第十話「もう諦めない」
エルザート家の屋敷のキッチンは、夜の静寂に包まれていた。
窓から差し込む月光が、木のテーブルに置かれた「希望のストロベリームース」をほのかに照らしている。リリアナはルカスの励ましを受けて作り上げたそのスイーツを見つめ、冷やし固まるのを待っていた。
苺のピューレとクリームが混ざり合ったピンク色が、ガラスカップの中でふるふると揺れている。彼女の手にはまだ苺の甘い香りが残り、心に小さな火が灯り始めていた。
「これで何か変わるのかな……」
リリアナは呟き、ルカスが隣で「食べてみれば分かるさ」と笑うのを聞いた。彼女はスプーンで一口すくい、口に運ぶ。
甘さと酸味が絶妙に溶け合い、疲れた体に優しく染みていく。そして、胸の奥から温かいものが湧き上がってきた。「希望」――その言葉が自然に浮かび、リリアナの目に涙が滲んだ。
「ルカスさん、これ……何か違うよ。私、初めてこんな気持ちになった」
ルカスが目を細めて頷いた。
「やっぱりな。君のスイーツには特別な力がある。俺には分かるよ」
彼の言葉に、リリアナは首を振った。
「でも、私の魔力は弱いから。こんな力、持ってるはずないよ」
自己否定が再び顔を覗かせるが、ルカスが「もう一度見てみろ」とムースを指した。よく見ると、ムースの表面がほのかに光っている。微弱だが、確かに魔力の輝きだ。
「これって……私の魔力?」
リリアナは目を丸くし、手を震わせた。貴族として生まれながら、彼女の魔力はいつも笑いものだった。魔法をかけられない、強くない――そう言われ続けた自分が、こんな輝きを生み出しているなんて。
ルカスが「君の魔力は強さじゃない。心を動かす力だよ」と言うと、彼女の中で何かが動き始めた。
夜が明け、朝日が領地を照らし出す頃、リリアナは決意を固めていた。
店の封鎖を解くことはできないかもしれない。でも、スイーツでみんなを幸せにしたいという気持ちは、諦めたくなかった。
彼女はムースをトレイに載せ、封鎖された「菓子工房リリー」の前へと向かった。ルカスが「俺も行くよ」と付いてくる中、彼女の足取りに迷いはなかった。
店に着くと、すでに領民が集まっていた。ソフィアやトム、常連の農夫や子供たちが、封鎖の板を外そうと格闘している。
役人と護衛は昨日去ったが、封鎖の札が残り、店は閉ざされたままだ。リリアナが姿を見せると、ソフィアが駆け寄ってきた。
「リリアナ様! 良かった、来てくれたんですね。私たち、諦めませんよ!」
「ソフィア……みんな……」
リリアナは涙ぐみながら、トレイを地面に置いた。
「ありがとう。私、昨日は諦めそうになった。でも、もう一度だけ頑張ってみる。私のスイーツを信じてください」
彼女はムースを一つずつ配り始めた。領民が訝しげに受け取る中、ソフィアが最初にスプーンを手に持った。
「リリアナ様が作ったなら、絶対美味しいです」
と笑い、一口食べるとソフィアの目が輝き、「何!? これ、すごい……心が軽くなる!」と叫んだ。
トムが続き、「希望が湧いてくるみたいだ。リリー様、すげえ!」と声を上げる。
次々にムースを食べた領民が立ち上がり、「こんな気持ち、初めてだ」「リリー様を守りたい!」と口々に叫び始めた。
リリアナは驚きながらも、ムースの輝きを見つめた。自分が込めた想いが、確かにみんなに届いている。
「私の魔力って……強さじゃない。心を繋ぐものなんだ」
リリアナは呟き、涙が頬を伝った。
カルディスに否定され続けた自分が、こんな力をずっと持っていたなんて。スイーツを作るたびに込めた気持ち――人を笑顔にしたい、幸せを届けたいという想い――が、彼女の魔力だったのだ。
「私、無能なんかじゃない。私のスイーツは、みんなを一つにする力があるんだ」
その時、領民の一人が封鎖の板に手をかけ、「リリー様の店をこんな奴らに奪わせねえ!」と叫んだ。他の者も加わり、板を外し始める。
護衛はいないが、封鎖を解くのは王命違反だ。それでも、誰もためらわない。ソフィアが「リリアナ様、私たちみんな信じてますよ!」と笑い、トムが「俺も力貸すぜ!」と板を引き剥がした。子供たちが「リリー様、頑張って!」と手を振る中、リリアナは涙を拭った。
「ありがとう、みんな。私、自分の店は自分で守るよ」
彼女は立ち上がり、ムースを手に持った。
「これが私の力なんだ。カルディスにだって、負けない」
その言葉に、領民が歓声を上げる。店前の広場に希望が満ち、板が次々に外されていく。
ルカスが少し離れた場所から見守り、「これが君の革命だな」と呟いた。
朝日が昇りきる頃、封鎖の板はすべて取り払われていた。店は再び開かれた姿を取り戻し、領民がリリアナを囲んで笑顔を見せた。
彼女は自分の魔力を初めて肯定し、胸に熱い決意を宿していた。
「もう諦めない。私のスイーツで、みんなを守るんだ」
その覚醒の瞬間が、領地に新たな風を吹き込んでいた。




