第七話「感動しちゃいましたよ」
カルディスとエミリアが去った後、「菓子工房リリー」の周囲には静けさが戻っていた。
市場の喧騒は終わりを迎え、領民たちはそれぞれの家路についていく。
夕陽が森の木々を赤く染め、店先に置かれたベンチに長い影を落としている。
リリアナは店の裏庭に腰を下ろし、疲れた体を木の柵にもたれさせた。手に持った布巾にはチョコレートの跡が残り、エプロンには小麦粉が白く付いている。今日の出来事が頭を巡り、彼女は小さく息をついた。
「リリアナ様、大丈夫ですか? すごい一日でしたね」
ソフィアが裏庭に現れ、心配そうに声をかけた。彼女は木のトレイに水差しとカップを持ち、リリアナの隣に置いた。
「王子様にあんな風に立ち向かうなんて、私、感動しちゃいましたよ」
リリアナは苦笑いを浮かべ、
「自分でもびっくりしたよ。怖かったけど……黙ってられなかった。みんなが応援してくれたから、言えたんだと思う」
と呟いた。ソフィアが「リリアナ様、強くなりましたね」と笑うと、彼女は照れくさそうに目を伏せた。
カルディスの冷たい言葉が胸を刺した瞬間は確かに怖かった。でも、領民の声と、自分のスイーツへの想いが、彼女を支えてくれたのだ。
「せっかくだから、新しいスイーツでも作ってみようかな」
リリアナは立ち上がり、裏庭の小さなテーブルを見やる。そこには、市場で買ったばかりの新鮮な苺が籠に盛られている。
赤く輝く果実を見つめ、彼女は「ストロベリームース」を思いついた。苺の甘さと、食べた人に希望を与えるようなスイーツを――そんなイメージが頭に浮かんだ。
「うん……」
彼女は店に戻り、キッチンで作業を始めた。苺を潰してピューレにし、生クリームと砂糖を混ぜ合わせる。ふわっとしたムースが出来上がるよう、丁寧に泡立てていく。知らず知らずに魔力が込められ、ピンク色のムースがほのかに光を帯びた(リリアナはまだ気づかない)。オーブンを使わず冷やして固めるだけなのでシンプルだが、心がこもった一品だ。
完成したムースを小さなガラスカップに盛り付けると、苺の甘い香りが厨房に漂った。
「いい匂いだな。何か新しいものを作ってるのか?」
ルカスの声が響き、リリアナが振り返ると、彼が裏庭の入り口に立っていた。
旅装のマントを肩にかけ、夕陽に照らされた顔が穏やかに笑っている。リリアナは少し驚きつつ、「ルカスさん! いつからそこに?」と尋ねた。
「さっき市場から戻ってきたら、君が何か作ってるのが見えたからさ。試食させてくれよ」
ルカスは自然に隣に座り、リリアナが差し出したムースを受け取った。彼はスプーンで一口すくい、口に運ぶと、目を閉じて味わう。
「うまい……苺の甘さが優しくて、なんか希望が湧いてくるみたいだ。この味、すごいよ。君は本当に特別だ」
「特別だなんて……そんなことないですよ。ただ、みんなに喜んでほしいと思って」
リリアナは照れながら否定したが、ルカスの真剣な瞳にドキッとした。
彼はムースを食べ終えると、「いや、特別だよ。こんな小さな領地で、こんなスイーツを作れるなんて。もっと大きな舞台で広めてみないか?」と提案した。
「大きな舞台?」
リリアナは目を丸くした。ルカスが「そうだ。例えば、王都や……もっと遠くでもいい。君のスイーツなら、どこでも人を幸せにできる」と続ける。
リリアナは一瞬言葉に詰まり、「私なんかにそんなことできるかな」と呟いた。カルディスに否定され、自信を失った自分が、そんな夢を見ていいのだろうか。
「できるさ。今日だって、ちゃんと自分の信念を貫いたじゃないか」
ルカスが穏やかに笑うと、リリアナは昼間の出来事を思い出した。
領民の笑顔、ソフィアの応援、そして自分の声。あの瞬間、確かに彼女は変わったのだ。「スイーツで幸せを届けたい」――その気持ちが、彼女の中で明確な夢に変わりつつあった。
「……うん、考えてみるよ。もっと頑張ってみようかな」
リリアナはムースを見つめながら呟く。ルカスが「その意気だ。俺も応援してるからな」と言うと、二人は夕陽を見ながらムースを分け合った。
甘い苺の味が口に広がり、リリアナの心に小さな希望が灯った。自己否定の影が薄れ、「私ならできるかもしれない」という思いが芽生えていた。
「ルカスさん、いつもありがとう。あなたが来てくれると、なんだか安心するよ」
リリアナが素直に言うと、ルカスは少し驚いた顔をした後、「おう、そりゃ光栄だな。俺もここに来ると楽しいよ」と笑った。
二人の間に温かい空気が流れ、遠くで領民の笑い声が響き合う。夕陽が地平線に沈む頃、リリアナは「次はもっと大きな一歩を踏み出そう」と心に決めた。




