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第五話「甘いものには目がないんだ」

「菓子工房リリー」が開店してから数週間が経った。

 あの控えめな初日から、少しずつ変化が訪れていた。エルザート家の領地に広がる小さな集落で、リリアナのスイーツが噂になり始めたのだ。

 森の木々が新緑に輝く春の午後、店の前には簡素な木のベンチが置かれ、そこに座る領民の姿が見えるようになった。

 窓から漂う甘い香りに誘われ、通りすがりの者が立ち止まり、試しに一つ買って帰る。そんな日々が続いていた。

 きっかけは、あの青年の告白だった。

 あの「チョコレートケーキ」を食べた彼が、次の日に再び店を訪れ、「成功したよ! 彼女が笑ってOKしてくれた!」と興奮気味に報告してきたのだ。

 その笑顔にリリアナは驚きつつも嬉しくなり、ソフィアが「ほら、リリアナ様のスイーツは人を幸せにするんですよ」と得意げに言った。それから、青年の話が集落に広がり、「リリー様のケーキを食べると勇気が湧くらしい」と噂になった。ある商人はケーキを食べて商談に挑み、大口の契約を取ってきたと言い、また別の少女は友達との喧嘩を謝る決心がついたと笑った。

 リリアナは店のカウンターに立ち、タルトやケーキを切り分ける手を休めなかった。

 連日満員とまではいかないものの、毎日数人が訪れ、笑顔で帰っていく。

「癒しのレモンタルト」は疲れた農夫や子育てに追われる母親に喜ばれ、「勇気のチョコレートケーキ」は若者たちに大人気だった。

 彼女は毎朝、棚から材料を取り出し、オーブンを温める。チョコレートを溶かす濃厚な香りや、レモンの爽やかな酸味がキッチンに満ちるたび、心が軽くなった。「偶然じゃないのかも」――そんな思いが、少しずつ確信に変わりつつあった。


 ☆


 ある晴れた午後、店がいつもより賑わっていた時だった。木の扉が軽く軋み、新しい客が顔を出した。

 20代前半の青年で、旅装のマントに埃が付き、茶色の髪が少し乱れている。だが、その瞳は鋭く、どこか気品を感じさせる。リリアナが「いらっしゃいませ」と声をかけると、彼は気さくな笑みを浮かべて近づいてきた。


「ここが噂の『菓子工房リリー』か。スイーツが美味しいって聞いて、遠くから足を伸ばしてきたよ。俺、甘いものには目がないんだ」


 彼はそう言って、カウンターに並ぶお菓子を興味深く眺めた。リリアナは少し緊張しながら、「ありがとうございます。今日はレモンタルトとチョコレートケーキがありますけど、どちらにしますか?」と尋ねる。


「うーん、両方とも美味しそうだな……じゃあ、まずはレモンタルトをくれ。見た目からして癒されそうだ」


 青年は笑い、木の椅子に腰を下ろした。リリアナはタルトを切り分け、皿に載せて渡した。彼は一口食べると、目を閉じて味わうように頷いた。


「うまい……こんな美味い菓子は帝国でも食べたことがない。酸味と甘さが絶妙だな。歩いてきた疲れが吹き飛ぶみたいだ」

「帝国?」


 聞き返したリリアナに青年は一瞬言葉に詰まったように見えたが、すぐに笑って誤魔化した。


「ああ、旅の途中で色んな場所を見てきたって意味さ。気にしないでくれ」


 彼はタルトを平らげると、「次はチョコレートケーキも頼むよ」と追加を頼んだ。

 リリアナがケーキを切り分けている間、青年は店内を見回し、「へぇ……こんな田舎でこんな才能が隠れてるなんて驚きだ」と呟いた。その声に何か深い意味がある気がして、リリアナは手を止めた。


「才能って……ただのお菓子ですよ。私、特別なことは何もしてないです」

「そうかな?」


 青年はケーキを受け取り、一口食べると目を細めた。


「このチョコレートケーキ、なんか力が湧いてくる。まるで心に火が灯るみたいだ。ただ作っただけでこんな味は出せないよ」


 彼の言葉に、リリアナはドキッとした。ソフィアや領民も似たことを言っていた。でも、自分にそんな力があるなんて、まだ信じられなかった。


「俺、ルカスって言うんだ。旅人でさ、美味しいものを探して歩いてるんだ。また来るよ、この店気に入ったから」


 ルカスはケーキを食べ終え、立ち上がると軽く手を振った。

 リリアナが「ありがとうございます、またお待ちしてます」と返すと、彼は「楽しみにしてるよ」と笑って店を出た。

 去り際に、「帝国ではこんな才能が埋もれるなんてありえないな」と呟いたが、リリアナには聞こえなかった。


 店を閉めた後、リリアナはルカスの言葉を思い返していた。ソフィアが「素敵な人でしたね。あのお客さん、リリアナ様のスイーツに惚れちゃったみたいですよ」と笑うと、リリアナは頬を赤らめた。


「そんなんじゃないよ。ただ……認められたみたいで、ちょっと嬉しいかも」


 彼女は棚に残ったチョコレートを見つめ、「もっとスイーツを作りたい」と呟いた。

 その夜、リリアナはベッドで目を閉じながら考えていた。ルカスの鋭い視線と、領民の笑顔が頭に浮かぶ。カルディスに「無能」と言われた自分が、こんな風に誰かに喜ばれるなんて。胸が温かくなり、初めて「私、頑張れるかもしれない」と思った。窓の外では、星が静かに瞬き、領地に小さな奇跡が広がり続けていた。


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