7 旅立ち
数日後、婚約を白紙撤回する予定が、お姉様が破棄して帰って来た。お父様の眉間に皺が寄っていた。夜中に沢山手紙を書いて出しているのは廊下の雰囲気で分かった。……予定が変更になったからだろう。
お姉様は、部屋に閉じこもって出て来なくなった。
「メイフィー!」
お母様が部屋にやって来て声を荒げる。こんなお母様は初めて見る。
「姉から婚約者を奪うだなんて!何て恥知らずなの!」
「ごめんなさい」
「それだけ……?」
一瞬、お母様の表情が微妙になった。……もしかして気づかれた?
お姉様の婚約者を奪ったのだから、もっと何か言わなくてはいけなかったのかも。
その後お母様は、先ぶれを出して宰相家に向かった。……あちらに行けば真相を聞くだろう。
最初の怒りは勢いはどこへ行ったのか、戻ってくると侍女の手を借りて部屋に向かい、寝込んでしまった。何か言われると思っていた私は、肩透かしを食らってしまった。
宰相家では、宰相夫妻だけでなくクリス様も一緒になって今回の事情だけでなく、私に対する扱いについての話があったそうだ。私がこのまま隣国に行って戻って来ない事も伝えられ、お母様は泣き出してしまったそうだ。
淑女の鑑である事を誇りにしているお母様が泣いている所なんて想像できないが、クリス様が言うのだから本当なのだろう。
「余計な事だったかな?」
「いいえ、ありがとうございます」
どうして私が出て行ってしまったのか分からないままだと、お母様は更におかしくなっていたかも知れない。……未だに王妃になれなかった理由を探し、それで思い詰める人だから。
公爵家の夫人が二人連続で大事を起こせば、お父様もカイルも苦労をする事になる。種明かしとしては最良のタイミングだったと思う。
私は、クリス様の良心として彼を支えると決めたのだ。
結局、お母様の部屋もお姉様の部屋も、私が出ていく日も閉ざされたままだった。
想像以上に平穏で静かな日々は、早く戻って来るお父様とカイルと晩餐を共にして、他愛ない話をして和やかに過ごせた。こんな事は生まれて初めてだ。
何も知らないカイルの笑顔が、眩しくて……寂しくて、罪悪感もあった。
もう会えないかも知れないのに何も言っていない。
カイルには、私が居なくなってから手紙で知らせるようにお父様に頼んでいた。何をいえばいいのか分からなかったからだ。
でも、この家であの子だけが私の事を心配して助けてくれた。大事な弟。賢くて、優しくて、泣き虫。……本当の家族だった子。もっと一緒に居たかった。
その手を内緒で離してしまったのだ。きっと悲しませるし、恨まれる。それが怖かった。
だから、手紙で経緯を伝える事にしたのだ。謝罪も書いたが、許されるとは思っていない。
国外へ出る手続きは終わっていて、後は出発を待つばかりだった。しかし雨が降ってしまったので出発が遅れた。
そして三日遅れで出発する事になった。すっきりと晴れた朝、クリス様と一緒に馬車に乗る。
ゆっくりと馬車が動き出した。
「あねうえ~」
声がしてすぐに馬車の窓を開け、顔を出した。そこには馬に乗って追って来るカイルの姿があった。
同じく馬で追いかけてきたお父様に馬を止められ、カイルは馬上で前のめりになって叫んでいた。
「いつか会いに行きます。それまでどうかお元気で!」
胸が一杯になって、それを一気に吐き出した。
「待っているわ!あなたも体に気をつけるのよ!お父様もお元気で!」
今まで張り上げた事がない大声で叫ぶ。淑女らしくなんて、どうでも良かった。
お父様とカイルは手を大きく振っている。その姿が小さくなって……馬車の窓から乗り出していた体を元の座席に戻した。
「会えてよかったね」
きっと、クリス様がお父様とお別れの機会を作ってくれたのだ。私は宰相様の御屋敷でふさぎ込んでいたから。
「はい。……ありがとうございます」
お父様と一緒に見送りに来てくれたカイルは、泣きながらも笑って手を振ってくれた。
「また、会えるよ」
「はい」
私は隣国、ロゼライト公爵家の当主となるクリス様の婚約者兼養女となる。王女様の降嫁した名門公爵家。その家は今や誰も継ぐのを嫌がる程の状態だ。
そこが……これから私の生きていく場所になる。