5 クリス様
いつまでも妃候補だった頃にこだわるお母様。
普段は私を調度品の様に扱ってお姉様と同じ物しか与えないのに、デビュタントの時はおかしかった。城がお母様を狂わせるのかも知れない。
思考の上っ面でそんな事を考えながらも、思いがけず願いが叶うかも知れないと言う現実と歓喜で心が満たされて一杯になっていく。
ふわふわとした心地のまま、私はクリス様に連れられて屋敷から馬車に乗り、会員制のカフェに行った。そこで私もクリス様の紹介で会員になった。
「ここで出会った人の事は、話してはいけない事になっています」
お姉様に知られてしまったら大変な事になる。交流はここで行おうと提案されたので勿論了承する。
「今日は母の開いた茶会ですので、お二人がすぐに戻られる事はないと思いますが、念のために移動してもらいました」
私が急遽欠席した茶会は、宰相夫人の主催する茶会だった。全て決まっていた事なのだろう。
お姉様の為の茶番劇。けれど、これが上手く行けば私は家を離れられるのだ。
「今回の件を知っているのは、陛下と皇太子殿下とレオニス殿下、後は閣下と僕の両親、弟です」
お母様が含まれていない。
「分かりました。あのカイルには……」
「今はまだ内緒だそうです。あなたの事が大好きだから、知ったら顔に出てしまうと閣下がおっしゃっていました」
カイルは優しい。あの子と離れる事を考えると寂しくなった。
「何も無い私を大事にしてくれた弟なので、離れるのが辛いです」
思わずそう呟くと、クリス様がじっと私を見て言った。
「何も無い人を好きになってはいけませんか?」
私は一瞬言葉に詰まってから言った。
「……いけなくは、ないですが」
クリス様は言った。
「赤子は無力で何も持っていない。確かに好きでもない赤子を義務感だけで育てる親は確かに居る。しかしそんな親ばかりだと思いますか?」
そんな訳がない。……自分の言葉がとても卑屈であった事にようやく気付く。
「あなたがそのような発想をする原因になったのは家庭環境でしょう。……何故そんな考えになったのか、言える範囲でいいので教えていただけないでしょうか」
「どうして知りたいのですか?」
「公爵家は皆が理想とする家庭だと僕は長く思っていました。誰もが羨む、不幸な過去を乗り越えた奇跡。しかし違うなら……真相を聞きたいのです。あなたから」
誰も信じてくれないと諦めて沈めた言葉達が浮き上がって来る。
「上手く話せるか分かりませんが……」
そう前置きして、私はお姉様とお母様の関係、私の立場の話をした。
「私は産まれた時からお姉様の箱庭の異物なのです。お姉様には異物が完全に排除されたと認識して頂かねばなりません。だから私をお連れ下さい」
私はどうしてもこの人に連れて行ってもらいたかった。この機会を逃せば、二度とこんな機会は訪れない。心がどうしようもなく震える。それを必死に押し殺し、私を連れて行って欲しいと訴えるに留める。
まだ知り合って間もないクリス様の知りたい事は……事実であって、私の感情ではないのだ。
本当なら助けてくださいと泣いて縋りたい気持ちもあった。しかし、それをしてしまえば……同情を引くだけの感情的な人間だと思われてしまう。
先妻様の様な人を……貴族社会は異物と考える。社会と言う秩序を重んじる大きな箱庭の異物。
そうなってしまえば、何処の国であれクリス様にとって害にしかならない。そう思われたら連れて行ってもらえない。だから、激情に身をゆだねない。それはいつもの事で出来る。
クリス様は私の話を聞き終わると、砕けた口調になった。そして、隣国にただ行くのではないと伝えられた。
「僕は、失墜した公爵家の威信を取り戻さなければならない。誹謗中傷も沢山あるだろう。上手く行かずに没落するかも知れない。……巻き込むなら納得してくれる人がいいんだ。それでも一緒に来るかい?」
この人は連れて行ってくれるだけではなく、私と話をしてくれる。それだけで嬉しくなってしまった。
「ええ、お願いします」
クリス様が少し目を丸くしてから、少し目元を赤くして笑った。
「分かった。なら一緒に行こう」
その日は、きらきらと噴水と星のきらめく夜空の夢を見た。