第六話「大した暇人だ」
春も終わりを迎え、エルザート家の領地に初夏の風が吹き始めた頃、「菓子工房リリー」は小さな名所となっていた。
毎週土曜には市場が開かれ、領民が集まるその日、店の前は特に賑わった。
木のベンチに座る者、並んだお菓子を手に取る者、リリアナのスイーツを求めて笑顔が溢れている。彼女自身も忙しさに慣れ、カウンターでタルトを切り分けながら、ソフィアと軽い会話を交わす余裕すら出てきた。
「癒しのレモンタルト」と「勇気のチョコレートケーキ」は評判を呼び、遠くの集落からわざわざ足を運ぶ者まで現れていた。
☆
その日、市場が最も活気づく昼下がり、聞き慣れない馬蹄の音が響いた。リリアナが店の窓から外を見ると、豪華な馬車が土埃を上げて近づいてくる。金と赤で飾られた車体、王家の紋章――それは王都からの来訪者を示していた。
領民たちがざわつき、市場の喧騒が一瞬静まり返る。馬車が止まり、扉が開くと、二人の姿が現れた。第二王子カルディスと聖女候補エミリアだ。
二人の姿が目に入った瞬間、リリアナの胸が締め付けられた。
あの舞踏会の夜が脳裏に蘇り、手に持っていたナイフが震える。カルディスは相変わらずの金髪と鋭い青い瞳で、王子の威厳を漂わせていた。隣のエミリアは赤いドレスをまとい、聖女らしい微笑みを浮かべている。だが、その笑みに冷たさを感じ、リリアナは目を伏せた。
「へえ、これが噂の店か。田舎の令嬢が下賤な商売に手を染めるとはな」
カルディスが馬車から降り、店を一瞥して鼻で笑った。
貴族らしい高慢な声が市場に響き、領民たちが顔を見合わせる。エミリアが続けて口を開いた。
「聖女として見過ごせませんね。こんな粗末な菓子で民を惑わすなんて、王家の名誉に関わります」
リリアナは言葉を失った。屈辱と恐怖が混じり合い、足がすくむ。
だが、ソフィアがカウンターから出て、「リリアナ様のお菓子は皆を幸せにしてます。粗末だなんて失礼ですよ!」と反論した。領民の中からも「そうだ、リリー様のケーキは最高だ!」と声が上がる。
その様にカルディスは眉をひそめ、「黙れ、田舎者どもが」と吐き捨てる。
エミリアが一歩前に出て、手に持った籠を掲げた。
「聖女の私が祝福を与えた菓子を皆さんに配ります。これこそ気高いお菓子です。どうぞお試しください」
彼女の従者が籠から小さなクッキーを取り出し、領民に渡し始めた。素朴な見た目で、ほのかにハーブの香りがする。
だが、一口食べた農夫が「まあ、普通だな」と呟き、子供が「リリー様のタルトの方が美味しいよ!」と叫んだ。エミリアの微笑みが一瞬凍りつき、カルディスが苛立たしげに舌打ちした。
「何!? 聖女の菓子を下に見るとは、貴様ら分をわきまえろ!」
カルディスが声を荒げると、領民が怯んだ。リリアナは唇を噛み、震える手を握り潰した。
カルディスの冷たい視線が彼女に向き、「リリアナ、お前がこんな騒ぎを起こすとはな。婚約破棄された負け犬が、調子に乗るのもいい加減にしろ」と言い放った。
その言葉に、リリアナの中で何かが切れた。恐怖が怒りに変わり、彼女はカウンターから出てカルディスを見据えた。
「調子に乗ってるつもりはありません。スイーツは人を笑顔にするものだと信じてるだけです。貴族だろうと聖女だろうと関係ない。私の店を侮辱するのはやめてください」
市場が静まり返った。ソフィアが目を丸くし、領民が「リリー様、よく言った!」と囁き合う。
カルディスは一瞬驚いたように見えたが、すぐに嘲笑を浮かべた。
「笑えるな。魔力もないお前が何を偉そうに。帝国への貢物を増やすためにも、こんな店は邪魔だ。潰してやるよ」
「帝国?」
リリアナが聞き返すと、カルディスは口を閉ざした。エミリアが「王子様、もういいでしょう。この程度の店、放っておいても潰れますよ」と取りなすが、その声に苛立ちが滲んでいる。
領民たちはリリアナを囲むように立ち、「潰させないよ」「リリー様を守る!」と声を上げた。
その時、群衆の後ろから聞き慣れた声がした。
「へえ、面白い場面だな」
ルカスだった。旅装のまま、腕を組んで立っている。彼はカルディスとエミリアを一瞥し、
「こんな小さな店に王子と聖女が揃ってわざわざ嫌がらせとは、大した暇人だ」
と呟いた。カルディスが「何!? 貴様、何者だ」と怒鳴るが、ルカスは軽く笑って無視する。
リリアナはルカスの姿に少し勇気づけられ、深呼吸して言った。
「私のスイーツが好きだと言ってくれる人がいる限り、私は作り続けます。それが私の誇りです」
その言葉に、領民が拍手と歓声を上げた。
カルディスは顔を真っ赤にして、「覚えておけ、後悔するぞ」と捨て台詞を残し、エミリアを連れて馬車に戻った。
馬車が去ると、市場に一気に安堵の空気が広がっていく。
「リリアナ様、すごかったですよ! あんな怖い王子に立ち向かうなんて!」
ソフィアが目を輝かせて抱きついてきた。リリアナは疲れたように笑い、「自分でもびっくりしたよ……でも、言えてよかった」と呟いた。
ルカスが近づき、「君、面白いね。スイーツだけじゃなくて、気概もあるんだな」と微笑む。リリアナは照れながら、「ありがとう、ルカスさん」と答えた。
店に戻ると、領民が「これからも応援するよ!」と次々に声をかけてきた。
リリアナは疲れを感じつつも、胸に熱いものが広がるのを感じた。カルディスへの恐怖を乗り越え、自分の信念を口にした瞬間、彼女は一歩成長していた。




