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第四話「ちょっとワクワクしてますよ」

 エルザート家の領地に広がる森の端、古い納屋が新たな姿を見せていた。

 苔むしていた壁は洗い流され、木の扉には手書きで「菓子工房リリー」と書かれた看板が掲げられている。

 リリアナ・フォン・エルザートは、その小さな店の前でエプロンを締め直し、深呼吸した。数日前、「癒しのレモンタルト」がソフィアやトム、両親に喜ばれたことが頭を離れなかった。あの温かい笑顔が、リリアナに一つの決意をさせたのだ。「スイーツで人を幸せにしたい」。そんな思いが、彼女をここまで連れてきた。


「リリアナ様、本当にやるんですね。私、ちょっとワクワクしてますよ」


 ソフィアが隣で笑いながら、古いテーブルを布で拭いていた。

 納屋の中は二人で掃除し、小さな棚に焼きたての菓子を並べられるように整えた。窓からは春の風がそっと入り、埃っぽかった空間が少しずつ生き返っていく。


「うん、私も……緊張してるけど」


 リリアナは小さく笑った。貴族の令嬢が店を開くなんて聞いたことがない。

 両親には「気分転換になるなら」と許可をもらったが、内心では「失敗したら笑いものだ」と不安が渦巻いていた。それでも、タルトを焼いた時の穏やかな気持ちや、ソフィアの涙を思い出すと、やらずにはいられなかった。

 初日の準備は朝早くから始まった。


「よし……」


 リリアナはまず「癒しのレモンタルト」を焼いていく。レモンの皮をすりおろす音、生地を伸ばす感触、オーブンから漂う甘酸っぱい香り――その一つ一つが、彼女の心を落ち着かせた。

 次に、新作として「チョコレートケーキ」に挑戦。棚に残っていたチョコレートを湯煎で溶かし、バターと混ぜ合わせる。濃厚な香りがキッチンに広がり、リリアナは無意識に魔力を込めていた。焼きたてのケーキはしっとりと艶やかで、ナイフを入れると中から温かいチョコがとろりと溢れる。


「これ、美味しそう! リリアナ様、絶対みんな喜びますよ」


 ソフィアが試食用に切り分けたケーキを手に持つと、目を輝かせた。

 リリアナは照れ笑いを浮かべ、「最初は家族や使用人の皆だけでいいかなって思ってたけど……ソフィアが領民にも分けてあげようって言うから」と呟いた。


「だって、こんな素敵なお菓子、もったいないじゃないですか。私たちだけで独り占めするのは勿体ないですよ」


 ソフィアが笑い、店の入り口に「開店」の札を掛ける。

 木の扉が開かれ、春の日差しが差し込む。リリアナは一瞬緊張で足がすくんだが、ソフィアに背中を押され、店先に立った。

 開店初日は、期待ほど人が来なかった。

 通りすがりの農夫が「何だ、ここ?」と覗き込み、訝しげに眺めてからタルトを一つ買って去っただけ。

 次に来たのは、近くに住む子供たちだった。ボロボロの服を着た男の子と女の子が、鼻をくすぐる甘い香りに釣られて店に近づいてきた。


「ねえ、これ何? お菓子?」


 男の子が目を丸くして尋ねた。

 リリアナは少し緊張しながら、「うん、レモンタルトとチョコレートケーキだよ。試しに食べてみる?」と小さな一切れを差し出した。女の子が恐る恐る口に運ぶと、目を閉じて「美味しい!」と声を上げる。

 男の子も頬張り、「お姉ちゃん、すごい! お母さんに教えてあげたい!」と笑顔を見せた。

 その笑顔に、リリアナの胸が温かくなった。


「ありがとう。よかったらまたおいでね」


 と言うと、子供たちは手を振って走り去った。ソフィアが「ほら、言った通りでしょう?」と笑うが、リリアナは「まだ分からないよ。このくらいじゃ……」と不安を隠せなかった。

 貴族の令嬢として完璧を求められてきた彼女にとって、たった数人の反応では満足できなかったのだ。

 日が傾きかけた頃、最後の一人が店を訪れた。20歳くらいの青年で、ぼさぼさの髪と粗末な服が目立つ。

 リリアナが「いらっしゃいませ」と声をかけると、彼は恥ずかしそうに「噂で聞いて……チョコレートケーキってのが食べてみたい」と呟いた。


「はい、どうぞ」


 リリアナはケーキを切り分け、木の皿に載せて渡した。青年は一口食べると目を大きく見開き、


「うわ……何だこれ、頭の中がスッキリするみたいだ」と呟き、ケーキを平らげると、リリアナに頭を下げた。


「俺、好きな子がいるんだけど、ずっと言えなくて……でも、これ食べたら、告白してみようって思えた。ありがとう、お嬢さん」

「え、告白?」


 リリアナは驚いて聞き返した。青年は頬を赤らめ、「うん、明日やってみるよ。結果教えにまた来るよ!」と言い残し、足早に去っていく。

 リリアナは呆然と見送り、ソフィアが「ほらね、リリアナ様のスイーツは特別ですよ」と肩を叩いた。

 店を閉める時間になり、リリアナは残ったタルトとケーキを片付けた。売り上げはわずかだったが、子供たちの笑顔と青年の言葉が頭に残る。


「こんな私でも、誰かの役に立てる?」


 カルディスに否定された自分が、スイーツで誰かを笑顔にできるなんて、まだ信じられない。でも、その可能性に胸が少しだけ高鳴った。


「ソフィア、明日も焼こうかな。もう少し頑張ってみるよ」


 リリアナは棚の小麦粉を見つめながら呟いた。ソフィアが「もちろんです! 私も手伝いますよ」と笑う中、夕陽が「菓子工房リリー」を優しく照らしていた。

 店の外では、子供たちの笑い声が遠くに響き、小さな希望が領地に広がり始めていた。


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