する。
浴槽の水に映る姿。
アマンダではない。
ライトでもない。
ただの影。
亡魂のような存在。
豪華な閉じた輿に押し込まれる。
「黙っていろ」と命じられる。
しばらく進む。
明らかに違う通り。
滑らかで、静か。
建物の中へ。
静寂が耳を圧する。
空気は冷たい。
古い石と乳香の匂い。
扉が開く。
アマンダは中に押し込まれる。
そこは円形の広間。
天井はドーム型。
壁は黒い木材。
銀の模様が刻まれている。
フェニックスの姿が浮かぶ。
中央には巨大な楕円形のテーブル。
(ここ…何?)
アマンダの心がざわめく。
テーブルの一方。
ロレンツと数人の上級ギルドマスター。
顔は硬い。
感情を隠す鉄の仮面。
反対側に三人。
アマンダは一目で理解する。
(帝国の使節団だ。)
紋章など見ずとも分かる。
中央の男。
黒鋼色の完璧な軍服。
肩章は翼の意匠。
若い顔。冷たく美しい。
鋭い頬骨。
薄灰色の瞳が部屋を切り裂く。
まるで捕食者のような傲慢さ。
(帝国の使節…レガトだ。)
その左。
年老いた男。
豪華だが厳格な服。
宮廷の策士のような顔。
(顧問か…?)
右には女。
濃紺のローブ。
鋭く知的な顔立ち。
両手に魔法回路のような刺青。
(アルカニスト…魔術師だ。)
アマンダの心がざわめく。
(この空気…危険だ。)
「…ホーククロウ家との契約で貴ギルドが納品したルミネセントの品質。」
帝国の使節が口を開く。
羊皮紙に押された印章をロレンツに滑らせる。
「仕様を37パーセント超えている。」
「この大陸でこれほどの純度の結晶は、アルカニス学術院の崩壊以来、存在しない。」
ロレンツは平静を保つ。
「我々の錬金術師が技術を磨いた。それだけだ。」
「規則に反しない。」
「磨いた?」
女が滑らかに、しかし威圧的に割り込む。
完璧に整えられた爪が羊皮紙を弄ぶ。
「分析せずとも分かる。この品質。」
「残留物の痕跡。…この純度を達成した方法は…」
「同盟ギルドのいずれにも知られていない。異なるのだ。」
「これは『改良』ではない。革新だ。」
「非常に…儲かる革新。」
彼女は羊皮紙を脇に置く。
ロレンツを真っ直ぐ見据える。
「帝国はこの浄化技術の独占権を欲する。」
「そして、当然…その技術を開発した者を。」
(何…?)
アマンダの胸が締め付けられる。
(私が…その技術者だと…?)
部屋の空気が凍る。
彼らはアーカイブを求めていない。
彼女を。
いや…彼女の知識を。
「その技術はフェニックスギルドのものだ。」
ロレンツの声は鋭い。
「売るつもりはない。」
「それは間違いだ。」
男が微笑む。
その笑みは、どんな脅しより恐ろしい。
「お前たちは売る。」
「さもなければ…」
「商業クォータ違反。帝国魔術院からの戦略技術隠蔽。」
「公式調査が始まる。」
「アイロンヘイヴンの特権は見直される。」
「キャラバンには二重の関税だ。」
「選べ。」
最後通牒ではない。
判決だ。
ギルドに抗う力はない。
その瞬間。
帝国の女が首を動かす。
初めて、隅に立つ仮面の影を見る。
アマンダを。
「開発者はお前たちの専属錬金術師ではない。知っている。」
「最近、街に連れてこられた者だ。」
「その者を渡せ。」
「男…それとも女か。」
(…私だ。)
アマンダの心臓が激しく打ち鳴る。
(バレた…!)
ロレンツの拳がテーブルを強く握る。
指が白くなる。
「提案を検討する時間を二日ください。」
帝国の代表、軽く頷く。
「それで十分。」
だが、隣の女はすでに立ち上がっていた。
視線は部屋の隅へ。
仮面の影――アマンダがそこにいる。
「返事を待つよ。」
女の声、絹のように滑らか。
だが、その奥に鋼の鋭さが潜む。
(この女……何者だ? 危険な気配。)
アマンダに近づく。
ゆっくり。
近すぎる。
ロレンツが立ち上がる。
鋭い動き。
だが、女は手を上げる。
「落ち着いて、魔術師様。」
氷のような微笑み。
「あなたの……『資産』を傷つけるつもりはない。ただ、興味があるだけ。」
(資産? 私のことか?!)
アマンダ、動けない。
女の香水、鼻をつく。
冷たく、甘い。
禁断の地に咲く花の香り。
女が立ち止まる。
その目、くすんだ銀色。
アマンダのマントを、仮面の隙間を、じっと見つめる。
「ただの専門家にしては妙な装いね。」
首をわずかに傾ける。
「なぜ顔を隠すの?」
(見られるのが怖い? それとも……何か隠してる?)
アマンダ、仮面の下で歯を食いしばる。
(この女……見透かしてる!)
アマンダ、動かない。
息を整える。
静寂が、彼女の唯一の盾。
女、ゆっくりと指を動かす。
アマンダの仮面の縁、そっと撫でる。
背筋に、氷のような戦慄。
「帝国に、こんな言葉があるの。」
女の囁き、アマンダだけに届く。
「最も貴重な宝は、いつも最もみすぼらしい箱に隠される。」
(何……?)
「彼らは君を隠したつもり。見えなくしたつもり。」
唇に、かすかな笑み。
「でも、探し方を知る者には、君は夜の灯台のよう。輝きは、もう隠せない。」
女、一歩後退。
ロレンツを見る。
その目、勝利の嘲笑に満ちている。
「二日だよ、魔術師様。」
声、鋭く響く。
「待たせないで。そして……その『箱』を大切にね。この街、よその宝を狙う輩が多いから。」
使節団、去る。
ドアが閉まる。
部屋に、墓のような静寂。
ロレンツの重い息だけが、響く。
彼、アマンダに近づく。
顔、怒りに歪む。
そして……恐怖。
「わかったか?」
ロレンツの声、震える。
「奴らはただの疑いじゃない。もう知ってる。ずっと前からだ。だから、この部屋に呼んだ。隠す意味、なくなった。」
(何!?)
「彼女は君を嗅ぎつけた。猟犬のようにな。」
アマンダ、言葉が漏れる。
「どうやって……?」
「知らん!」
ロレンツ、顔を手で覆う。
「使用人の中にスパイか? それとも、奴らの秘術か……?」
(そんな……!)
「偽装、失敗だ。もう終わり。」
彼、目を上げる。
その瞳、絶望的な決意が燃える。
「君を公開するしかない。あまりにも重要な存在に。君を攫うか殺すことは、ギルドそのものへの宣戦布告になるくらいに。」
ロレンツ、彼女を見つめる。
「仮面、外せ。」
声、低く、確固たる。
「もう必要ない。」
仮面、床に落ちる。
カラン、と音が響く。
ロレンツの目が光る。
「なぜ地下に閉じ込めたか、わかるだろ?」
(地下……あの暗い部屋……!)
アマンダの胸が締め付けられる。
「隠す作戦は失敗だ。」
ロレンツの声、鋭い。
「もう忘れろ。地下も、隠れることも!」
(全部……失敗?)
「これから、君の武器は秘密じゃない。」
彼の言葉、刃のようだ。
「名声だ。」
(名声!? 私が!?)
アマンダの心が震える。
「奴らを全員ぶち抜け!」
ロレンツの拳が握られる。
「もう一つのレシピじゃ足りない。」
「ゲームそのものをひっくり返せ!」
「わかったな!?」
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